第32話 長い潜行

 那生なお日下部くさかべ先生に頭を下げた。


「ユナさん、最後に一つだけ」


「はい」


「僕はユナさんたちのように、もっと見えない世界への理解が深まるように研究を続けていきます。そしてのぞみさんに「ありがとう」とお伝えください」


「承知いたしました。私はこれで…… さようなら」

 

 そのあと、日下部先生の目の色が変わり本来の意識に戻っていた。

 那生は本来の日下部先生にお礼をいうと、カウンセリングルームを出ていった。


 **** * *  *  *   *


「ナギ、大丈夫? まだ錯綜さくそうしてる?」


 気が付くと頭が真っ白になっていた。

 あまりにも長く潜っていたため、自分がナギなのかノゾミなのか一瞬わからなくなっていた。


(私は……? 演習を終えてセツナと本殿から寮舎に戻る途中だったはず……)


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。少し混乱したけど」


「今日はもうゆっくり休みましょう」

 

(セツナが私を気遣う。もっと精神を強く持たなくては)

 

 二人は砂利道を歩き、奥の院本殿から中庭を抜けて寮舎に向かう。寮舎は社の境内の外れにあって謡女うための候補者がみんなで共同生活をしている。候補者の八人はみんなで大部屋のお座敷を共有し寝食を共にしていた。

 セツナとは実際に血が繋がっているが、物心つく前からずっと一緒だったみんなとも姉妹のようなもの。寮舎の前には一足先に戻っていた他の六人がナギとセツナの帰りを待っていた。


「お疲れ様、セツナ、ナギ」


「お疲れ様、ミヒカ、みんな。ナギがちょっと疲れていて、早めに休ませようと思うの」


「大丈夫、ナギ? 一番長かったものね」

 

 みんなが駆け寄ってきて心配そうにナギを見つめる。


「大丈夫よ。ごめんね、心配かけちゃって。もう平気」

 

 リオとセツナが優しくナギを包み込むように抱きしめた。

 いつの間にか寮母のヤノハさんが寮舎の門に立っている。

 ナギたちを優しい眼差しでそっと見守っていた。


「行こう、ナギ」

 

 セツナが私の頭を大袈裟に撫でる。


「うん」

 

 ナギはセツナと手をつなぎ、みんなと寮舎に戻ろうとした。その時だった。


「ナギ」

 

 不意に背後からミコト先生に呼び止められた。


 「はい、ミコト先生」

 

 先生は少し難しそうな表情を浮かべている。

 怒っているようではなさそうだったが、表情が読めない。


「ユナ様がお呼びです。こちらへ」


「ユナ様が……?」

 

(なんだろう?ユナ様が候補者の私を個別に呼び出すことなんて珍しい)


「みんな、ちょっと行ってくるね」


「うん、体調悪かったら無理しないでね」


「ありがとう、リオ」

 

 ナギはミコト先生に連れられて、もう一度本殿へと戻った。

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