第43話 勝敗

 伊斗也は剣を横に構え、弦義が何処から来ようと受け止める用意をした。一秒毎に成長を遂げる青年の小細工を警戒した構えだったが、予想は裏切られた。

「おおおっ」

 ダンッと地面を蹴り、弦義は跳躍する。それは伊斗也の頭上を越え、仰ぎ見る形になる。

「くっ」

 太陽の光が弦義の背後から照らし、伊斗也の視界を奪う。彼が目を閉じた瞬間、耳元を風が駆け抜けた。

「……っ」

「――はぁっ、はぁっ」

 目を開けた伊斗也は、無意識に左耳に触れた。斬撃の音が近過ぎる場所でしたために、斬られたのだと錯覚したのだ。しかし当然、そこには耳がある。

「見事、だな」

 伊斗也が視線を落とすと、剣を振り下ろした格好のままの弦義がいた。着地した姿勢の低いまま、荒い呼吸を繰り返す。

「……認めて、頂けますか?」

「ああ。認めざるを得んだろう」

 伊斗也を見上げた弦義の目は、戦士のそれだ。自ら護るべきものの為に先頭に立つ、誇り高き勇敢なる者の姿に酷似していた。

 しかしほっと息をつき立ち上がった時、弦義の雰囲気は普段のものに戻っていた。落ち着いて穏やかな青年のものに。

「弦義」

「那由他、みんな」

 戦いの結着がついたと思った那由他たちが、駆け寄って来る。心配していることが表情からありありとわかり、弦義は苦笑する。

「大丈夫だ。みんなのお蔭で……あれ?」

 視界がぶれ、靄が立ち込める。不意に足の力が抜けるのを自覚し、弦義は慌てた。

「なん、か、おかしい」

「あれだけ血を流したんだ。当たり前だろ」

 眠れ。那由他の声が耳元で聞こえ、弦義は億劫そうに頷く。そのまま、意識を失った。脱力した弦義の体を、那由他が支える。

「那由他、弦義は大丈夫?」

「ああ。……ったく、心配かけやがって」

 白慈の問いに応じ、那由他は悪態をついた。それでも眠った弦義を支える手は、全く動かない。

 和世とアレシスも胸を撫で下ろし、それから和世は伊斗也に治療場所を願った。

「このままでは、出血多量です。手当をさせて下さい」

「勿論だ。一刻も早く……向こうで」

「はい」

 ようやく止まり始めた弦義の血の跡に、白慈が布をあてた。じわりと赤く染まり、四人は青い顔をした弦義を運んで行った。

「ふう……」

「伯父様」

「桜花か」

 那由他たちを見送っていた伊斗也の元に、客席にいた桜花がルーバルクと共に近付いて来た。彼女の目が、ふと伊斗也の右腕に吸い寄せられた。

「伯父様、血が」

「ああ。流石に、こちらも無傷ではいられなかった」

 伊斗也が触れた場所は、袖の生地が赤く染まっている。じわじわと範囲を広げており、ルーバルクが青い顔をした。

「陛下、早く手当を!」

「わかっている。……さて、どうするかな」

 あの時空中から振り下ろされた剣が、もしも伊斗也目掛けて降り下ろされていたらどうなっていただろうか。

(これが戦場なら、確実に俺の命はなかった)

 ぞっとするほど正確で鋭い太刀筋に、そして相手を射殺しそうな目の力に、伊斗也は完敗したのだ。弦義の中にある王となる素質がなせる才か、と妙に納得する。

 しかし、負けたことと要求を受け入れることとは話が別だ。

「桜花、弦義殿下に『午後一時に、俺の部屋に来て欲しい』と伝えてくれるか?」

「承知致しました。ルーバルク、伯父様に――陛下について行って」

「はっ」

 コンマ一秒ほどの逡巡を見せた後、ルーバルクは伊斗也に付き従って行った。王城所有の施設ならば一人でも大丈夫だろう、と判断したためだ。

 二人の後ろ姿を見送り、桜花もまた弦義を追って反対方向に体を向けた。


 ――きみは、無理をし過ぎだ。

 苦笑する夏優咫なゆたが、眠る弦義の額に冷たい指を乗せた。その心地良さに痛みを堪える弦義の表情が柔らかくなり、やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。

 ほっとした夏優咫は、夢の世界の外側に意識を向ける。見上げると、眠る弦義を見守る那由他たちの姿が見えた。


 和世が軍で培った手際で弦義の傷を治療し、包帯を巻いた。また赤くにじんで来ることがあれば変える必要はあるが、今のところは包帯の表面は白い。

 弦義が医務室に運び込まれてから、数時間が経過した。そろそろ正午となるが、誰も動こうとしない。伊斗也の連絡事項を伝えに来ただけのはずだった桜花も、四人と共に留まっている。

「弦義殿下……」

 桜花の細い指が、弦義の頬に触れる。昨晩彼女と弦義が出会ったことを弦義本人から聞いていた那由他たちは、それを咎めない。

「どうか、目覚めて。あなたは、まだやるべきことがあるんでしょう……?」

 体温を失った弦義の頬に戦慄するが、願いを込めて目覚めを信じる。ただ昨晩話しただけの間柄だが、桜花にとって弦義は特別な存在となっていた。

 その感情を呼ぶ名を、桜花はまだ知らない。

「……っ」

「弦義!」

 伊斗也との約束の時刻まで後十分。弦義の瞼が震えた。

 ガタンと音をたて、白慈がいの一番に身を乗り出して弦義の顔を窺った。続いて那由他と和世、アレシスと桜花が続く。

 瞼が薄く開き、ぼんやりとした視線が彷徨う。それから何度か瞬きを繰り返し、弦義の顔に温度が戻って行く。

「みん、な。僕は、どうし……」

「伊斗也陛下との戦いに勝ったけど、出血が酷くて気を失ったんだ。手当は和世がしてくれたけど」

「ああ。しばらくは痛むだろうし、後も残るかもしれない。だけど、治る」

「そっか。助かったよ、心配かけたなみんな。……それから、あなたもいてくれたのか」

 まだ定まり切らない弦義の視線が、桜花を捉える。

 桜花は心底ほっとした顔で照れた微笑を浮かべ、それから真剣な顔に切り換えた。ここからは伊斗也の姪として、王の使者を務めなければならない。

「殿下、伊斗也陛下がお待ちです。お体に無理がなければ、王の部屋へおいで下さいませ」

「――わかりました。後少ししたら、必ず」

 弦義も桜花の立場を察し、身分ある者として返答をする。桜花が先に退室し、仲間たちが再び弦義の周りに集まる。

 まさか、部屋を出た桜花がその場にへたり込んだことなど知る由もない。

「弦義、その体調で伊斗也の所に行く気か?」

「那由他、陛下だよ」

 弦義によって伊斗也の敬称を使わなかったことをたしなめられるが、那由他は全く気にしない。彼にとって、敬称を付けるべき相手は目の前の一人だけだからだ。

「お前以外、俺はそう呼ばない」

「ここは、ありがとうと言うべきかな」

 思いの外真剣な眼差しを向けられ、弦義は苦笑する。どうやら、眠気も吹っ飛んでしまった。

 ベッドから立ち上がろうとしてよろめいた弦義だが、和世が引っ張り上げてくれた。

「助かったよ、和世」

「これくらいはどうってことない。それより、行くんだろう?」

「……ああ。返事を聞かないとな」

 アレシスが黙って戸を開けてくれ、白慈が弦義の背中を押す。弦義は四人の仲間と共に、伊斗也のもとへと向かった。

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