第32話 夢世界の少年

 ――お察しの通り、おれの名は夏優咫なゆた。心臓病で十五の時に死んだんだ。

 黒い髪は短く切り揃えられ、紅葉のような赤い瞳が目立つ少年だ。彼は簡潔に自己紹介すると、そして、と付け加える。

 ――そして、きみの友である那由他の元。あいつは、おれを元に作られた。

「どうして、僕の前に……? ここは、死後の世界なのか」

 ――そうだとも言えるし、違うとも言える。ここは、夢の世界なんだ。

「夢……」

 思わぬ言葉を聞き、弦義は言葉を繰り返す。そうすることでこの不可思議な世界を理解しようと試みた。

「つまり、ここは僕が起きている時にいる世界とも、死後の世界とも違う場所だということだね。異空間と言っても良いのかもしれないけれど。適切な表現は、やはり『夢』だ」

 ――あたらずといえども遠からじ。まあ、そんなことは些末なことだ。おれが、きみここに呼び寄せた理由を話さなきゃいけない。そうだろ、弦義。

「……そうだね。教えて欲しい」

 何故名乗ってもいない弦義の名を知っているのか、夢の世界は些末なことなのか。そんな疑問が頭をよぎったが、今更だ。

 弦義が先を促すと、夏優咫はにこりと笑った。

 ――おれは、那由他の左目を通じて今もあいつと繋がっている。魂がこの世から消えるまで、ここであいつを見守っているんだ。……あいつが、那由他が人として生きていけるように。

 ホムンクルスとして生を受けた那由他は、自分の身を顧みないところがあると夏優咫は苦く笑った。自分が傷つくことで誰かが悲しむなどと、考えもしないのだと。

 でも、那由他は少しずつ変わっている。夏優咫はそう言って、人差し指を弦義に突き付けた。

 ――あいつが変わったのは、弦義に出会ったからだろう。そして、仲間たちと……あの姫巫女と。だから、弦義に頼みたい。

「頼み?」

 目を瞬かせる弦義に、夏優咫は真摯な表情で頷く。

 ――そうだ。……俺は見守ることしか出来ない。那由他に危険が迫っても、助けることも手を差し伸べることすらも叶わない。だから、那由他と一緒にいてやってくれ。

「ちょっと、夏優咫! 顔を上げてくれ」

 突然頭を下げられ、弦義は困惑する。それでも、夏優咫は顔を上げようとはしない。

 ――あいつは、那由他はまだ人として成長出来ていない。だけど、随分と変わって来ている。……もう少しで、

「わかった。それに、頼まれるまでもないよ」

 くすっと笑い、弦義は約束した。それは、約定するまでもなく、彼の本心だったが。

「約束する。友として、仲間として、那由他と共にいるよ。共にいたいと、僕自身が願っているから」

 ――ありがとう、弦義。あ、そうだ。那由他に『気にするな』と伝えてくれ。

 頭を上げ、幼さの残る笑みを見せた夏優咫の姿が薄まる。突然の出来事に驚いて伸ばす弦義の手を、夏優咫はそっと押し戻した。

 ――時間だ。もう、目覚めなければ。……いつかまた、弦義。

「ああ。必ず、また会おう」

 赤の瞳が揺れ、微笑む。弦義の中に、彼の存在が深く刻まれた瞬間だった。


 瞼を上げると、薄暗い天井が見えた。もう夜なのだろうか。

「……ん?」

 ぼんやりとした視界が、徐々に明瞭になっていく。弦義は何度か瞬きを繰り返すと、そっと右手を挙げてみた。

(問題なく挙がる。……戻って来たんだな)

 現実で目覚めたことに安堵した途端、左肩に痛みが走る。痛みの元に触れると、傷の上に包帯が巻いてあった。丁寧な仕事は白慈だろうか。

(そうか。僕は矢を受けて、気を失ったのか)

