完全なる自殺スイッチ

 2123年 9月1日。


 俺の目の前に1つのスイッチがある。

 赤いボタンに四角いハコ。

 それはクイズ番組で早押しに使用されている物のようだった。俺はそれを畳4畳ほどの部屋で遠く眺めている。


 心理的リアクタンスと言う考えがある。

 人間は自由を抑制されるとそれに反発しようとするのだ。中高生がタバコやアルコールに興味を示すのはこれに起因するからだと考えられている。

 例えば「絶対やっちゃいけないよ」だとか、「あそこには行っちゃだめ」であったり、「みんなには内緒だよ」と言われると、『やりたくなるし・行きたくなるし・話したくなる』これは人間の動物的習性の一部だ。

 あぁ、そうそう、テスト勉強をしないといけないのに、ついつい漫画を読んでしまったり、いつもはやらない自室の掃除を始めてしまうのもこれのせいだと言われている。

 

 アメリカで昔行われた実験では、殺風景な部屋に椅子と机、そして赤いボタンを用意してそこに「絶対に赤いボタンだけは押しちゃいけないよ」と伝えた子供を中に入れる。するとどうだろう、子供達は約束したはずなのに皆んなボタンを押してしまった。年齢が上がるにつれて我慢する時間は比例し伸びたが、最後まで押さずに我慢出来た者はいなかった。


 これは大人に行った場合も同様だ。

 むしろ大人は時間が経つに連れて、その部屋に閉じ込められたと疑心暗鬼に陥ってボタンを押してしまう。いつからボタンというものが人間社会に根付いたのかは、意外にも分かっていない。けれどボタンとは変革の象徴である。それを押した後と前では何かが変わると考えてしまう。人は……いや、哺乳類は好奇心旺盛な生き物なのだ。


 スイッチが自宅に届いて3日。

 机にそれを置いて以降、俺は一度も触れていない。


 スイッチが届いたときは、「遂に俺の番か」。と、呟いただけでどこか冷静な自分がいることに驚いた。


 昔は人口が減少していたらしいが現代いまじゃ考えられない。そんなの教科書に出てくる歴史の中の話だ。

 スーパーボールが放物線を描くように落下すれば、地面にぶつかってバウンドする。それと同じで一度減少した人口も地面にでもぶつかったのか、バウンドして再び増加した。人口が増加した明確な理由も確か授業で学んだ筈だがよく覚えていない。第三次ベビーブームに連なって第四次、第五次とベビーブームが続いたとかそんな理由だった気がする。

 食べ物による影響が大きいと聞いたこともあるがそれは眉唾というものだろう。昔からある陰謀論の一つだが、少子化を打開するために政府が2020年代から食品に性ホルモンの分泌を促す薬剤を入れていただとか言う話があった。その薬は思った以上の効果を発揮し後世にまで体質が遺伝する副作用があったとかそんな話で、流石にそれはこじ付けが過ぎると笑われていた。


 俺は現在畳4畳ほどの部屋で暮らしている。

「金が無いからか?」と問われればそうではない。人口が多すぎる故、土地が余っていないのだ。むしろ俺の暮らしは現代のスタンダードだと言える。畳4畳の部屋に赤いボタン。まるでさっき話したアメリカの実験ではないか。


 それで現在、膨れ上がった人口を抑制する為の措置が取られる様になった。

 それが、だ。国がランダムに選出した国民にのみ送られるそれはその名の通り、押した者を死に至らしめる。

 マイナンバー制度が浸透して少しした頃から出生直後の赤ん坊にマイクロチップを埋め込み、より国民を管理しやすい制度が確立した。

 そのチップは、身分を保証するものであり社員証や定期券として使え、バイタル管理までして、生まれて死ぬまで24時間365日データを計測され続ける。

 GPSの役割もあるため誰がどこにいるか一瞬で分かる。犯罪が激減したのもこのチップによるところが大きい。これらはプライバシーの権利から、本人と本人が認める者にのみ公開される。大抵家族間や、恋人といった具合に余程の関係でなければ、見せることはないし特別興味が湧くものでもない。

