13.感謝と名前

 初めて会話した日。

 私が飛び降りようとした日。

 なんで柳生くんは間に合ったのか。


「どうして……」

「そいつが俺を呼んで、教室に行ったんだ」

「なんで、その人は、私を」


 助けようとしたの。


 口から出かけた言葉をなんとか飲み込んだ。

 ずっと話を聞いているだけだった灰色の感情が、瞬き一つせずにじっと私を見上げている。

 そのことにひやりとしたものを感じつつ、私は笑みを貼り付ける。

 これ以上このことに触れてはいけない。

 でないときっと、またこの感情が私を飲み込んでしまうから。


「ありがとうございます」


 ゆっくりと頭を下げる。

 そして頭を上げたら今度は、柳生くんに微笑む。


「柳生くんも、ありがとう」


 口を開けて、迷うように視線を泳がせたあと、一度口を閉じてから柳生くんはボソッと、別に、と呟いた。


「もう帰るのか」

「うん。あ、そうだ、名前」

「名前?」


 眉間に皺を寄せて首を傾げる柳生くんに、私はうなずく。


「幽霊さんの、名前。なんて言うのかなって」


 柳生くんがすっと視線を横に逸らす。

 訊いてはいけないことを訊いてしまったのかと思ったけど、そのまま一つうなずいたので、どうやら幽霊さんのほうに視線を向けたみたいだ。


「言えないそうだ」

「え」


 予想外の言葉に、思った以上に情けない声が出た。

 すると慌てたように柳生くんが顔の前で手を振り始める。


「違うからな!」

「違う?」

「別にこいつがお前のこと気に食わないとか、そういうんじゃないからな! そうじゃなくて、えっと、そう、色々な事情があって! どうしても! 言えないだけ! だからな!」


 わかったか!? なんて必死の形相で言う柳生くんに、思わず笑いが漏れてしまう。

 いけないと思って口を抑えたけれど、柳生くんはわかりやすく頬を膨らめてむくれてしまった。


「……なんだよ」

「ごめん、ちょっと面白くて……」

「人が必死に慰めてんのに面白がるなよ」

「ごめ、ふふ……っ」

「おい!」

「ははっ、あははっ」

「ああ、もうっ!」


 ガリガリと頭を掻きむしる柳生くんに、私はとうとう笑いが止まらなくなってしまう。


 そのときだった。


「未結、なにしてるの……?」


 強ばった声。

 聞き覚えのあるその声に、笑いが止まる。


 油を刺し忘れた古いロボットって、きっとこんな感じだろう。

 そう思うくらいに、ギシギシと音を立てて首を回す。


「アリサ……」


 風が一筋、彼女のグレージュの髪をさらりと撫でていった。

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