14.背中

「なんで、ここに……」


 さっきまでの明るい雰囲気はどこかに消え、心臓が嫌な速さで音を立てる。

 灰色の感情が口をパクパクと動かして、言葉を発し始めた。

 耳を貸してはいけない。そう必死に自分に言い聞かせて、私はアリサを見つめる。


「自販機に行ったら、未結の声が聞こえてきて……。未結こそ、なんで柳生と一緒にいるの?」


 話すなって言ったよね、と言いたげな鋭い視線が私を刺す。

 ここでアリサの望む答えは、たまたまだよ、とか、偶然会ったからちょっと挨拶しただけだよ、とか、そういう言葉なんだと思う。

 でもそう答えるのは、柳生くんと話すことは悪いことなんだと、言外に柳生くんに伝える行為なわけで。

 それに気づかないほど柳生くんは鈍くはないはずだ。

 だけど素直に答えれば、アリサを裏切って会話をしていたことがバレてしまうわけで。


 どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 柳生くんを傷つけたくない。

 でも、アリサも傷つけたくない。


 答えなきゃ。

 でもなんて?


 喉の奥が干からびていて、言葉が上手く出てこない。


「俺が、話しかけたんだよ」


 うしろから、低い声が聞こえた。

 ずっと私を見ていたアリサの視線が、私のうしろにずれる。


「柳生が?」

「そいつ、基本的に嫌って言わないだろ。だから時間つぶしにちょうど良かったんだよ」

「……そう。私、小学生のときの、忘れてないから」


 私は小学校同じだったから知ってるんだけど。それでちょっと色々騒ぎになっちゃったことがあってさ。


 以前、昼休みにそんなことを言っていたと思い出す。


 アリサはそっと、左腕をさする。

 まるでそこに、なにかあるかのように。


「未結とサラになにかあったら、私、許さないから」


 睨むような視線。

 吐き捨てるような言葉。


 見た目からキツい性格をしていそうな印象を持つけれども、実際はなんだかんだ人を傷つけるような言葉は選ばないアリサ。

 そんなアリサが、攻撃的になっている。


「アリサ……?」 

「未結、気をつけて帰りなね。それじゃ」


 ひらひらと手を振って、最後にもう一度柳生くんを睨んでから、アリサは私たちに背を向けて歩いていった。


「えっと……」

「あいつになにか言われてたのか?」


 気まずくて振り向けない。

 だって、この質問にうなずいてもうなずかなくても、さっきのアリサの態度から答えはわかりきっているのだから。


「お前もあの能天気も馬鹿だろ」

「馬鹿って……」

「あいつがせっかく警告してくれてたのに」


 砂を踏む音が聞こえる。

 それは近づいてきて、ゆっくりと私の前に柳生くんが回り込んできた。

 暗い暗い瞳が私をじっと見つめてくる。


「もう、近づくな」

「近づくなってそんな」

「俺も少し調子に乗ってた。お前に近づくのはやめる」


 胸がキュッと絞られたように痛む。

 結局傷つけてしまったのだ、柳生くんを。

 中途半端に触れるだけ触れて。


 サラだったらきっと、アリサにも言い返しただろうし、こんな言葉を柳生くんに吐かせなかったかもしれない。

 あの子は、裏表がないし、自分のしたいことに対して正直だから。

 だけど私はサラじゃない。

 彼女のように、猪突猛進できる訳ではない。

 だって、柳生くんをもっと傷つけるのと同じくらい、アリサに嫌われてしまうことが、愛想を尽かされてしまうことが、怖い。


 いつかの、先生の視線を思い出す。

 呆れたような、冷たい視線。

 お腹から氷の腕が生えて、ギュッと身体中を抱きしめられるような、そんな心地を、もう二度と味わいたくなかった。


 灰色の感情が、喚いている。

 お前なんか消えてしまえ、と。


「じゃあな」

「……っ」


 去っていく背中に手を伸ばしたかったのに、腕は上がらなくて。

 私はただただ、その場に立ちつくすことしか出来なかった。

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