第37話 弓を引く意味

 夜。空は曇りとなり、星や月の光は届かない。

 弦義たちは同室で眠りにつき、誰も近付いて来る物音に気付いていないように見えた。大きないびきをかく者は一人もいないが、規則正しい寝息が室内を支配する。

「……、……」

「……」

 ごく小さな声で会話した者たちが、天井から部屋の中へと忍び込む。暗闇に溶け込む彼らの目的は、ただ一つだ。

 室内に侵入してきた者たちは、三人。一人は逃走経路を確保し、一人は外からの妨害に備えて部屋の扉の前に陣取る。そして最後の一人は、弦義の眠る横に立った。

「……お覚悟を」

 静かな女の声が、無情な刃を振るう。彼女の手に握られた鋭利なナイフが、弦義の喉に突き立てられる。まさにその瞬間だ。

「ここまで来るなんて、ご苦労様だね」

「―――っ!」

 部屋の照明が付けられ、女が明るさに視界を奪われ一瞬硬直する。それは仲間の男たちも同じで、彼らは那由他と和世によって床に倒され確保された。

 女は目を細めて、照明をつけた金髪の男を睨みつけた。

「図ったな」

「図ったのはそちらだろう。寝込みを襲うとは、暗殺するつもりか?」

「!」

 アレシスに意識を向けていた女は、下から聞こえた声にハッと我に返る。しかし既に時は遅く、女は弦義に押し倒されて自由を失っていた。

「お前、何者だ」

「くっ……」

 目元しか見えない覆面の布に手をかけ、弦義は女の顔をあらわにさせる。和世たちに押さえつけられた男たちが抵抗したが、簡単に逃げ出せない。それどころか、関節を押さえつけられて息を絶たれる。

「あなたは……!」

「弦義、そいつを知ってるのか?」

「ああ」

 那由他に問われ、弦義は動揺しながら頷いた。女を押し倒したまま、弦義は彼女をまじまじと見詰めた。

「どうして、あなたがいるんですか。……月弓つきゆみさん」

「……」

 弦義が問うが、月弓は答えない。きつい面差しの女は、野棘直属の部下である。彼女が直接遣わされたということは、野棘が弦義の動向を注視しているという表れだろう。

「野棘第二将軍は、僕を殺すことを諦めていない。そうですね?」

「……ええ。あなたは、もうアデリシアにとっては国賊。第二将軍、いえ、王はお前を亡き者にする」

「――やってみろ」

 野棘が王を名乗っている。その事実は、弦義の中で反響する。痛みであり、裏切りへの憤りであり、悲しみだ。

「弦義」

「弦義……」

「弦義くん」

「弦、義」

 今までにない程、深く低い弦義の声。その声色は、仲間たちに衝撃を与えた。

 普段温和で、誰よりも穏やかな王子様。努力家で一生懸命な復讐者。それが、皆が持つ弦義のイメージだ。

 しかし今、弦義の前面に出ているのは怒りだ。悲しみと痛みを含んだ、激しさだった。

「僕は、アデリシアを自分のものにしたい訳じゃない。国に住む人々も、そこにある全ても、僕のものでは決してない。だけど……そこにあるものを、生きるものを、護りたいと思う。父が命を懸けて護った存在を、僕が――違うな」

