第2話 常陸介病に倒れる

 天文10年(1541年)の通説でいう信虎追放劇は果たして

本当に追放だったのか?


 それにしては武田領である甲斐国(現在の山梨県)の

混乱が少ないように思う。


 当然、信虎から人心が離れていて晴信が追放しても皆が信虎を見放した、

という通説も理解できる。

 

 だが、筆者はあえて違う説を提唱したい。


 それは戦争続きで武田信虎に対する不満が高まったため、

一揆における武田家の滅亡を危ぶみ自ら国を出て長男である晴信に託した、

というものである。


 そうすることにより、信虎は戦争による甲斐国疲弊の責任を取った。

そして不満が減ったところで新しい顔である晴信に統治を任せれば、

家臣や民衆は新当主に期待し付き従うであろう。


 勿論、その後も晴信に従うかどうかは晴信の手腕にかかっているのだが。



 ・・・それでも信虎は晴信に任せたのだから、信虎・晴信父子の関係は

険悪だったという通説とは違って非常に信頼し合っていたのではないか。


 しかし、信頼していてもこの決断は重かったはず。


 その決断を後押ししたのはこの男ではなかろうか・・・



 荻原常陸介昌勝。武田信虎の重臣・老臣であり若き日の信虎に

弓矢の指南をしたことで知られる武将だ。


 

 時は天文4年(1535年)秋まで遡る。


 「大丈夫か、常陸介!?」


 信虎が荻原の屋敷に入って早々に叫ぶ。

長年、この武田家を支えてきた荻原常陸介が重病を患い

屋敷内で倒れてしまったのだ。


 「常陸介はどこにおる!?」


 「は、はい!こちらに・・・!」


 荻原屋敷に勤める小姓が慌てて信虎を案内する。


 「こ、この部屋の中におります」


 部屋の前の廊下に辿り着くと、信虎はすぐさま障子を勢いよく開けた。


 「常陸介・・・!」


 「お、御屋形様・・・」


 その姿はいつもに増してやつれており、信虎は常陸介に

死期が訪れていることを悟った。


 「大丈夫か、常陸介!?」


 信虎は常陸介の枕元に駆け寄ると常陸介は作り笑いを見せ、

か細い声でこう言った。


 「大丈夫と言いたいところですが、どうやら長くないようです・・・」


 「常陸介・・・」


 どうやら本人も死期を悟っているらしい。

と、そこへ私・・・晴信も到着する。


 「大丈夫ですか、常陸介殿!」


 信虎には本当のことを伝えたが、元服したばかりで

あどけなさの残る晴信には言えないようで・・・


 「若殿、ちょっとふらついて壁にぶつけただけじゃ、心配ない」


 だが、それでも私は心配で仕方ない。

なぜなら、私も幼いころに世話になったからだ。


 「・・・本当に大丈夫なのですか?」


 「ああ、大丈夫じゃ。若殿はこれから学習の時間だから館に戻るといい」


 「し、しかし・・・」


 戸惑う私に常陸介は一言。


 「わしの体は問題ない。少し休めば治るからな。

それより若殿は元服後も毎日、学習に励むと約束した。

その約束を守ったらわしもじきに元気になる。これも約束じゃ」


 常陸介は約束を破るのが大っ嫌いな性格であり、

一度も破ったことはなかった。だから、私は常陸介を信頼し

館に戻った。


 その後しばらくの間躑躅ヶ崎館で勉強に励んだが、

父である信虎が帰ってこないのが唯一の気がかりだった。


 そして夕刻、帰ってきた信虎に知らされたのは・・・



 「常陸介は帰らぬ人になってしまった・・・」


 という現実だった。

これは荻原常陸介昌勝がその生涯で唯一、破った約束である。


 そして、この常陸介が晴信のいない間に信虎へ話したことこそ、

武田信虎が国を出ると決意する一押しになるのであった。

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