玉無し芳一
芳一は琵琶法師。盲目の彼が奏でる琵琶の音は誰もが聴き惚れるものだった。その中でも源平の物語を語るのが得意で、壇ノ浦の合戦は真に迫るものがあった。
ある夜のこと。
その日も芳一は琵琶の稽古をしていた。
静寂の寺に芳一の美しい琵琶の音が響き渡る。
「失礼する」
芳一の琵琶の音を制止する声があった。
目の見えない芳一は目の前の人物が一見して分からず、その声は芳一の知る声ではなかった。
この時間、和尚ではないとすると一体誰が?と、考えていると、声の主が続けた。「其方の琵琶の音を気に入った方がいる。どうか、私と共に来てはくれぬか?」
芳一は言われるがままその声の主と共に外へ出た。
暫く歩くと芳一は大きな屋敷へと通された。
その屋敷は大きく、寺の近くにこんな屋敷はあっただろうか?と、疑問に思っていると先の人物が言った。「芳一殿、こちらで御座います。どうぞここにお座りいただき、その琵琶の音をお聞かせください」
芳一は言われるがままその場に座り込んだ。耳に神経を集中させると、どうやら芳一を取り囲む様に人が集まっているようであった。
芳一は一呼吸置いて、琵琶を弾いた。
最も得意とする壇ノ浦の合戦を弾いてみせた。
すると周りからシクシクと涙する声が聞こえた。
引き終わると女声がして言った。
「我らが主は其方をいたく気に入った。今宵より7日其方の琵琶の音を聞かせてほしい。また、この事は他言無用であるぞ……さすれば褒美をくれてやろう」
それから芳一は夜な夜な寺を抜け出し、屋敷で琵琶を弾いた。
屋敷に行くようになってから4日目の日のことである。寺の和尚が芳一の姿を見て言った。「芳一よ、えらく痩せているがお前、飯を食っておらんのか?」
「いえ、しっかり食べております。最近は琵琶の稽古により一層精を出していますので……そのせいでしょう」
芳一はそう言ったが和尚は芳一の異常な痩せ方に疑問を持たずにはいられなかった。
そして、その日の夜も芳一はこっそりと寺を抜け出したのだが、その様子を和尚が見ていた。和尚は芳一の後ろをこっそりと追いかけていく。
暫く歩くと芳一は何もない、誰もいない場所でコソコソと口を動かした。和尚がそれが会話であると気づくには少しばかり時間がかかった。
それもそうだろう。芳一は何もない、誰もいない、墓場で会話をしていた。
そして少ししてその場に座り琵琶を引き出した。
その光景を見ていた和尚は確信する。芳一は悪霊に取り憑かれている。と。
次の日、和尚は芳一に言った。「お前が夜な夜な呼ばれているのは、平家一門の亡霊である」
これ以上、あの場に行っては行けない。そう言って和尚は筆と墨を取り出した。
「な、何をするのです?」
「お前の体にお経を描き、亡霊からお前が見えないようにする」
「な、なんとそんなことが……」
「体中至る所に書き込むからな。抜けがあったらそこだけ亡霊に見えてしまう。しっかり耳にもお経を描くぞ」
そう言って、和尚は芳一の身体の隅々に至るまでお経を書いた。
「よし。これでいい。芳一よ本日一晩、服を着るな」
「な、なぜです?」
「服を着たら亡霊からは服だけが浮いて見えて不自然であろう」
芳一はそれを聞いて、「なるほど」と納得してその日一晩を裸で過ごすこととなった。
「芳一殿、お迎えにあがりました」
亡霊が寺にやってきた。しかし、亡霊に芳一の姿は映らない。
「はて?芳一殿、約束をお忘れか?我が主人は貴方の琵琶の音を欲している」
亡霊は部屋をくまなく探すが芳一を見つけることができなかった。
「ふむ。困った。これでは主人に示しがつかぬ」そう言って、亡霊はふと足元を見た。
「ぬ……!これは⁉︎」
翌日、和尚が芳一の元へ向かうと芳一は、見るも無残な姿となっていた。
「あら〜和尚さんおはよう♡今朝は早いのねー♡」
「な、なんだ、その口調、その着物は……?」
芳一はなぜか女物の着物を着ていた。
「よ・く・分・か・ら・な・い・ん・だ・け・ど、朝起きたらこうなってたの♡」
「うーむ。なんとも聞き苦しい。なぜそんな女の様な口調、出立ちに……もしや」そう言って和尚は芳一の着物の帯を引っ張った。
「きゃーー」
芳一の着物がはだけていく。そして和尚は気づく。昨晩のお経を書き忘れた箇所を。和尚は芳一の股間を覗いた。
無いのだ。そこにあるはずの芳一の芳一が。
そう、昨晩亡霊は床に芳一の陰嚢だけが見えていた。それを亡霊は仕方なしと、むしり取り帰っていったのだ。
「すまぬ、芳一よ。私のせいで……私の……」
和尚は泣いて謝った。その後芳一は玉無し芳一として世間に知られたが、琵琶の音は変わらず健在で陽気な性格と相まって皆の人気者になったとか、いないとか……
【完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます