2発目 パパのトランクス


  そのゾンビのような男は、

うめき声を上げながら一歩一歩近づいてくる。

すでに5メートルと離れていない。

腐臭のようなえたような臭いが、

まわりの空気を汚染していくかのように迫ってくる。


 その様子を見ていた

『レッドフォックス』のメンバーの一人が、

やんわりと言った。

「あの~、オレたち、

  ここでゲームやってるんですよ。

  敷地内しきちないに入らないでもらえますか?

  危ないから・・・」


そんな彼の注意にも何の意も介さないように、

その男の足取りは何も変わらない。間近まじかまで迫ってきている。


「何か様子が変じゃないか?」

そう言ったのは、城野蒼汰だった。

彼の言う通り、その男はおかしかった。

腐臭をただわせ、血の混じった涎を垂らし、

獲物に向かってくるような

獣のような雰囲気をかもし出しているのが、

その場にいた誰もが感じていた。


「言ってることが、わからないですか!」

彼の言葉を無視して、おもむろに襲い掛かってきた。

注意をしたメンバーに噛み付こうとする。

彼は左腕を突き出して身をかばった。

しかし、ゾンビのような男の歯が、その腕に食い込んだ。

迷彩服のそでから血が滲み出す。


「真野!」

『レッドフォックス』のほかのメンバーが、

噛み付かれたた彼に向かって叫んでいた。

『レッドフォックス』のメンバーは、

反射的にSIG552 シールズの銃口を、

そのゾンビのような男に向けて、セミオートで数発、発射した。

トリガーを絞った真野と呼ばれた彼は、

顔を避けて撃ったつもりだった。

確かに何発かは作業着に弾かれて、地に落ちた。

だが、その中の1発は、偶然にもその男の首に命中した。


そこで信じられないような事が起こった。

首にあたったBB弾が、

少量の肉片をぎ落として空へ消えていったのだ。

一部を失った首からは流れるはずの血がほとんどなかった。

その男の体内に、血液が循環じゅんかんしていないかのようだった。


その様子を見ていた皆は、状況が飲み込めないでいた。

撃ったその本人も唖然あぜんとしている。

至近距離からとはいえ、エアソフトガンに殺傷力は皆無だ。

目などの急所に当たらない限り、重傷を負うことはない。

せいぜい痛がるくらいのものだ。


その時、小波瀬鈴の頭に何かが、ひらめいた。

彼女は手にしたM4CRWをかまえ、

首の一部を吹き飛ばされながも、

何事もなかったように歩いてくる男に向けると、

トリガーを絞った。しかもフルオートだ。

発射された毎秒25発のBB弾は、吸い込まれるように、

作業着姿の男の頭にヒットした。

そこでまたもや信じられない事が起こった。

ゾンビのような男の頭の頭が粉砕ふんさいされて、吹き飛んだのだ。

その男は脳漿をき散らして、前のめりに倒れた。

その光景を目の当たりにした他の面々は、顔面蒼白になった。


「鈴ちゃん、何てことを!」

 安部山朋和が絶句する。


「ヤベぇ!人を殺しちゃったよ」

城野蒼汰も両目を見開いて叫んだ。


「オー、マイガッ!」

ジェイソン下曽根は頭を抱え込む。


だが、新田原真之介だけは違っていた。

彼は動揺した様子は無く、倒れている男の下へ行くと、

屈みこんで観察している。


「小波瀬さん、そのM4、

  チューンアップしてます?

  この人、息してないみたいなんだ」」

彼は相手がたとえ年下だろうと、同じ年齢だろうと、

年上だろうと誰にでも『さん』付けをする。


「ゲロマジ?たしかに少しだけ

  初速上げてあげぽよにしてるけど、

  ヤバく1ジュールは超えてないわ。

  あたし、ちゃんとレギュレーションは守ってるよ。

  試しに撃っただけだもん。いみぷーだよ」


鈴の言葉を聞いて、

新田原真之介はブツブツと何か言い出した。

「・・・てことは、標的との距離が、3メートル弱だとして、

  初速90メートル以上で破壊できたことになるな。

  人体の骨はそんなにやわじゃない。

  よほどもろくなっていなければ、到底無理な話だ。

  だとすると、倒れたこの人間は腐乱していたか、

  それとも骨が極端な骨粗鬆症こつそしょうしょうわずらっていたことになる。

  しかしだ。皮膚にも腐乱しているとしか考えられない症状が、

  出ていることを考えると・・・

  この人物はすでに死んでいたという結論しか導き出せない。

  でも死体が、自ら動くだろうか?

  それじゃ、まるでゾンビじゃないか」


彼はまるで自問自答しているような口調でつぶやいていた。

その場の誰もが、互いに顔を見合わせた時だった。

ゾンビのような男に噛まれた、

真野と呼ばれた『レッドフォックス』のメンバーが、

腰を落とすように仰向けに倒れた。


「どうした?真野」

ゾンビのような男に噛まれて倒れた、

真野というメンバーに対して、

『レッドフォックス』の他のメンバが彼の異常に気づいた。

彼は全身を痙攣けいれんさせて、手足を狂ったように震わせている。

不随意運動ふずいいうんどうで、筋肉が動いているようだった。

しばらくして、その動きが止まった。

彼の両目は半開きで、白目をいている。

『レッドフォックス』の一人が心配顔で、

真野の胸元に耳を近づけた。その顔が蒼白そうはくになる。


「おい、みんな、こいつ死んでるみたいだ。

  心臓の音が聞こえない」

その声は震えていた。

唇が痙攣したように引きつっている。


「そんなバカな事あるかよ。

  ちょっと腕をまれただけだぜ」

別のメンバーが、苦笑を浮かべながら反論する。

その様子を見ていた新田原真之介はなぜか、

左腕にはめたGショックを見つめている。


その時だった―――。

倒れていた真野という男が、むくりと上半身を起こしたのだ。


「ほら、やっぱり大丈夫だっ・・・」


『レッドフォックス』のメンバーの一人が、

安堵あんどするように言いかけたが、

その真野という男の異変に気づいたように、言葉を飲み込んだ。

彼の顔は灰色で、青い静脈が浮き彫りになって、

レリーフのようにその顔をおおっていた。

両目は白濁しており、その口からはうめき声とも

威嚇いかくの声ともつかない、異様な音が吐き出されている。


先ほど倒した、ゾンビのような男と

まったく同じ症状だ。

真野という男は、おもむろに立ち上がると、

彼に一番近い『レッドフォックス』のメンバーに

飛び掛るように襲い掛かった。

大きく開けた口からは、粘液状のよだれを垂らし、

糸を引いてその胸元を濡らしている。


「真野、やめろ!」

真野に襲い掛かられたメンバーは

飛び退くように彼から離れると、

反射的に腰のホルスターに差してあったベレッタを引き抜き、

真野の頭に向けてトリガーを引いた。

だが、真野という男は、

アメリカ海兵隊のレプリカのヘルメットを被っていた。

発射されたBB弾は、そのヘルメットにはばまれ、

むなしくはじかれる。

動いたのはSOAの城野蒼汰だった。

彼は真野の頭から、力ずくでヘルメットをぎ取った。


「今だ!」

城野蒼汰の声を合図にしたかのように、

『レッドフォックス』のメンバーたちが手にした電動ガンから、

おびただしい数のBB弾が、真野の頭に向けて発射された。

真野の頭のほとんどが、

脳漿のうしょうをぶちまけながら吹き飛んだ。

真野は糸の切れたマリオネットのように、

その場に崩れ落ちた。もうピクリとも動かない。


「やべえ、真野を殺しちまった・・・」

メンバーの一人が、呆然自失の顔をしてつぶやいた。


「それは違うよ」

彼らの背後にた小波瀬鈴が、妙に明るい声で言い放った。

『レッドフォックス』のメンバーたちが、彼女へ視線を向けた。


「たぶん、作業着のオジサンもヤババババゾンビだったのよ。

  真野って人はそのゾンビに噛まれて、

  同じゾンビになった時に、すでに死んでいたんだよ」


 マジかよ・・・と『レッドフォックス』の面々は口々にして、

互いに顔を見合わせていた。


「小波瀬さんの言う通りです」

新田原真之介が、彼女の言葉の後をぐように言った。


「ストップウオッチで計ってたんですが、

  噛まれてゾンビになるのに、二十秒とかかっていません。

  ウイルスなのかどうなのかわかりませんが、

  驚くべき感染力です」


「そそ、ゾンビ撃ったんだから、罪なんか無いわ。

  だって動く死体なんでしょ、ゾンビって」


彼女の言葉をそばで聞いていた安部山朋和は舌を巻いていた。


今時の若い子は、なんと飲み込みが早いんだ。

このとんでもない状況にも顔色を変えずに順応している。

しかし、私の娘、朋絵ともえは違う。

鈴ちゃんととしは変わらないが、

順応性じゅんのうせいは無きに等しいと私は思っている。

それはなぜか?

ある日、私は仕事を終え、帰宅して玄関の扉を開けた直後、

聞くともなしに聞いてしまったのだ。私の娘の言葉を・・・。

 娘は私の妻に向かって言っていたのだ。

『あたしの下着とパパのトランクス、一緒に洗わないで!

 超キモい!』と―――。

私は愕然とし、そして自分の耳を疑った。

私のいているトランクスが、

娘にとってそんなに不快なものとして思われていたことに。

娘には順応性が無いのか?それとも単にパパの事が嫌いなのか?

いや、違う。順応性が無いわけじゃない。

娘は若手の芸能人やアイドルグループのことを、すぐに覚えるし、

リビングでは一緒にいる私の存在を忘れたかのように、

スマホのアプリで遊んでいるではないか。

それは娘は私のことが嫌いなわけがない証拠だ。

それに、娘が私を嫌っていないちゃんとした理由がある。

だって、お小遣いをあげた時など、朋絵は

『パパ、大好き』と言ってくれるのだ。

ただ、その金額が少ない時は、

『チッ』という舌打ちを聞いた気もするが、

たぶん気のせいだろう。

そうだ、娘は私のことが、嫌いなわけじゃない。

パパのトランクスが嫌いなだけなのだ。

決して私自身のことが嫌いなわけじゃないんだ

―――そう思いたい。

それにしてもだ、朋絵・・・

そんなにパパのトランクスが、嫌いなのか?


 安部山は涙をこらえきれずに、空をあおいだ。

彼の隣りにいた、ジェイソン下曽根が、

安部山が涙を流していることに気づいて、目を見開いた。

安部山朋和の肩を抱いて、一緒に涙している。


「オウッ!ミスタ安部山!

  初メテ会ッタ人ニ対シテモ、涙ヲ流スナンテ、

  何テ良イ人ナンダ!

  ユア、ナイスガイ!ワタシモ感動シテマァース!」


その二人が抱き合って泣いているのをよそに、

『レッドフォックス』のメンバーたちは困惑した顔をしていた。


「おい、どうする?真野をこのままにしとけないだろ」


「救急車呼ぼうか?」


「馬鹿か?もう死んでんだぞ」


『レッドフォックス』の面々は、

口角こうかくあわを飛ばして言い争っていた。

それをさえるように、

新田原真之介が、強い口調で言った。


「皆さん、これを聞いてください」

彼は手にした改造レシーバーの音量を上げた。

レシーバーのスピーカーから、

ニュース報道と思われる女性アナウンサーの声が聞こえた。


『世界的なゾンビ騒動は留まる事を知らず、

  犠牲者は日に日に多くなっています。

  しかし、自衛隊はゾンビとはいえ、

  国民に実銃の発砲は許されておらず、

  この非常事態に総理大臣を初めとする各閣僚も

  緊急招集され会議がなされ・・・』


 ゾンビ?世界的な?


にわかには信じがたい言葉の数々に、

そこにいた誰もが、戸惑とまどいの色を隠せない。


「何が起きてるんだ?いったい」

城野蒼汰が、スマホを操作して、

その画面にテレビ放送を映し出した。

その画面の右下に緊急特別番組とテロップが、

映し出されていた。

女性アナの深刻な表情が、

その報道の重要性を訴えているように見えた。


『しかし、光明も見えています。

  ちまたにあふれたゾンビは非常に脆く、

  棒切れやバットで頭を殴打すれば

  動かなくなると言う事です。

  それにはゾンビに接近しなければならず、

  大きなリスクをともないます。

  そこで、BB弾と呼ばれる直系6ミリの

  プラスティック弾を発射する銃を使えば、

  遠距離からでも倒せる事がわかりました。

  日本中のサバイバル・ゲームチームが立ち上がり、

  トイガンを手にゾンビたちと戦っています』


その解説と同時に、テレビ画面が切り替わる。

 そこには迷彩服と、ゴーグルをかけたサバイバル・ゲーマーたちが、

 次々とゾンビたちを倒していく姿が映し出された。


 「BB弾で倒せるほどに、脆いゾンビか―――。

  これで男と真野さんが倒された理由も説明できますね」

新田原真之介は、あらためて確認するかのように言った。


「まるで『バイオハザード』みたぁい!

  テラゲロウケるぅ~!」

小波瀬鈴のひとりはしゃいだ声は、

その場の陰鬱いんうつな空気にそぐわない。


安部山朋和は、涙をぬぐいながら彼女に言った。


「鈴ちゃんは、自分の下着とお父さんのトランクス、

  一緒に洗濯してる?」


「そんなのぜぇ~たいヤダ!

  カム着火インフェルノーォォォオオウ!」

彼女が両手をげてそう叫んだ直後、

安部山の目に、再び涙が浮かんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る