 警察やらに提示を求められた際などは速やかに出すのが基本だ。ただしバイタルチェックだけは毎日24時に国の機関に送られ『健康で文化的な最低限度の生活が送られているか』を記録されている。


 そして、そのチップは完全なる自殺スイッチとも連動し、スイッチを押すとチップから特殊な信号が流れて苦しむ事なく安らかに死に至るのだ。


 この制度は事実上の安楽死制度だが、どう言うわけか、まだこの国では安楽死は認められていない。安楽死を認めてしまうと、「また過去の人口減少社会が再来する」だとか、「末期の病を患っているならまだしも、健常な人間まで簡単に死ねる様な制度は過去の歴史を紡いだ人々への侮辱に値する」と言った理由から認められていないらしい。が、後者の考えは完全なる自殺スイッチ制度と考えが矛盾すると指摘する学者も多く、過去には何度もそれで論争が行われていた。


 これは、俺の持論だが動物は密集度が高くなると攻撃的になるらしい。パーソナルスペースを侵害されるからだとか色々理由はあるが、中でもハムスターは、その見た目から想像もつかない行動をとる。彼らを狭い箱に十数匹程入れて観察すると驚くことに共喰いを始めるのだ。可愛い見た目とは裏腹にやる事がエゲツない。けれどそれは人間にも言えることだ、共食いこそせねど人間は殺し合う。戦争がその最たるものだ。膨れすぎた人口の間引きを行うために、太古よりDNAに刻まれた野生的な一面が人間にもあるのではないだろうか。そしてその延長線に完全なる自殺スイッチがあるのだと俺は思っている。

 

 まぁ、俺には大した学がある訳でもないので、これらのことを考えてもキリが無い。


 要は、くじ引きで当たりを引いたのだ。

 今年で28になる俺だが、10歳でスイッチが届く者もいるし2歳なんてケースもあった。挙げ句の果てには産まれてチップを埋め込まれて直ぐにスイッチが来る者だっている。


 そうそう、スイッチを押さなかった場合だが、その時は役所の人間が直々にやって来るらしい。それでもスイッチを押すのは渡された本人でなければならず、スーツ姿の男がずっと監視するのだと言う。

 他人がスイッチを押した際は殺人扱いになるためだとかそんな理由から本人が押すのをずっと待つのだ。過去にはボタンを押すのを拒み続けた者がいたらしいが、寝ている間にボタンを押されるのではないか?と疑い、ほとんど寝ることなく起きていたらしい。が、いつの日にか鬱病のような症状と集中力を欠いて、冷静な判断が出来ないままボタンを押したと言う話しを聞いたことがある。それ故に彼ら黒スーツは、死神と呼ばれ忌み嫌われている。


 だが、面白いことにその死神にも例外無くスイッチは届く。そう、この国の国民である限り誰一人この制度から逃れることは出来ない。それが国民の義務なのだ。故にスイッチが届いたら皆、諦めたようにそれを押す。もはやこれは運命だったと言っても過言ではない。届いた初日は呆然としながらも、2日目にはそれを受け入れ親しい人との別れを惜しみ、3日目にはボタンを押す。



 だから俺もボタンを押した。


 心理的リアクタンスの影響か、この国の国民としての義務意識なのか、はたまた自分の意思か……運命の強制力なのか知らないが俺はボタンを押した。


 一瞬、視界がグニャっと歪んだ風に見えたがあっという間に眠気に襲われそのまま瞼を閉じた。

 _____


「国民番号A-6351762jpがスイッチを押しました」

「よし。速やかに遺体を回収してこい」

「はい。かしこまりました……それにしても遺体を速く回収する者と後回しにする者といますが、理由はあるのですか?」

「お前は知らなくていい。ほら速く行け」

「……はい。失礼しました」



「そうだ、お前は知らなくていい。確かに人口増加ゆえ、間引きをする必要はあるがそれは謂わば隠れ蓑。実際は海外の富裕層に高値で臓器を売買しているんだ。マイクロチップが臓器の適合するドナーを見つけ、完全なる自殺スイッチを送る。言ってしまえば、この国の国民は輸出用の商品と言ったところ。この国はもはや人間製造工場なのさ」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る