地球最期の日に、君思ふ
終末の日が訪れた。
週末の日では決してない。
中年にもなると、言葉遊びをして喜んでしまう。
地球最期の日。
なんともチープな話だが、隕石の衝突が予測され早一年。
今日がその日である。
これまで、幾度もの人が、「もし地球最期の日に食べるとしたら何食べる?」という問題を夢想したことだろう。
そして私を含め、今現在生きている地球人が直面している問題だ。
想像の中では、ご馳走を食べる。なんてのがセオリーだろうが、現実は違った。
地球に隕石が落ちると分かるなり、全世界で暴動が同時多発的に起きたのだ。
最早、法治国家という概念はこの世界にない。
外は暴力が横行し家に居たとしても、食糧を目当てに襲われる。警察も最初こそ機能していたが瞬く間にその力を失い。今では、個人で自らを守るしか生き残る術はなく、自らを守るが故に他人を侵害する。
そんな最悪なサイクルのもと我々は生きている。
なんとも酷い世へと変わり果てたものだ。
私は何度も自分が生きていることに意味があるのかと自問自答する。
学のない私は、何度考えれど納得のいく答えに辿り着くことはなく、とうとう地球最期の日に至ってしまった。私の自宅は幸いなことに強盗の類に襲われずに済んだため、そのまま自宅に暮らしている。ただ電気、ガス、水道などのインフラはすべて止まっているため、これまでの生活水準を維持できている訳ではないが、安心して眠れ、帰れる場所があることは今の世界ではとても恵まれている事の一つだった。
私は気晴らしにラジオをつける。ハンドルをグルグル回して充電する災害時用のラジオだ。
どういうわけか、こんな世界になっても有志で集まった者たちがラジオの放送を続けておりこの腐れきった世の中で唯一の救いになっていた。
「始まりました。世界終末ラジオ。今日が最終回でございます」
メインパーソナリティの男が今日も変わらずに饒舌に語り出した。
「いやー、まさか本当に地球最期の日が訪れるなんてね。思いませんでしたよね。って、呑気に話してますが、やはり実感が湧きませんね」
私は、男の話を聞きながら鯖の缶詰に手をかける。なけなしの缶詰だ。いつもなら一缶を3日程度に分けて食べるのだが、今日は一口目から豪快に頬張った。
甘ったるい醤油ベースの汁と、鯖の凝縮された旨味が口一杯に広がった。
ビールが欲しい。……なんてのは、贅沢で私はまたラジオの方に意識を集中させた。
「あの映画、何だっけ?名前が出てこない。あの、隕石を爆弾で吹き飛ばすやつ。あれ、なんだっけ?泣けるやつ。ブルースウィルスの。……まぁ、いいや。現実はあれの様にいかないんだなって」
私はアルマゲドン。と小さくつぶやく。
「ところでみなさんは地球最期の日に何を食べるか決めました。はたまたもう食べ終えてその時を待つって感じですか?かく言う僕もカップラーメンを食べてラジオに臨んでおります」
パーソナリティは、ずるずるとラーメンを啜る音をわざとらしく立ててみせ、「ろくなもの残ってないけど、僕はカップ麺を最後の晩餐に取っておいたんですよ」と笑って言った。
今は丁度、正午で隕石が衝突するまで残り3時間を切った。
ラジオからも「夕方15時頃がとうとう、その時です」と言っていた。
街は思っていた以上に閑散としている。世界から人が全員消えてしまったのではないかと疑ってしまう程だった。
当初、私の予想では人類最後の日だからいつも以上に激しく人々が暴れるのではないかと考えていたが、どうやら皆一様に地球の終わりを静かに待つことにしたようだ。
あるものは、愛するものに寄り添いながら。またあるものは孤独に。各々が各々の最後の時間を過ごす。
「いやー、それにしても死後の世界はあるんですかね?」
私はまたラジオに意識を戻す。
「僕は、この一年死生観について色々考えた結果、考えるのをやめてしまいましたよ。最初はね、天国とか地獄なんかがあるのかななんて思って、自分は一体どっちに行くだろうかって自らを振り返ってみたりして、でも天国や地獄に行って帰って来たなんて話は聞いたことなくて、結局それらは人の考えた宗教的な世界観の一部なのか?とか、なら死んだ先に行き着くのはなんなんだろうか?僕が僕である事、僕が今生きていると感じるのは僕のこの意識があるからですよね?なら、死んで意識が無い状態ならなら、文字通り死んだら終わり。死んだ先は無なのかな……って」
