第10話 CIA長官 Director Of The CIA

 同時テロの三か月後、ペンタゴンの一室でメトカーフ大佐が試験機評価レポートに目を通していた。パイロット、エンジニア、メカニックのチームが書き上げた千ページに及ぶ報告書から、MX25-Rの評価をピックアップして読み耽った。読み終わるとデジタルシュレッダーを起動して文書を完全に消去した。


 椅子にもたれて憂いがちに眉を寄せて天井を眺めた。脳裏に疑念が次々に去来する・・・

 不意に思い立ったように、サービスカーキのポケットから紙の手帳を取り出した。今では入手が難しいアナログな記録デバイスに、古めかしいデザインの金色のボールペンを使って何やら熱心に書き入れてゆく。

 メトカーフがアナログを好むのには確固とした理由がある。手書きでメモを取るうちに、自然に頭の中が整理されるのだ。おそらく、記憶やイメージを頼りに文字を書く作業には、デジタルの文字変換にはない刺激を脳に与えるのだろう。メトカーフはそう考えていた。


 丹念に箇条書きして、最後の書きこみにはアンダーラインを引いた。


結論:人類の脳と身体の反応速度では百パーセント不可能


 ページを丁寧に切り離し、メモをデスクの上に置くとボソッと独り言をもらした。

「まだ仮説に過ぎないが・・・ファットマンの言葉通り、人間技ではない」

 しばし考えこんだ後、ホログラムで秘書に伝えた。

「カレン、CIA長官に繋いでくれないか?都合がつかなければ、後ほど折り返してくれるよう頼んでほしい」

「承知しました。お待ちください・・・お出になりました。二番にお繋ぎします」

「ありがとう」

 秘書に礼を言って回線を切り替えた。


「マーカス、元気そうだな。やけに日焼けしてハワイ帰りか?だったら許さんぞ!」

 アレン・フーバーは初代FBI長官直系の子孫で、四十代にしてCIAのトップに上り詰めた。部分遺伝子操作で若返らせた髪をきれいに七三に分けて撫でつけている。

 ホログラムに映るフーバーの姿を見ながら、メトカーフはやり返した。

「楽園のハワイどころか、灼熱のネバダ砂漠だよ。お前こそ闇予算を議会に叩かれてるわりには顔色がいいじゃないか。新婚だから当然か?」

「ハハハッ、照れるからやめてくれ!のろけ話はいずれ嫌と言うほど聞かせてやる。ところでネバダと言えば、二カ月前の同時テロの対応は見事だったな!」


 CIA長官のフーバーは、隠蔽された国内のテロ未遂事件についても、当然のように詳細に把握していた。

「ハッカー一味の尋問調書に目を通した。脳心理分析チームは、連続した警告音とミサイル自爆の音響効果で正常な思考回路が遮断され、興奮状態に陥り挑発に乗ったと報告している。ハッカーが若いエリート集団と見抜いたのは、お得意のプロファイリングか?」

 メトカーフは無言でうなずいた。

「さすがだな。よりによってお前があの試験基地の臨時副司令官とは、合衆国にとってもまたとない幸運だったよ!で、今日は何の用だ?」

 フーバーはCIAの極東支部当時、米軍諜報部のメトカーフのチームと組み、何度か共同作戦を成功させている。

 縄張り意識の強い諜報機関や軍や捜査当局の間で、組織の枠を超えた協力関係を維持するのは容易なことではない。だが、この二人には、プライドより目的を優先させる冷徹な戦略的マインドが備わっていた。

 感情的な反応に囚われず、誰とでも臨機応変に手を組むことができる。


「日本の人工知能プライムの新人類騒ぎは覚えてるな?」

 メトカーフが切り出すと、フーバーはフッと鼻で笑った。

「前フリはよせ!覚えてるも何も、新人類レポートはお前のアイデアをもとにCIAがでっち上げたんだ。忘れるわけがなかろう?」


「それもそうだ。当時はシティのCIA諜報部員リストが漏洩した件で、お互い手一杯だったな。リークを受けたメディアが合衆国政府に通報したため、表沙汰にはならずに済んだ。だが、日本政府とシティ自治政府は、諜報部員の潜入に激怒したな」*

 メトカーフは持ち前の穏やかな口調で返すと、フーバーが同意した。

「まったくだ。あの新人類レポートのおかげで、日本政府とシティ当局は世論の対応に追われて、我われとの折衝を早々に切り上げた。CIAとしては最小限の被害で済んだわけだ。お前に借りがあると言いたいんだろう?」


 互いに手の内を知り尽くす仲だが、それぞれの思惑に加えて、相手の能力に対する敬意が二人を動かしている。が、それは友情や信頼とは似て非なるものだ。

 メトカーフは端的に切り出した。

「そのことだが実は頼みがある。二年経ってほとぼりが冷めたら、プライムの情報取集を再開する計画だったな?手始めに諜報部員を一名送りこむと言っていたが、選定の経過を教えてほしい」

