第4話 御旗楯無の覚悟あれ

 ここで武田信虎が甲斐国を去った天文10年(1541年)現在の情勢について

記しておきたい。


 まず、武田晴信(後の信玄)が生きた時代は戦国時代である。

この時代を生きた武将としては三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)

が有名だが、晴信はこれらの武将より10歳以上年上だ。

 よって、特に若いころは生きている時代が少し異なる。


 晴信が生きた戦国初期~中期は比較的小さな勢力が日本中にひしめいており、

いくつもの国を治める大名はそうそういない。


 その原因は室町幕府の守護大名の領国分布と関係している。


 そもそも、戦国時代が始まった元凶は室町幕府の衰退だ。

詳しい説明は割愛するが、足利将軍家の権力が弱まったのに合わせて

各地を統治する守護大名(いわば室町幕府の家臣)の権力も弱まった。


 それにより、守護大名の家臣など地位の低かった者が守護大名を倒して

その統治国を乗っ取る、所謂下剋上が起こったのだ。


 しかし、大抵の守護大名は日本各地に点々と領国を持っていた。

つまり、せっかく守護大名を倒して一国を手に入れても、

その隣国を手に入れるには別の大名を相手にしなければならない。


 一国を手に入れるだけでも一苦労なのに、さらに戦ってそこを奪うには

相当な労力を要する。


 そのため、守護大名を倒した戦国大名が周辺国へ勢力を拡大させた例は

天文10年現在、後北条家や尼子家などに限られた。


 よって、日本各地に小規模な戦国大名が誕生したのである。


 

 甲斐国を治める武田家もまた一国を治める戦国大名だが、

下剋上を行い梟雄と言われた北条早雲や斎藤道三などとは大きく違う。


 武田家は昔からこの甲斐国を治める、いわば守護大名だったのだ。

その後、室町幕府が衰退してからも下剋上の流れに抗い国を守ってきた。


 その立役者が晴信の父、武田信虎である。


 信虎がその先代、武田信縄から家督を譲られた当時

武田家は存亡の危機に立たされていた。

 各地で武田家の家臣だった豪族たちが好き勝手に暴れまわり、

遂には武田家に刃向かってきたのだ。


 それを信虎は僅かな手勢で打ち破っていき、東の後北条家や南の今川家らと

圧倒的な兵力差を感じさせない激戦を展開し、遂には甲斐国を平定し

祖国を守り抜いたのである。



 その信虎を形式上ではあるが追放し、国を治めるのだから

新当主である私の肩には重責がのしかかった。


 「御屋形様、先祖代々受け継がれてきた秘宝を受け取っていただきましょう」


 武田家重臣、板垣信方が評議の場でまず持ってきたのは楯無鎧。

これは武田家の始祖で平安時代末期の武将、新羅三郎義光が

着用していたと伝わる鎧兜だ。


 「御屋形様!こちらもお忘れなくっ!」


 同じく武田家重臣でとにかく声が大きい甘利虎泰が続いて持ってきたのは

これも義光使用と伝わる御旗。所謂日章旗である。


 「おお!軍議の場で見たことはあるが、近くで見ると立派なものだな」


 これを受け取ることで私は正式に義光の後を続く武田家の当主であると

認定されたのだ。


 実際、楯無鎧は台の上に運ばれてきたから重くないはずなのだが、

私は見ているだけで重さを感じた。


 「よっ!御屋形様!」


 これらを受け取った瞬間、躑躅ヶ崎館内からは拍手が沸き起こる。

皆が私に期待しているのだ。


 ちなみにだが、御旗・楯無ともに現存しており、

御旗は現存する日本最古の日章旗となっている。

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