第三章 ③
俺は、昨日から起こっている摩訶不思議で出鱈目な出来事を、俺が認識している範囲のすべてを母さんに話した。
母さんはその話を、眠っているのではないかと思うほどに静かに聞いていた。
というのも、俺は話している間、怖くて母さんの顔を一秒たりとも見れなかったのだ。もしかしたら、可笑しくて笑っているんじゃないかって思ってしまって。
それくらい、俺が今話したことは、普通の人には受け入れがたい内容なのだ。
俺は一通り話し終えると、ここでようやく、ちらりと母さんの表情を一瞥した。
「.........ぇ?」
そしてその表情を見た俺は、極限まで小さくではあるが、思わずそんな声を漏らしてしまった。てっきり声を殺して笑ってでもいるのかと思ったら、そんなことはなく、むしろ、神妙な顔をしながら何かを考えこんでいたのだ。
「......ねぇ、詩遠」
思わず母さんの顔をぼーっと見てしまっていたからだろうか。そんな母さんの声に驚いて小さく肩を震わす。
「な、なに?」
「詩遠さ、最近悠姫ちゃんのことを強く想ったりした?」
............えーと、何だって?
いろいろと整理が追いついてないんだけど、まずは。
「『強く想う』って、どういうこと?」
すると母さんは、待っていましたと言わんばかりに、ほとんど考える時間を要さずに言葉を返してくる。
「例えば、今更悠姫ちゃんに未練を強く感じたりだとか、生き返ってきてくれたら、なんて思ったりとか」
......なる、ほど?
うん。『強く想う』の定義は分かった。けれど、何で今それを聞くんだろうか。もちろんこの後の話につながってくるのだろうが、そもそも、今起きてる現象に心当たりがあるというのもなんとも妙だ。
......しかし、どうだろうな。今更かどうかは知らないが、悠姫に対する未練は山のように残っている。
その旨を伝えると、母さんは依然として真剣で難しい顔をしながら、言葉を紡いだ。
「それ、もしかしたら『環姓の言い伝え』が関係してるかもしれないわね」
な、なんだって!?
俺はテンプレじみた驚き方を脳内で披露する。
............ところで、環姓の言い伝えって何ですか。
俺はほんのりと痛む頭を働かせるが......うーむ、やっぱり初見の単語だ。
しかし、母さんの顔はやはり真剣そのものだった。嘘や冗談を言っている素振りはない。っていうかこれでもし冗談だったりしたら、俺はこの人と親子の縁を切るかもしれない。
「昔あんたにも話したことなかったっけ? その顔は.........知らないようね。しょうがない、端的に言うわ。『環姓の言い伝え』って言うのは......死んだ人の魂を他の人に宿らせる言い伝えよ」
ゾクリ。そんなオノマトペが似合いそうなほど、俺の体には鳥肌が立った。
主に、最後の言葉を聞いてから。
しかしそれは、あまりにも非科学的で非現実的なものだった。
普通の人なら、ふざけるなと怒り出してしまいかねないほどに。
俺だって、そんな話を信じたくはない。
けど生憎、俺が現在進行形で体験している出来事も、普通の人なら信じられないような非科学的で非現実的なものなのだ。
故に俺は、母さんの言った『環姓の言い伝え』が今回の件とかかわっている確率はゼロではない、いやむしろ、可能性が高いのではないかと思ってしまう。
「あ、あと強く想えば想うほどに、その人の魂の純度が高く宿るらしいわ」
「.........と、言いますと?」
重要なはずの追加情報だったが、あまりにも環姓の言い伝えとやらの基礎知識が少なすぎるのと、思考を巡らせようとすると頭が痛むのとが相まって、俺は早々に自分で考えることを止めた。
まあ、母さんが説明してくれるからいいだろう。
「残念、詳しいことは私にもわからないわ」
......おい。
ってか、母さんが分からないならもうお手上げじゃないか。
そして、そんな俺の呆れとも怒りとも取れそうな目線を感じ取ったのかは知らないが、母さんは勢いをつけて立ち上がり、おもむろにポケットからスマホを取り出し操作しながら、部屋を出て行った。
おいおい、無責任にもほどがあるだろ......
仕方ないので、俺は俺と母さんが早々に投げた匙を拾い、頭痛がひどくならない程度に、脳を動かし始めた。
......とは言ったものの、さっき俺が匙を投げた理由との一つである基礎知識が足りないということが解決しない限り、俺一人では何も考えることなんてないんだけど............いや、ちょっと待て。
母さんは強く想えば想うほど魂の純度が高く......って言ってたよな。それってつまり、強く想った程度で魂の純度が変わるってことだろ?
そして、魂の『純度』って言うのがよく分からないが、俺の推測でしないけど、もしそれが、『魂が宿る人に適応される記憶等の程度』だとすれば......
悠姫の魂が宿った紫水がいつも通りのルーティンができていたことについても説明がつくのではないか......?
