第4話 トマソンと争いごと

 更に数分もの間、山道を歩き続けていると急に視界が開けた。


「お、ここか」

「……やっとですか」


 明彦と狭間さんが安堵したように声を漏らした。

 そこは茶色い土がむき出しになった広場だ。もっとも何かのイベントができるようなものではなく、レンガや鉄筋コンクリートの残骸がごろごろと転がっている。また平地ではなく、崖のように切り立ったところもいくらか見受けられる。


「ここっていったい何だったのかしら?」


 星原が興味を引かれたのか、辺りを見回していた。


「四谷先生の話だと文化や芸術の勉強をさせるための教育施設を建設していたらしいんだけど、七年くらい前に集中豪雨があって土砂崩れを起こして半壊したとか言っていたな」


 一方、片倉先生は感慨深げに建物跡を眺めている。


「私が学校にいたころは、まだこの建物は無事だったんだ。……壊れているのは残念だけれど懐かしいな」


 初めてこの人が人間的な感情を見せた気がする。


「それじゃあ、僕らはボールを探してますんで。先生も良かったらこのあたりを見て回ったらどうでしょう」

「じゃあ少し歩いてくるよ。……くれぐれも危ない真似はしないようにね」


 そう言って彼女はすぐ右手に見える土砂崩れで出来たのであろう土山の向こうの方へ歩いて行った。そのまま片倉先生が姿を消したところで、待っていたかのように狭間さんが薄ら笑いを浮かべながら僕の顔を覗き込む。


「月ノ下さん。さっきここは学校の文化施設が建てられていたと言っていましたね」

「え? ああ」

「実はですね。例の曜変天目が展示されていたのが、かつてあった文化施設だったと聞いています。……つまりこの場所で曜変天目は無くなったのですよ。もしかしたらこの近くに隠されているかもしれませんよ?」

「そ、そうかなあ」

「ええ。可能性は高いはずです。さあ、早速調べましょう!」


 彼女は待ちきれないと言わんばかりにシャベルを取り出して歩き出した。明彦も彼女の後ろについて意気揚々と進む。


「よっし! それじゃあ真守と星原はがれきのこちら側に変わったものないか見てきてくれよ。俺と狭間でこの反対側の方を調べてみるから」

「わかった。……まあ、宝とやらの信ぴょう性は置いといて。一応調べてみようか」

「そうね」


 残された僕らは顔を見合わせて頷いたのだった。





 僕と星原は雑草と瓦礫が散らばる丘の上の空き地を歩き回りながら周囲を睥睨する。左手には文化施設の跡らしいコンクリートの塊があり、目の前にはなだらかな下り坂が続いている。


「ねえ、向こうに石垣が見えるけれどあれは何なの?」

 彼女が指さしている右方向に目を向けると、そこには大きめの石がいくつも組み上げられて造られた壁が立っていた。もっとも四谷先生が言っていた七年ほど前の集中豪雨の影響なのか、半分以上崩れかけて土に埋もれている。


「ああ。この場所の隣に武家屋敷の跡が隣接していたんだそうだ。多分建物とかはとっくの昔に無くなったんだろうけど石垣の跡だけが残っているんだろうな」

「そうなの。……それ自体はあの白い鳥とも盗まれた陶器とも関係なさそうだけれど」

「そうだな。明彦は変わったものを探してくれ、といったがどんなものを探したもんかな」

「さてね。あの盆景には白い鳥が置かれていたけれど、そもそもここと何か関係が……あら?」


 彼女が言葉の途中で困惑したような声を上げたので、僕も思わずそれにつられて彼女の目線を追った。


「何だ。あれ?」


 そこにあったのは見るものを不思議な気持ちにさせる物体だった。


 ありのままに説明するのならば、それは風雨にさらされて黒く薄汚れた「階段」と「門」である。問題はその「階段」は中途半端なところで途切れていて上がった先には何もないということだ。高さも人間の身長より少し上といった程度で展望台の役目にすらならない。階段の横にはコンクリートの瓦礫が小山のように積みあがっていたが、階段と何か関係があったのだろうか。何かの建物の痕跡にしては小さすぎる気がする。


 そしてその階段から少し離れたところに直立していたのが、少し階段より高いくらいのアーチ型の「門」だ。材質は石材のようだがところどころに補修として赤いレンガが使われている。ただ本来は門というのは外側と内側を隔てる出入り口であるはずだが、この門はただ単一で立てられているだけで左右に壁がないし、向こう側に見える景色もこちらと変わりばえがしない土がむき出しの荒れ地である。


