第44話 国を守る者の選択
伊斗也の執務室は白と黒にまとめられ、調度品は少ない。くつろぐための部屋は戸で繋がっており、仕事が終わればそこに直行する。
ただ今は、部屋の大きな窓を背にして大きな机を前にペンを走らせている。書類仕事の多くは部下に任せきりだが、時々は自分でしなければ反感を買う。
「熱心ですね、陛下」
「
勝悟が紅茶を入れてくれ、伊斗也はそれを有難く胃に流し入れる。一息つき、ちらりと掛け時計に目を向けた。
時刻は、午後一時を回ろうとしている。
トントントン。時計の長い針が頂きに来たのと同時に、戸が叩かれる。廊下から、少し緊張した青年の声が聞こえて来た。
「弦義です。陛下、おられますか?」
「……入ってくれ」
伊斗也は勝悟を促し、戸を開けさせた。すると戸の向こう側には、弦義と彼の仲間たちが揃っていた。緊張の面持ちでこちらを見返す弦義と目を合わせ、伊斗也は彼らを迎え入れる。
「ようこそ、我が執務室へ。適当に座ってくれて構わない。――勝悟」
「はっ」
心得たとばかりに、勝悟が奥へと向かった。紅茶を人数分、それからお茶菓子に何か見繕ってくれることだろう。
「具合はどうだ、弦義」
「お蔭様で、随分気分が良くなりました。もう大丈夫です」
完璧に回復した顔ではないが、弦義は伊斗也の問いにそう答えた。
弦義は伊斗也の真向かいに腰を下ろし、彼の隣には那由他が座る。更に左右に分かれて白慈と和世、アレシスがソファーに座っている。
部屋の中には妙な緊張感が漂う。勝悟に渡された紅茶を一口飲むと、意を決した弦義が口を開く。訊くべきことは、一つしかないのだ。
「陛下、私の願いを聞き入れては頂けませんか?」
「……」
腕を組み、目を閉じる伊斗也。ソファーに背を預けて長い脚を組む姿には、相手を黙らせる風格がある。
「―――正直、驚いた」
しばしの沈黙を自ら破り、伊斗也は言った。
「アレシスからの手紙と、アデリシアからの国書。どちらも同じ人物のことを書いているのに、手紙から想像出来るお前の像は全く違った。だから、真実を確かめるために試させてもらった。もし不快に思わせたのなら、謝ろう」
「いいえ、お気になさらず。異国の者が突然訪問して来れば、訝しく思うのも仕方がないことです。それでは、判定をお聞きしたいです」
弦義が答えを知りたがると、伊斗也は肩を竦めて見せた。
伊斗也によれば、アデリシア王国からの国書中の弦義は、極悪非道な人物として描かれていたという。実父を殺し、兄弟や実母、果ては家臣までも手にかけ国外逃亡した世紀の極悪王子だと。そこまで聞いて、那由他と白慈、和世、アレシスが殺気立つ。
「弦義がそんな奴だと……?」
「え? 燃やして良い?」
「ロッサリオ王国全軍で攻め滅ぼそうか……」
「みんな、落ち着いて。一応は、弦義の祖国なんだから。潰すのは今の中央部だけだよ」
「頼むから、全員物騒なことを言わないでくれ。伊斗也陛下、続けて下さい」
今にも飛び出しそうな仲間たちを抑え付け、弦義は伊斗也に先を促す。
「あ、ああ……」
反対にアレシスからの手紙では、反逆者に家族と国を奪われ陥れられた王子として書かれていた。しかも祖国の奪還を決意し、既に大国のロッサリオ王国との同盟を取り付けているというではないか。
「あなたが見た本当の弦義は、どちらの姿でしたか? 伊斗也国王陛下」
「アレシス、目が全く笑っていないぞ」
「気のせいです」
全く気のせいではないのだが、アレシスはそう断言して譲らない。伊斗也はそれ以上の追及はせず、弦義と正面から向き合った。そして、突然頭を下げた。
「えっ……」
「弦義殿下、非礼をお詫びしたい。俺……わたしは、アデリシアからの国書とアレシスからの手紙を天秤にかけて判断出来ず、真実を探るためにあなたに決闘を申し込んだ。結果、アレシスが正しかったことを痛感している。怪我をさせ、果ては昏倒させたこと、お詫びもしようもない」
「顔を上げて下さい、陛下」
「……」
弦義に差し伸べられた手を見て、伊斗也は顔を上げた。そこには、彼を見下ろし優しい表情を浮かべる弦義がいた。
「弦義、殿下。許してくれるのか?」
「許すも何も、あなたは国の統率者として正しい判断をされました。国を守る者として、狙いも不明確な者を入れて、国を惑わせるわけにはいきません。私のことを判断するための手段ですから……お気になさらず」
「きみという人は、本当に……まいったな」
「陛下?」
かくっと首を傾げる弦義に、伊斗也は軽く頭を振った。後頭部を掻き、苦笑を漏らす。
「負けたよ、弦義殿下。きみの頼みを聞き入れよう」
「つまり、兵士をお貸し頂けるというのですか?」
「そうだ。その代わり、彼らは俺の大切な国民だ。傷など付けるなよ?」
「はい。お預かりした方々は、必ずお戻り頂きます」
「その言葉、信じたぞ」
伊斗也は破顔すると、弦義の前に一枚の紙を見せた。それは、伊斗也が弦義に一軍を貸し与えるという契約書だ。弦義がそれを読み進めると、驚きの記述を見付けた。
「陛下、これは」
「ああ。『我がロッサリオ王国は、弦義殿下が治めし新たなアデリシア王国に期待し、同盟を結ぶことをここに誓う。』これは、我が意思だ」
「……ありがとう、ございます」
受け取った契約書を抱き締め、弦義は声を詰まらせた。彼の肩に那由他と和世が触れ、白慈が嬉しそうに見上げる。そして、アレシスは伊斗也の満足そうな顔を見守っていた。
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