第九章

第九章 ①

「うわー、すごい。本当におっきいんだね」

「だろ? 実を言うと、一回見たことある俺でも気圧されている」


 悠姫は、烏汰さんの家の塀を見上げてそんな声を上げていた。ただでさえ大きな塀なのに、紫水の小さめな体に悠姫の魂が宿っているせいで相乗効果が発動して、余計に大きく感じるんだろう。

 そして俺は、そんな悠姫をさておいて、初めて訪れたときは五分ほど躊躇した屋敷のインターホンを、臆することなく鳴らす。

 すると、それから待つこと約二分。庭へとつながる扉がゆっくり開き、そこには、相も変わらず二、三十代と見間違えてしまうくらいに若く綺麗な、母さんのお兄さんである烏汰さんが立っていた。

 一瞬、インターホンに応答せずに訪問客をここで対応するのはどうかと思ったが、よくよく考えたら、今日来ることと、さらにどのくらいの時間帯に来るかを伝えてあったので、そこまで変なことでもないのかもしれない。


「ご無沙汰してます」


 俺は、できるだけ自然な笑みを浮かべながら、烏汰さんに挨拶する。初対面の時ほどの緊張はないが、それでも多少は緊張してしまう。


「ああ.........って言っても、数日ぶりだけどね」

「まあ、確かにそうですね」

「それで、どうだい? ちゃんと、自分の納得のいくような結論は出せたかい?」

「......はい」


 俺は、烏汰さんが投げてきた、俺を試すような言葉に深く頷いた。

 正直なところ、未だに自分の出した結論が正解なのかということは分かっていない。だが、納得はした。この言い伝えの後のどのタイミングで記憶が蘇ろうとも、絶対に後悔はしないという程には、決意は固まっている。

 そんな俺の決意を何処から見抜いたのかは定かではないが、烏汰さんは嬉しそうに、というよりも、安堵するように笑みを浮かべた。


「そうか、それは良かった」

「すみません。ご心配をおかけしたようで」

「いや、いいんだ。僕が心配性なだけだよ。なんせ、この言い伝えをこの身で体験するのは初めてだからね。......まあもっとも、これから起こる言い伝えもすべて初めてになるわけだけど」


 烏汰さんは、柔らかな笑みを浮かべながらそう言うと、もうこの話は終わりだと言わんばかりに、今度は悠姫に話を振る。


「......っと、それで? 君が金村さんかな?」

「あ、はい。お初にお目にかかります。詩遠の幼馴染の金村悠姫です」

「こりゃまた礼儀正しいお嬢さんだこと」

「いえいえ」

「.........それじゃあ、とりあえずうちに上がりなよ」


 悠姫との社交辞令のような挨拶を終えた烏汰さんは、そう言いながら、俺と悠姫を屋敷の中へと招き入れる。

 そんな言葉に俺と悠姫は頷き、足をそろえて家屋へと向かった。

 屋敷の中に入ると、前と同じように無防備に置いてある玄関の骨董品やら絵画やらがお出迎えをしてくれた。声にはしないものの、悠姫もそれなりに驚いているようだった。

 俺たちにはここまでの田舎の感覚が分からないのだが、このようなものを玄関に飾っていても盗まれたりはしないものなのだろうか。それも、こんな広いお屋敷なのに。

 ......いや、そんなことは今どうでもいい。何も俺は骨董品を見に来たんじゃないんだ。見入ってしまわないようにそそくさと靴を脱ぐと、俺と悠姫は烏汰さんに先導され、長い廊下を数十秒歩いたところにあるこの前も来た客間に通された。

 畳が敷かれている十畳ほどのその部屋には、これまた高そうな掛け軸が数本壁にかかっていて、部屋の中心には年季が入っていそうな木の机が鎮座している。

 俺と悠姫と、そして烏汰さんが向かい合うような形で、その机を囲んで座る。畳に敷かれていた座分屯も、ふかふかしていてとても座り心地がいい。......本当、いいものしかないなここ。そして何者なんだ環家。とても気になる。


「金村さんも、ここまで来たということは、大体の事情は聞いているよね?」


 と、そんなことを考えていると、烏汰さんは分かりやすく咳ばらいを一回してから、優しい声音で、ゆっくりと話を始めた。

 悠姫はそんな烏汰さんの言葉に小さくうなずき、それを確認した烏汰さんは、言葉を続けた。


「正直、僕からはこれ以上話すことはない。詩遠君には伝えれることは伝えたからね。そして、今から最後にしないといけないことが一つある」


 今までは優し気な目をしていた烏汰さんだったが、そう言うと同時に、見たこともないほどに鋭い目つきで俺をじっと見つめた。それはまさに、研ぎに研いだ包丁を首に突き付けられているかのような感覚に陥る。思わず、脂汗が額に浮かぶ。

 何かをのぞき込むように、探るように、その目線は俺を貫いた。


「詩遠君。君の出した結論を教えてくれるかな」


 そんな質問に対して、俺はできる限り真摯な態度で答える。


「......俺は、紫水を生かすことに、決めました」

「...............」


 烏汰さんは、十数秒、たっぷり溜めた後、


「......そうか、分かった」


 と、そう一言だけ口にした。

 そして、祓いを行うからと悠姫を連れて客間を去っていく。..................さて、と。


「緊張したぁ」


 ホッと、安堵の息をつく。なんだかあの人に睨むように見つめられていると、息も詰まるような感じがして、緊張なんて言葉じゃ形容しきれないほどの感覚が襲ってくるんだよなあ。

 と、それはさておき、結局烏汰さんは俺の何をそこまで見ていたのだろうか。今となっては知る由も知る理由もないのだが、何故か気になってしまう。まあ大方、俺の決意の固さなどを計っていたのだろうけど。

 しんとした客間には、前みたいな風が打ち付けるような音もない。漂うは静寂のみだった。そんな部屋で、俺は二人の帰りを待つ間に、明日のことを考えることにした。

 明日は、悠姫と過ごせる正真正銘最期の時だ。そして、たとえここで祓いをしてもらっても、俺が明日悠姫への未練を断ち切れなかった場合、それは意味をなさなくなってしまう。俺は今、先ほど烏汰さんから受けた緊張とはまた違ったベクトルの緊張を抱いている。

 本当に、俺は悠姫への未練を断ち切ることができるのだろうか。

 正直、わからない。

 俺があいつに抱いていた未練は見つかった。しかし、それを断ち切れるかと言われたら話は別だ。特に、恋情に関してのことは未だに不安でいっぱいなのだ。

 この胸の内に秘めている気持ちは素直に話すつもりだが、それで、未練を断ち切れたとは言えるのだろうか。俺が十数年熟成したこの感情は、そんなに単純なものだったのだろうか。

 .........素直になれなかった俺は、その程度で満足するのだろうか。

 昔を思い出すと、キリキリと胸が痛む。もう、こんな気持ちは味わいたくない。心底そう思った。そして、そう感じるのと同時に、俺は、自分が本当にしたかったことというものを考え始めた。

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