カチリと、俺の頭の中に散らばっていたモザイクだらけののパズルが、一部分だけ綺麗にはまる。俺は思わず武者震いをした。
そしてそれとほぼ同時に、つい数分前に出て行った母さんが、出て行った時と同じようにスマホを操作しながら戻ってきた。トイレか何かだろうか。
しかし母さんは開けた扉も閉めずに、入口辺りで一言も発さずに、ずっとスマホを操作している。
そんな状況が数秒続いた後、母さんはスマホを操作していた指をぴたりと止め、あろうことか、そのままスマホを俺に向かって投げてきた。
まあ、俺に向かってって言ってもさすがに下投げだけど。だから投げるっていうより放るって感じかな。
いやあ、それにしても、最近のスマホって年々大きくなってきて、逸れよ比例するように重量も片手で操作するのが少ししんどいくらいまで重くなったよな。
.........つまり、何が言いたいかというと、腹部に直撃するととても痛いです。
みぞおちじゃなかっただけマシだというべきなのだろうか。俺はスマホを放ってきた張本人である母さんをキッとにらむも、当の母さんは悪びれる様子もなく顎をしゃくって俺に指示してくるだけで、何も言葉を発さなかった。早くスマホを見ろということだろう。
まだかすかに痛む腹を擦りながら、俺はスマホを手に取る。
そしてそんなディスプレイに表示されていたのは.........何だこれ、メモ? 文面を見る限りどこかの住所が書いてあるみたいだけど。
今度は疑いの目で母さんを見上げるように見る。
すると母さんは、さっきまで固く結んでいた口をようやく開けた。
「話はつけてあるから、明後日その住所の場所に行きなさい」
そんな言葉に、俺は頭の中に疑問符が乱立した。
まず一つ目。
「話を通したって、誰に?」
「私よりも環姓の言い伝えに詳しい人よ。あんたから見たら伯父にあたる人ね。......まああんまり会ったことないだろうし記憶には薄いだろうけど」
なるほど、そういうことだったのか。ということはさっき部屋から出て行ったのは電話でもするためだったってことか。
しかし、俺の疑問はそれだけではない。
ってなわけで、疑問二つ目。
「何でこんなに遠くに住んでる人なの? 母さんって確か四人兄妹だったよね」
「文句を言うな文句を」
そんな至極当然のように思われる返答に、俺は少し違和感を覚えた。
もしかすると.........
「母さん、もしかして他の兄妹と仲悪かったりするの?」
母さんは普段から、何かをごまかす時に返事が簡潔になるきらいがある。
すると母さんはそんな俺の考えを察したのか、軽く俺の頭を叩いてから反論してくる。
「変な推測するんじゃないの。......そんなんじゃないわよ。この言い伝えはうちの家系でも男の方がよく知ってんの。環姓の言い伝えを解決する知識も持っているはずよ。........まあ、他の兄妹と仲がいいかと聞かれると微妙だけどさ.........」
なんか最後のあたりが小声に加え早口になっていたが、まあ、気にしないでおこう。
......にしても、こんな辺鄙なところにこの年で行くとは思わなかった。俺はスマホに記されていた住所を自分のスマホのメモ帳に写しながら、そんなことを思った。
確かこの地域、この前テレビの秘境特集でも取り上げられてたところだったはず。
入力を終え、スマホを母さんに返す。
そしてその途中で、俺はあと一つ疑問が残っていたことを思い出す。
「あ、そうだ。あと一つだけ質問いい?」
一応質問をしてもいいか聞く。
すると母さんは、俺からスマホを奪うように取り返してから、静かに首肯した。
「......何で明後日なの?」
「.........あんたが完全に風邪治ってないと向こうに迷惑だし、そもそも昨日の今日で押し掛けるのも悪いし。.........それと、これはさっき聞いだんだけど、環姓の言い伝えは遅すぎると取り返しがつかなくなるらしいからさ、明後日くらいが丁度いいんじゃないかって」
なんだ、ごくごく普通の理由だったな。......最後以外は。
いやなんだよ取り返しがつかなくなるって。怖過ぎるよ......
「じゃあそういうことで。.........あ、それと」
俺の質問に答えるや否や部屋を出て行こうとした母さんだったが、ドアをくぐって閉め終わる直前に、付け足すようにそう言う。......そして、最後はえらく長い間の溜めを作ってから、静かに言った。
「......何か困ったことがあったら相談しなさいよ。これは、あんた一人の問題じゃないんだろうから」
それだけ言うと、俺の返答を待つ気もないようで、さっき閉じかけていた扉をさっさと閉めて出て行った。
.........あんただけの問題じゃない、か。
ふと脳裏に、とある二人の女性の笑顔が映る。
俺の唯一の幼馴染と、俺の唯一の後輩。
環姓の言い伝えについては何一つ詳しいことを知らないが、今回の件は、決して軽いものではいと、俺の第六感がささやいている。
壁にかかるアナログ時計をちらりと見た。その時計曰く、時刻はもう午後三時を回っているらしい。しかし不思議なことに、腹は全く減っていなかった。
そんなとき、ポコン、という効果音が静寂に支配されていた部屋に鳴る。
友人の少なさには自信がある俺は、久しぶりにこの音を聞いた。......そう。メッセージアプリのメッセージ受信音だ。
俺はゆっくりとスマホを手に取り、紫水とのチャット画面を開いた。
すると、数秒前に受信したばかりの新着メッセージが表示された。
『詩遠、大丈夫? 明日は学校に来れそう?』
俺はそんな内容に対して、内容を考えながら文字を入力し始めた。
そして数秒後、『すまん、あと二日休む』というメッセージを送信した。
数秒、ディスプレイを見つめた。俺のメッセージは二十秒くらいで既読が付いた。だけど、俺はその既読が付いたことだけを確認すると、返信を待たずにスマホの電源を切って、布団に潜り込んだ。
第三章 終
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