「その件なら候補を絞っているところだ。諜報員リストのリークにプライムが絡んでいた確率は、シュミレーションで77.5 %と有意に高い。もしプライムが意図的に我われを撤退させたとすれば、放置するわけにはいかない」

 フーバーは厳しい口調で続けた。

 シティ撤退はCIA極東支部の汚点として記憶に生々しい。しかし、失敗から学び巻き返しを狙うのが真の勝者だ。

「CIAは表向きシティから完全撤退したことになっているが、シティ自治政府のデータベースへのアクセス権は保持している。平たく言えば、バックドアは削除していない。実のところ、バックドアを探知したプライムが、逆にシティのCIA本拠地のデータベースに侵入、リストを入手したのではないかと我われは疑っている」


「なるほど。だがバックドアを閉じてしまえば、プライムの関与を確かめる手がかりも消えるわけか?残しておけば次に潜入する報部員をおとりに、プライムの動きを探れる」

 メトカーフの言葉にフーバーがうなずいた。

「相変わらず頭が切れるな。その通りだ。シティ自治政府のデータベースにアクセスすれば、プライムに筒抜けってわけだ。それを逆手に取れるかどうか物は試しだ」 


 メトカーフはフーバーの誉め言葉には反応せず本題に入った。有能な人間は自分を称賛する相手をむしろ警戒する。イエスマンを部下に集めるような愚かな真似も決してしない。

「実はシティに派遣する諜報員に推薦したい人物がいる。軍諜報部ではなくCIAのオフィサーだ」

 フーバーは驚いた素振りも見せなかった。メトカーフが軍諜報部の他にCIAやNSAの教官を歴任した過去を知っているからである。 

「いいのか?今回の潜入は単独任務で、支援はシティ自治政府の高官一名だけだ。プライムのおとりとなる、言わば使い捨て工作員だ。日本政府やシティ自治政府に捕らえられても政府もCIAも一切関知しない。前回のように、国家間交渉で帰国させるわけにはいかないんだぞ・・・お前の教え子か?」


「会ったのは短期研修の一度きりだが、彼女なら切り抜けられるはずだ。日本語が母国語だから偽装にも有利だ」**

 メトカーフの穏やかだが確固とした口調に、フーバーは少し考えてからうなずいた。

「いいだろう。だが、借りがあるからじゃない。お前の人を見る目を信用しているからだ。人事部のアドレスはわかるな?オフィサーのコードネームとID番号を送ってくれ」


「承知した。アレン、新婦によろしくな!才色兼備の素晴らしい女性のハートを射止めたな。姉妹がいたら、ぜひ紹介してほしいと伝えてくれないか?」

「あハハッ、いや、悪いがそれだけは断る!お前は俺以上の策略家で、おまけにプロファイラーときている。とてもじゃないが家庭人には向かない。人の心を読める相手に女性を紹介するのは気が進まん。マーカス、お世辞抜きで言うが、お前なら紹介してもらうまでもない。向こうからアプローチしてくるだろうに?」

 

 フーバーの率直な返事に、メトカーフは苦笑いせずにはいられなかった。

「言われてみれば前半は確かに当たっているな。だが後半はどうかな?時間を取らせたな、アレン。諜報部員の選定が決まったら連絡を頼む」

「もちろんだ、マーカス!」


 通話が終わると、大佐は背もたれを倒して身体を伸ばした。目を閉じてもの想いに沈んだ。

 味方をも欺いて、必要とあれば敵とも手を組んで目的本位で動く。

 フーバーと自分の共通点はそこだけだと思う。互いに相手の能力を高く評価していが、必要に応じて利用し合うだけの仲で、二人の間に信頼関係があるわけではない。

 むしろ、有能な人間ほど警戒してかからなければならない。

 

 目を開けてさきほどのメモを取り上げひとしきり眺めてから、立ち上がってアナログシュレッダーにかけた。


 イーグルアイカメラの不具合を知りながら、スワン少尉は黙って出撃した。メトカーフのプロファイリングが正しいとすれば、その理由は一つしかない。


 偶然にも試験基地の副司令官に任命され、同じく偶然にも天才パイロットの人間離れした異能力に気づいた・・・

 決して運命を信じているわけではないが、メトカーフもまた人智を超えた力に導かれているように、ある種の予感に突き動かされて動いてきた。

 手探りで調査を初めて二年、プロファイリングにぴったり一致する者が現れた。CIA分析官カミーユ・ドレフュスこと深山貴美と、海軍航空隊少尉ビアンカ・スワンである。


 メトカーフは揺らぎのない予感を抱いていた。

「彼女たちの正体が何者であれ、二人と自分の運命は、いずれ必ず交錯するに違いない」


 プライムの新人類レポートはフェイクなどではないのだから・・・



*「青い月の王宮」第3話「ノヴァ」

**「青い月の王宮」第21話「仁義なき戦い」



「青い月の王宮」プレリュード編その壱「デザート・イーグル~砂漠の鷲~」 (完)


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デザート・イーグル ~砂漠の鷲~ 深山 驚 @miharumiyama

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