 軽く首を横に振り、弦義は顔を上げる。振り返れば、那由他が、白慈が、和世が、アレシスがこちらを見詰めている。だから、弦義は言い切れる。

「僕らが、今度こそ護ってみせる。そう、あいつに伝えろ」

「……承知した。だが、次はないぞ」

 月弓は一歩退き、最敬礼をしてその場を去った。彼女を追おうとした刺客二人も、那由他と和世が自由にしてやる。

「行った、か」

「そうだね」

 騒々しい招かれざる客を送り出し、弦義は目に見えてほっとしていた。彼の隣で、那由他は弦義の心の中を思う。

「弦義」

「何だ?」

「……俺たちは、お前の味方でい続ける。それだけは、忘れるな」

「那由他……」

 那由他の温度のない声は、よく誤解を生む。しかし、その声の奥底に潜む優しさと温かさを、弦義は敏感に感じ取っていた。

 アデリシア王国を出てから、誰よりも傍にいる友人のことだ。弦義は那由他の思いを受け取り、荒れ狂う心が落ち着いて行くのを感じた。

「――うん、ありがとう」

「ああ」

 ようやく本来の笑みを浮かべることが出来た弦義を見て、那由他はわずかに片方の口端を上げた。そうか、と呟く。

「弦義、大丈夫か?」

「白慈」

 恐る恐るといった様子で、白慈が弦義たちの元へと近付いて来る。その目には怯えが残っていたが、それ以上に弦義を案じる色が濃い。

 白慈と同様に、和世とアレシスも戸惑いより心配が勝っていた。アレシスは白慈の肩に手を置きトントンと軽くたたくと、彼を和世に預けた。その上で、弦義の目の前に立つ。

「落ち着いたかい?」

「はい」

「そうか」

 確かに頷く弦義の目線と同じ高さになるよう膝を曲げると、アレシスはその深い青の瞳に弦義を映す。

「であるならば、弦義に訊きたいことがあるんだ。聞かせて、くれるかな」

「……勿論。隠すようなことは、何もないから」

 ポスンッとベッドに腰を下ろし、弦義は指を組んだ。その指を見詰めるようにして顔を下に向け、訥々と言葉を呟く。

「先に話しておきます。あの人――月弓は、野棘の部下の一人。腕の立つ武人だという噂は耳にしていたけれど、まさか襲われることになるとは」

「もうすぐヴェリシアだ。ここで近臣を差し向けて来るとは、向こうも余程急いでいるのかもしれない。……もしも今後彼女が生きていたら、もう一度は彼女に弓を引く機会が訪れるだろうね」

「そうですね」

 アレシスの言う通り、月弓があの程度のことで主の命令を遂行するのを諦めるとは思えない。失敗を攻められ殺されない限り再び現れ、執拗に弦義の命を狙って来るだろう。それはつまり、弦義の命の危機が続くということだ。

 自分の命が危ないと同時に、仲間の命も狙われる。

 弦義は、仲間であり友人たちの願いを叶えるため、身を引く覚悟も持ち合わせている。しかし、友人たちがそれを望まないことも承知していた。

「僕は、何があっても諦めない。みんなが傍にいてくれる限りは、何があっても」

 確固たる信念を胸に抱いていることを弦義が示すと、アレシスが不意に片膝をついた。

「ならば、ぼくに弓を引く許可をくれないかな?」

「許可? 僕の許可などなくても……」

「それが、あの女に弓を引く許可だとしても?」

「え……?」

 思いがけない、否、直視して来なかった現実を突き付けられ、弦義は動揺する。揺れる彼の瞳を見詰め、アレシスは諭すように言葉を続けた。

「この戦いは、決して遊びじゃない。弦義が再び祖国に帰り、護るべきものを護るための戦いだ。……それは、綺麗事だけでは済まない。時には自ら血を流し、敵を殺すこともある」

 勿論、出来る限り血の流し合いはない方が良い。それでも、きっと選択を迫られる、とアレシスは口にした。

「ぼくは、きみの弓だ。主と定めたきみを護るため、敵を射る許しを得たい」

「い、今までも弓を引いたことはありませんでしたか?」

「あったよ。でも、これからは違う。――ぼくの強弓は、一本の矢で何人も串刺しにすることも可能だ。そんな殺傷能力の高い弓の本来の力を引き出すには、躊躇ためらってはいけない。躊躇いを無くすために、どうか」

 頭を垂れ、背負っていた弓を掲げ持つアレシス。

 弦義は彼の言葉を飲み込み、弓を見詰めた。この弓矢が人を射抜き、赤く染まることを想像する。

 鉄の味が口の中でした気がして、弦義は吐き気を覚えた。それでも、立ち止まるわけにはいかない。

「――わかった。僕から、許可する」

 その代わり、と弦義はアレシスと同じ目線になるよう腰を下ろした。

「僕は、探し続ける。血で血を洗う争いではなく、それ以外の戦い方を。国を奪還する方法を。……僕は、人殺しを是とする王にはなりたくない」

「それが、きみの答えなんだね」

 アレシスに念を押され、弦義は大きく頷いた。理想であり夢だとしても、追い求めていきたい。戦いを是とした祖先たちとは、別の道を行く。

「だそうだ」

「オレは最初から、何処までも一緒に行くつもりだったよ」

「おれも、定めた以上は弦義のことを見届ける」

「俺は元々、こいつと共にいると決めている」

 白慈、和世、そして那由他が口々に言う。

 仲間たちの自分のことを肯定してくれる発現の数々に、弦義は熱いものがこみ上げてくるのを感じた。しかし、泣くには早過ぎる。ぐっと堪え、口元を緩ませた。

「ありがとう、みんな。これからもよろしく頼む」

 弦義の笑みに、全員が釣られた。ひと時ではあったが、和やかで優しい時間が流れていく。

 五人はそれぞれのベッドに寝転び、今度こそ目を閉じた。

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