第八章 ④

——俺は、サラサラと靡く銀髪を押さえるように、悠姫の頭を優しく撫でた。

 そして、それだけではただの変態となってしまうので、ちゃんと言葉も付け加える。


「......そうだな。俺はいつも素直じゃなかった。それが故、今こんなことになってしまっているのだと思う。

 ......ありがとうな。今日は色々と助かったよ」


 そうとだけ言うと、俺は頭からそっと手を離した。

 .........って、あれ? 悠姫の反応が全くないな。昔は包丁を握る手を上から支えるだけでも嫌がってたのに。少しやりすぎてしまったかと思い、少し俯いている顔を覗き込むように様子を伺う。


「............き、急にそういうことをするのは、反則じゃないかなぁ......?」


 するとそこにあったのは、頬を紅潮させ、小さな口を開き必死にそう訴える悠姫の姿だった。こんなにも恥ずかしがっている悠姫は初めて見たかもしれない。

 しかし、いきなりやりすぎてしまったのも事実だ。この顔も延々と見ていたいが、とりあえず謝ろう。


「すまん悠姫。そこまで嫌だとは思わなかったんだ、許してくれ」

「............別に、嫌ってわけじゃないけど」

「......?」

「本当に悪いと思ってるなら............もう少しだけ、さっきのをして」

「? ああ、別にいいけど」


 俺はむくれる悠姫の言われるがままに、先のように頭に手をそっと置く。すると悠姫は、満足げに、それでいて恥ずかしそうに笑った。


「詩遠でそうされてると、不思議と安心する。お父さんみたい」

「......うっせえ。俺はそこまで年は食ってない」


 そんな軽口を叩くも、内心、不思議と悪い気はしていない。


「それで? 俺はいつまでこのままでいればいいんだ?」

「うーん、そうだねえ。私の気が済むまでかな」

「ははは、そりゃ長丁場になりそうだ」


 結局、それから三十分近くの間、俺の手は悠姫の頭に占領されていた。

 だが、一生に一回くらいはこんなことがあってもいいなと、俺にしては珍しくそんなことを思った。

 

 

「ふぁあ.........」


 帰りの電車。夕日が差し込む車内にて、俺はあくびを噛み殺そうともせずに、そんな声を漏らした。


「疲れたなら寝ててもいいよ」


 ぼそりと、隣からそんな声が聞こえる。しかしその声はあまり力が籠っておらず、それは悠姫も眠いのだということを示唆していた。

 だがまあ、身体の弱かった悠姫はいつもこのセリフを言われる立場だったわけで、一度言ってみたかったというのもあるのだろう。ここは寝るフリだけをしてその言葉に乗ってやってもいいかもしれない。


「そか。じゃあ、降りるときになったら起こしてくれ。とは言っても、数駅しかないけどな」

「りょーかい。任せて」


 俺はそんなやり取りを終えると、一応目を瞑る。いつ何時悠姫がこちらの様子を伺うかなんてわからないからな。

 .........しかし、これはこれでキツいところがある。この睡魔が襲う中、起きたまま目を瞑ることはとても難易度が高い。何なら、普通に起きておくことよりも難しいかもしれない。.........いっそ、本当に悠姫を信じて寝てみるか? 

 いや、それはかなりの博打だ。そもそもこいつは昼間あんなにはしゃいで————



「——詩遠、詩遠ってば」

「............ん? もう新陽星か?」

「そうだよ。起きて」

「すまん、つい寝込んでしまった」

 俺は寝ぼけ眼を擦りながら、悠姫に謝罪と礼をする。

「じゃあ、私はこのままあと二駅乗っていかないといけないから、ここでお別れという言ことで」

「大丈夫か? 何なら送ってくぞ? .........って、今まで寝てた俺が言うのもおかしいか」

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。まだそこまで遅い時間じゃないし」

「まあ、それもそうだな」


 俺は荷物を持つと、おもむろに立ち上がり、依然としてシートに座っている悠姫と向き合った。


「今日は楽しかった。最期に悠姫との思い出が作れて、嬉しかったよ」

「......でも、結局忘れちゃうんでしょ?」

「忘れていたら思い出すだけだ。河津桜の花言葉も知らないといけないしな」

「ごめんごめん、冗談だって。私も、楽しかったよ。......それじゃあ、また明日ね」

「ああ。また、明日」


 俺はそう言い、小さく手を振ると、閉まりかけのドアを駆け足でくぐった。

 後ろを振り返ると、悠姫が窓越しに手を振ってくれているのを見つけた。ホームには人がそれなりにいるので、アニメのワンシーンのように電車を走って追いかけることはできないが、その代わりと言わんばかりに、俺は大きく手を振った。


 電車を見送ると、俺は帰路で独り、何処か感傷的な感情を抱いた。悠姫と過ごせる時間はあと二日しかないのだと、そう思うと自然と心が締め付けられるように痛くなる。

 だが、そんなことは言ってられない。ここで心が揺らいでは、烏汰さんや母さん、そして悠姫には一生顔向けできない。俺は、悠姫に対しての未練を断ち切り、成長しなくてはならないのだ。

 そうもう一度心に刻むと、俺は今までよりも強く地面を蹴った。



              第八章 終

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