 そっと起き上がろうとするが、何かが重石になって掛け布団が動かない。もぞもぞと体を動かし、その正体を見る。

「はく……じ?」

 弦義の足下に近い場所に頭を乗せ、白慈が眠っていた。規則正しい寝息が聞こえ、彼が弦義を看病してくれていたのだろう。傍の机には、薬草をすり潰す道具と水の入ったコップが置かれていた。

 ゆっくりと上半身を起こし、室内を見回す。するとそれぞれのベッドの上で、那由他とアレシスが眠っていた。和世はと探すが、姿がない。

 その時、ギギッと音がして部屋に光が射しこんだ。弦義が顔を上げると、丁度和世が部屋に入って来るところだった。鎧を着ずに普段着で剣を手にしているところを見ると、何処かで鍛錬でもしてきたのかもしれない。

 皆を起こさないよう忍び足で入って来た和世は、思わぬ声に目を見開く。

「和世、どの?」

「殿下……? 目覚められたのですか!」

 バタバタと足音をたて、和世が弦義に駆け寄る。その音によって、他の三人の眠りが覚まされていく。

「何だよ、和世。弦義はまだ寝てるんだか……」

「起きてくれ、白慈。殿下がお目覚めだ」

「え? ……えっ⁉」

 がばりと上半身を起こした白慈は、彼の勢いに気圧された弦義をまじまじと見詰めた。じっと目を合わせ、白慈の紫色の瞳に弦義の顔が映り込む。

 弦義のベッドによじ登った白慈は、弦義の顔色を窺った。更に、肩の怪我の様子を確認する。既に血は止まり、包帯の色は変わっていない。

「……よかった。弦義、何処か痛いとかある?」

「まだ肩は痛む。だけど、動かない程じゃない」

「本当に? よかったぁ~」

 自分の肩に手を置き、弦義は白慈を安心させようと微笑んだ。ようやく安堵したらしい白慈の目が潤む。彼の肩を、和世が撫でるように叩いた。そして、和世自身も微笑を浮かべた。

「お目覚めで安心しました」

「心配させたみたいですね。ありがとうございます」

「いえ。私は……」

 思わず本音を口にしかけ、和世は口を噤んだ。その理由を訊こうとした弦義だったが、覆い被さるような人影に右肩を掴まれて中断する。

「弦義!」

「な、那由他……」

「すまない。俺が護れなくて」

 後悔を滲ませ項垂れる那由他の背を、弦義は叩く。そこには、気にするなとありがとうの意味が込められている。

「那由他はよくやってくれている。あの時、僕を止めようとしてくれたじゃないか。それを振り切ったのは、僕自身だ。だから、感謝はしても怒ることなんてあり得ない」

「……それでも、ごめん」

 弦義の右肩に額をつけ、那由他の肩が震える。弦義は彼に好きにさせながら、眠っていた時の出逢いについて口にした。

「那由他」

「何だ……?」

「夏優咫に会ったよ。きみの、元になった少年に」

「え……」

 顔を上げ、那由他は目を見開いた。那由他のみならず、白慈と和世、更には目を覚ましていたアレシスも瞠目していた。

 三人に向け、弦義は夢の世界で経験したことを話した。とはいえ、それほどたくさんの出来事があったわけではない。

 心臓の病で命を落とし、瞳だけを現世に残された少年。その魂が夢の世界に残り、那由他を見守っている。そんな物語のような現実に、仲間たちは異を唱えなかった。

「俺は、夏優咫に恨まれていると思っていた。でも、そうじゃなかったんだな」

「恨まれていると思っていたのか? どうして」

「俺は、だ。……自分は死んだのに、その命を奪って俺は生きている。ずっと心の中で謝り続けていた」

「だからかな。夏優咫が言っていたよ。那由他に『気にするな』と伝えてくれって」

「……そうか」

 左目の眼帯に手をあて、那由他は「よかった」と唇を動かした。

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