 あえて大げさに評価するならパリの凱旋門を連想しなくもないが、それは角度によっては形がそう見えるといった程度のものだ。高さは建物の二階建て程度で材質もよくあるコンクリートとレンガなので荘厳な雰囲気はかけらもない。


「これは……トマソンというものかしら」


 星原が感銘を受けたような声を漏らした。


「トマソン? なんだそれ?」

「簡単に言うと、元々は何かに使われていた『建築物』が区画整理や周りの建物の改築のためにその機能を失って何のためにあるのかわからない状態のことを言うの。その非実用性が芸術品として作られたわけでもないのに、観測することで芸術として成立しているもののこと。数十年前のある日本の前衛芸術家が提唱した概念ね。超芸術とも言われているわ」


 つまりは、一部だけが残っていてちぐはぐな印象を与える建築物の事だろうか。


「確かにこういう何の機能もない建物の一部だけが残っていると、腕を無くしたミロのビーナスみたいに変に想像力を掻き立てるな」

「ええ。こういう階段だけが残っているのを『純粋階段』、境界になる壁が無くなって門だけがあるのを『無用門』なんていうらしいわ」

「見ていて面白いけど……例の盆景と関係があるようには見えないな」


 僕はそう言いながら、階段をもう少し調べてみるつもりで近づいた。しかし、その瞬間。


「おい! お前ら、何をしている!?」

「いや、何もしてないじゃないすか! 言いがかりはやめてください」


 僕の行動は唐突な言い争いをする誰かの声によって遮られた。どうやら門の向こう側の方から聞こえてきたようだ。驚きながらも近づいてのぞき込んでみると、少し離れたところで三人の人間が何やらもめている。


 一人は白髪交じりで作業服を着た中年男性である。格好から察するにうちの学校の用務員のおじさんだろう。同じ作業服を着た職員を何度か校内で見た覚えがある。胸の名札には「長沼」と書かれている。


 残りは二十代と思しき男女二人組で、男の方は髪を茶色に染めて両サイドを軽く刈り上げた軽い雰囲気の若者だ。面長の顔でブランド物のジャケットを羽織っている。もう一人の女は茶色の髪を首元で切りそろえてパンツスーツを着込んでいた。二人とも苛立たし気に顔を歪めている。


「とにかくここは私有地だ。早く出て行ってくれ。……警察を呼ぶぞ」

「ハイハイ、そうですか。行こうぜ」


 若い男は舌打ちをして、女もフンと鼻を鳴らしてその場を去っていく。何事かとその場で見ていると長沼という用務員は僕らに気が付いて、こちらに近づいてきた。


「君たちはうちの高校の生徒さんかな?」


 さっきまでと打って変わって穏やかな雰囲気で話しかける。


「あ、はい。……ちょっと友人の探し物を手伝っていて」

「探しもの? まあ、何でもいいがこの辺りは土砂崩れが起こって地盤が安定していないからね。あまり安全な場所ではないんだ。だから私が管理している」


 僕はとっさに頭を下げながらも弁解する。


「す、すみません。でも一応先生の許可を取っていまして、付き添いとしてここまで連れてきてもらっているんです」

「そうか。しかし最近はさっきのように不審な人間が入り込んでくることもある。トラブルが起きてはいけないし、なるべく早めに校舎に戻りなさい」

「あの、でも他の友達も一緒に来ていて。しばらくしたらすぐに出ていきますので」


 彼は「わかった。では次からは私に連絡してくれ。何か事故があった時に困るからね」と僕らに言い含めると背を向けた。長沼氏が見えなくなってから星原と僕は顔を見合わせる。


「この辺りってそんなによその人が入り込むのかしら。そんなに見るべきものがあるようにも思えないけど」

「ああ。確かにただの荒れ地だものな。あの二人は何の用で来たんだろ」


 ぼやくように呟いたところで「声が聞こえたけど何かあったのか?」と明彦が瓦礫の向こうから姿を現した。


「いや、用務員のおじさんが出てきて『ここは危険なところだからあまり立ち入るな』って注意されたところだ。……四谷先生は別に立ち入ること自体は問題ないって言ったんだけどなあ」

「ふーん、それはまた。先生の許可はとったのに怒られかけたんじゃたまらんな」


 明彦は肩をすくめて首を振って見せる。


「ところで、そっちは何か手掛かりはあったのか?」


 僕の質問に彼は渋い顔で頭を掻いていた。


「うーむ。あったといえばあったんだが……」

「え? あったのか?」

「まあ、とにかくこっちに来てくれ」


 僕は彼の言うままに狭間さんと明彦が調べていた方の空地へ小走りに向かう。星原も速足で後ろについてきた。

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