パーソナリティは、この一年考えてきた心情を吐露し、何かを思ったのか言葉を詰まらせ静寂が訪れた。
本来のラジオなら放送事故になるだろう。
長い時間私の部屋は静まり返っていた。
私は缶詰に手をつけながら、亡くした妻の写真を眺める。写真に映る妻は笑窪を浮かべ、眩しい笑顔を浮かべていた。
地球最後の日を告げられた最初の頃は、食料品の物々交換をしている時期があった。
私たちの家には庭があり、そこで細やかながら野菜を育てていた。トマト、にんじん、長ネギ、茄子。妻がどうしても家庭菜園をやりたいというから始めたそれは、食料が不足する今とても助かるものだった。
妻は野菜を摘み取りそれを近所の人と物々交換を行っていた。どういう訳か卵を貰ってきた時もあり、その時のしてやったりとした妻の笑顔は、写真に映る笑顔よりも生き生きとしていた。
そんな生活を続けていたある日のことだった。
私は体調を崩し、いつもなら安全のために二人で外へ出るのだが、その日は「いつものところだから」と、妻は一人外へ出た。
そしてその日、妻の帰りは遅く、心配した私は近所まで赴くと妻が倒れているのを発見した。妻の隣には近所の老夫婦も倒れていた。私は妻の下まで駆け寄り泣いた。頭から出血しており抱き抱えてもグッタリとしたままで意識が無く、医学に乏しい私でも直ぐにそれを悟った。
妻は殺された。老夫婦の家は荒らされていて強盗が押し入ったのが分かった。
妻の近くにはグチャグチャに踏み荒らされた、トマトがあった。
生まれてはじめて感じる感情が腹の底から溢れ出る。それが怒りだと理解するまでに長い時間を要した。
妻と老夫婦を自宅の庭に埋葬した。復讐しよう。そう考えたが私にはどうしてもそれは出来なかった。良心の呵責。ではない。私のような中年男が一人外に出れば、すぐさま襲われる。結果は目に見えていた。
妻の仇を取れない事に泣いた。いや、私は自らが死んででも愛する者の仇を取るという事より、自分可愛さに行動できない事が情け無く咽び泣いた。
そして、すぐさま妻の元へ向かおうと思ったがどういう訳か、躊躇ってしまい、いつも済んでのところで、妻の元へは行けなかった。私は小心者だから、自ら命を断つこともできず、ずるずると今日まで、ただ生きていたのだ。
「……死にたくないな」
突然ラジオからまた声が聞こえた。
さっきまで自らの死生観を語り、黙っていたパーソナリティがポツリと呟いた言葉だった。
私は彼とは対照的に、早く死にたいと思っていた。妻に逢えるのだから。
ラジオから鼻を啜る音が聞こえる。その時が近づくにつれて、漠然としていた死という恐怖が彼を襲い出したのだろう。最初の頃の軽快さはもうどこにもない。これまで聞いてきた放送でもこんなことは一度もなかった。
二千年前、イタリアは、ポンペイで火山の噴火により国が滅んだ。彼らは自らの死を予測することは出来ず、突然の災害に見舞われ命を落とした。
死とは無縁といった、普段と変わらない日常を過ごしていたおよそ二千人の命が一瞬にして失われたのだ。
災害から千七百年経ちポンペイ遺跡は発掘された。保存状態が良好だった為、生き埋めになった人々の空洞部に石膏を流し込み、彼らの死に際の姿が再現された物がある。
遺体は人の形を残したまま後世にまで残り、ある女性の遺体は幼子を庇う形で現代まで残った。私は実物を見た訳ではないがそこに母の子への愛を見た。
数時間後、隕石が地球に衝突する。
間違いなく私は死ぬ。
愛する妻が居ないこの世界に未練など微塵もない。
ただ……ただ一つ……もし、万が一にでもだ。
私の遺体がポンペイの様に、なにかしらの形で残り後の人類がそれを見た時、分析して名前を付けて私に一体何を見るのだろうか。
私は妻の写真を傍に置いて食後の眠気に襲われるがまま、ソファーに腰掛け眠りについた。
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