音は導く

第20話 吟遊詩人

 グーベルク王国を目指す旅を続ける弦義を、和世は後ろから見詰めながら歩いていた。

(何故、あそこで止めを刺さなかった?)

 ただの弱腰ではない意志の強い瞳を見て、あの時の自分は何も言えなかった。しかし、為政者として支配者として、己の命を狙う者への制裁は苛烈であってしかるべきではないのか。

 少なくとも、和世はそう教わってきた。精神と武力、そのどちらも兼ね備えてこその国主だと。今の弦義に、それらが備わっているようには見えない。

「和世、怖い顔してるぞ?」

「えっ……。白慈」

 我に返って見下ろせば、自分を見上げて首を傾げる白慈の紫色の瞳があった。

 そんなに怖い顔をしていたか、と和世は眉間を指で伸ばす。その様子を見て、白慈は明るく笑った。

「和世は、難しく考え過ぎだ」

「何を言って……」

「弦義は、立派なオレたちのあるじだよ」

「―――っ」

 白慈の真っ直ぐな目が、和世を射抜く。何故考えがばれたのかと戸惑う和世に、白慈は舌をちろっと出してみせた。

「オレは、元山賊だ。読心術ってのも教わっててな。まあ、今のはそれと違うけど」

 あんた、わかりやすいよ。白慈はそう言って悪戯を思い付いた少年のように笑った。

「わかりやすい?」

「そう。そんなに馬鹿正直で、王国軍第一の出世頭で大丈夫なのか? あんなところ、嘘と真実は紙一重みたいなところだろ」

「何か、何処かの物語の読み過ぎじゃないのか?」

「そうかな」

 ニカッと笑った白慈は、先を行く弦義と那由他を追って駆けて行く。その後ろ姿を見送りながら、白慈の言葉について考えてしまう。

 己の出自と、軍の暗部。それらを浮上させてしまい、和世は頭を振った。

「和世どの、もうすぐ次の町に着きそうですよ」

「わかりました」

 迷いに蓋をし、和世は弦義たちを追って速足になった。

「申し訳ない。あの町ですか?」

 和世が指差したのは、跳び抜けて背の高い時計塔が目を惹く町だった。

「一先ず、腹減ったぁ」

 ぐるるるる、と空腹を訴える腹の虫を鳴かせた白慈の意向に従い、四人は目に留まった食堂に入ることにした。一戦を終えて、全員空腹だったのだが。

「いらっしゃい。四名様だね」

 店員の男性に導かれ、窓際の四人席に腰を下ろす。するとすぐに品書きが手渡され、嬉しそうな白慈がページをめくった。

「あ、この焼き飯おいしそう! これと、鶏揚げにする」

「じゃあ僕は、こっちの鶏揚げ丼っていうのにしようかな」

「俺は……カレーライス。辛口で」

「えっ、那由他辛口いけるのか」

「むしろ、辛い方が。夏優咫も好きだったらしい」

「僕は無理。凄いな、二人共」

 顔の前で手を振って否定を示すと、弦義は和世の前に品書きを差し出した。

「和世どのはどうします?」

「えっ。ああ、私は……」

 戸惑った後、和世は野菜と肉たっぷりのあんかけ丼を選択した。流石に空腹には勝てない。更に店内に漂う美味しそうな料理のにおいが、更に腹を刺激した。

 注文を終えると、冷水が運ばれて来た。それで喉を潤した頃、店内の雰囲気が変わる。

 それまで客たちの喧騒が響いていたが、ふと静まり返ったのだ。そして、彼らの視線が店の中央に集まっている。

 今まで気付かなかったが、そこには一脚の椅子が置かれていた。

 何処かそわそわとした雰囲気の中、白慈が身を乗り出して目の前に座る弦義に話しかける。

「なあ、何か始まるのかな?」

「わからな―――」

「何だ、お前ら。この町は初めてか?」

 弦義が答える前に、隣の席にいたおじさんと言って良い年頃の男性が声を上げた。驚いて振り返る四人に、彼は得意げに話し始める。

「一週間くらい前から、この店で弾きがかりをする青年吟遊詩人がいるんだ。店主の厚意らしいんだけど、これがまた上手くてね。時間指定はないから運なんだけど、きみたちは運が良い」

「……はあ」

 立て板に水で話す男性に目を丸くしていた弦義は、客たちがざわつく声を聞いてそちらに目を向けた。

 すると、店の奥から一人の青年がハープを持って現れた。暗めの照明の中でも光る金の髪は膝まで届き、青い瞳は愁いを帯びているように見える。彼が歩くと客たちの息が漏れ、その美形具合が強調された。

 何人かの女性客が頬を染めているが、青年がそちらに目を向けない。

 青年が椅子に腰かけると、店主らしき男性が現れて声を張った。

「皆さま、お待たせしたね。今日もアレシスが来てくれたよ。さあ、存分に酔いしれて下さい」

 店主の口上を受け、客席からは拍手が聞こえる。それは決してまばらなものではなく、喝采と言っても良い激しさだ。

 アレシスと呼ばれた青年は優雅にお辞儀をすると、手にしたハープに指を掛けた。ポロン、と音色が流れる。

 そこからは、アレシスの独壇場だ。

「――時の移ろいは儚く、人の願いは空へ昇り……」

 男とは思えない透き通った歌声が、人々の心を酔わせる。挨拶の時さえ一言も話さなかった男は、流れるような指さばきで音を紡いでいく。

「いやぁ、いつ聞いても見事だな」

「本当に。心が洗われるようですわ」

「ささくれた気持ちが丸くなるようだよ」

 聞こえるのは、賛美の嵐だ。その中にあって、弦義は内心首を傾げていた。

(あれは、本当に彼の歌なんだろうか?)

 弦義は、じっとアレシスの目を見詰める。伏し目がちな彼の目が、全く微笑んでいないように思えたのだ。声も表情も柔らかく、和やかだ。それでも、彼の心が伴っていない。

 何故、そう思えたのか。自分でも不思議だと思いつつ、ふと弦義の視線は向かいの席へと向かう。そこに座る白慈も酔いしれているのかと思いきや。

「ふぁに(なに)?」

「よくこの雰囲気の中で食べれるね、白慈」

「ふぁってふぉれ(だってオレ)、ふぉんふぁくにふぉうみふぁいもん(音楽に興味ないもん)」

 口いっぱいに焼き飯を頬張り、白慈はニヤッと笑った。

 同様に、那由他も何食わぬ顔でカレーライスを食べている。和世は二人よりも音楽を解するようだが、弦義と同様に解せない顔をして食事をしていた。

 やがて三曲の演奏が終わり、喝采が巻き起こる。その拍手の中退出していくアレシスが、ちらりと振り返った。その目が、弦義と合う。

 すぐに逸らされたが、弦義は彼に呼ばれた気がした。

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