第3話 荻の声を聞いた

 「御屋形様、最期に人払いをお願いしたい」


 とやせ細った翁・・・荻原常陸介昌勝は武田信虎にお願いをする。


 「話したいことがあるのだな・・・、わかった」


 信虎は屋敷内にいた家臣や小姓らを退避させ、二人だけとなった。


 もう時は夕刻に近づき、ろうそくの灯火が頼りだ。


 「ご存じの通り、私は間もなく旅立ちます。

それだからこそ言える話があります」


 これに信虎はむっとする。

こういう話は大体信虎を怒らせる話だからだ。


 「うむ、聞いてやろうじゃないか」


 信虎は微妙に怒りながらも、翁の話を聞くことにした。


 「これは私の最後の進言です」


 そう前置きしてから常陸介は話し出す。


 「若殿が二十歳ほどになり立派になられた暁には、

御屋形様の地位を若殿に譲り、どこか違う国に行かれるべきです」


 「な、何じゃと!?」


 信虎は咄嗟に鞘から刀を抜き取ろうとするが、

その途中でどっちにしても死ぬということに気づく。


 「私を斬っても構いませぬが、明日まで持つかも分からない身を

斬るのが最善の道か、よく考えてくだされ」


 「う、わ、わかった・・・、冷静に話を聞こう」


 信虎は再び座り込み、翁の話を聞く。


 「若殿が二十歳になられた時、御屋形様はまだ働き盛りの歳・・・、

そのお気持ちはよく分かります。されど、甲斐国内では度重なる戦で

疲弊による不満が高まっております。勿論、戦をされたのが悪いとは

言っておりません。これまでの戦は甲斐国をまとめ上げ、

そして肥沃な土地を得るには必要な戦だったからです」


 翁の小さい声に信虎は一字一句聞き逃すまいと耳を澄ませている。


 「もし、御屋形様が若殿に家督を譲るまで持ちこたえたとしても、

後を継いだ若殿・・・晴信様は一揆や内乱に苦しむことでしょう。

それなら、御屋形様が責任を背負って国外追放という形式で国を出る。

これは我ながら妙案だと思います」


 翁はここまで言うと疲れたのかぐったりしてしまった。

後は信虎自身で考えろということなのか。


 「わかった、晴信が立派になるまでの間によく突き詰めて、

常陸介にいい報告ができるようにしようではないか」


 信虎の返答に翁は小さく、されど力強く頷く。


 これが常陸介との最後の意思疎通だった。


 この日―天文4年(1535年)10月9日、荻原常陸介昌勝は

75年の生涯に幕を閉じたのである。


 (常陸介殿・・・この晴信、必ずやその期待に応えて見せまする・・・!)


 父、信虎からその一報を受け取った私・・・武田晴信はそう誓いを立てた。


 さぁ~さささぁ~


 その時、躑躅ヶ崎館に秋風が吹く。

それに庭の荻の葉が呼応してそよぎ、心地よい音を立てた。


 これは季語で言う「荻の声」にあたり、秋に神の声を聞いたのだという。

晴信は荻の声に耳を傾けながら、荻原常陸介のことを想うのである。


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