第5話 頑固な門番(1)

 門への道のりは思っていたよりもずっと遠くて、なるほど確かに一人で行くのは大変だった。途中で何度か紫色を見たし、ときどきドンドンと大きな音がすることもあった。それに何より、そんな中一人でいるのは精神状態に異常が出るのは確実だろう。一人がダメだとか、話すのが大好きとか、そんなことはない俺だって耐えられる自信はない。

「お」と鷲尾わしおが声をあげたので、俺も顔を上げる。足元を見て歩いていたのは、決して気持ちが鬱屈していたわけではなく、木の根が地上に這い出してきていて、足元が危ないったらないのだ。前を向いてひょいひょい歩いている鷲尾に、つい尊敬を抱く。


「出た出た」


 鷲尾に続いて森を抜けると、遠くからでもはっきりと巨大に見えたあの扉が、眼前に立ちはだかっていた。裏面を見てなくても、巨大な「石板」がそびえ立っているのだと解る。勇壮で、厳格で、偉大さもしっかり伝わるのに、風や地震で倒れないんだろうかとか貧相な発想しかできないのが悲しい。ほんと俺って・・・

 扉の近くに目を向けると、誰かが立っているのが解った。

「よお、鍵守かぎもり

 鷲尾の軽い挨拶に、彼女は瞳だけゆるりと動かした。

「何か用?」

 挨拶の返事は無しかよ。アイドルのような可愛い顔でも、こういう不躾な女子は嫌いだ。・・・不躾の使い方違うかな?

 彼女の半開きの目が、俺を捕えるとぱっと五秒ほど見開かれた。それから鷲尾の隣を素通りして、俺の前まで歩いてくる。少なくとも俺の持つパーソナル・スペースにグイと入った距離から、じっと見つめてきた。紫色の大きな瞳が、俺の瞳孔を長い時間捕える。この世界の人たちは男女の距離を何だと思ってるんだよ。距離を少しも話さずに、彼女は桜色の唇を開いた。

「なるほど、アリスが来ていたのね」

 感情の感じない、抑揚のない話し方だった。機械的っていうのかな。漫画とかアニメとかだとときめくような要素かもしれないけど、面と向かって言われると、薄気味悪さしか感じない。あれにときめける主人公、すげぇな。

 何を考えているのか、相変わらず彼女は退く気配を見せない。さすがにずっと見続けることができなくて、思わず視線を逸らした。そこで目に入ったのは、巨大な鍵だった。またここでも鍵か。とはいえ、今回は鷲尾の時よりもずっと大きい。小学校の時に使ってた竹ぼうきと同じくらいの大きさがありそうだ。ちょっと竹ぼうきを大きく見てるかもしれないけど。形は小説とか漫画によく出てくるウォード錠だ。鷲尾の鍵の時と言い、この世界で使われる一般的な鍵はこれなのだろうか?

 そう言えばさっき、鷲尾は彼女の事を鍵守って呼んでたな。ということは、彼女はこの門の鍵を守ってるってことか。でも、扉に鍵なんて付いてたっけ?ちらりと見たいけど、さすがに顔の向きまで変えるのは無理だ。

 そんな困っている俺そっちのけで、鷲尾は扉を見て「でかいなぁ」と呟く。そして今さら思い出したように、こちらを見た。

「ああ、そういや紹介まだだったよな」

 こっちまで来て助けてくれればいいのに、横着なのか意地悪なのか、鷲尾はその場で済ませた。

「そいつは今回のアリス、有須ありす啓介けいすけだ。『ありす』って名前のアリスが来たのはかなり久しいよなぁ」


 感慨にふけってないで助けろよ!


 もう泣きそうな俺に、彼女は初めて前のめりだった体を戻してくれた。解放感が体に満ちる。

「そう。あたしは鍵守。鍵守季々きき

 え、鍵守って名前なの?役職じゃないの?

 思わず俺は尋ねてしまう。

「え?じゃあ、能力は・・・」

「門番、いえ、今は『ドアノブ』だったかしら」

 それこそ役職じゃねぇの?いまいち能力ってのが解らない。俺の能力が何なのかも結局わからずじまいだし、だいたい能力なんて持っているかも解らない。思い込みって可能性が消せないからだ。

 逃げるように数歩下がってから、確認も込めて扉を見上げた。やはり鍵穴は見えない。そこにあるのはただの大きな石門だ。何らかの文様が入っているようだが、ただの柄だろう。おかげで近付かないと扉であることも分かりにくく、説明がなければただの石板に見えた。

 取っ手も何もなくて、押して開けるにも重そうで、本当にここから帰れるのか不安になる。駆られるように手を伸ばした時。

「危ない!」

 目の前に鍵が突き刺さった。さっきまで、鍵守が持っていた鍵だ。鷲尾が左腕を慌てて引いてくれなければ、伸ばした右腕は今、無かっただろう。振り返ると、剣呑な眼差しを向けてくる彼女がいた。

「扉に何の用?」

 さっきはあんなに近くにいても恐怖心はなかったのに、離れた今の方が足が震えた。口で言えばいいだろとか、いろいろ思うところはあったけど、声にならずに頭から零れ落ちる。

「悪気はないんだって。ただ、アリスを元の世界に戻してほしくてさ」

 手を離した鷲尾が、軽い口調でフォローを入れた。しかし、引っ張られた腕には彼の手の跡がくっきりと残っていて、必死だったことを知る。面目ない。

 表情を見せた鍵守だったけれど、すぐにまた鉄仮面に戻った。少しホッとする。こちとらきちんとした理由があって使いたいんだ。元の世界に帰るっていうのは、すっげぇ大事な理由じゃん?

 しかし。


「ダメ」


「なんで?!」

 彼女の回答に、俺は身を乗り出して聞き返してしまった。さっきまで震えていた自分を忘れたみたいだ。

 結構な勢いで言ってしまったにも関わらず、彼女は黙々と近寄ってきて、淡々と目の前に刺さっていた鍵を引っこ抜く。それから感情のない上目遣いで俺を見た。女の子の上目遣いって、ときめくポイントだろ?なんでこんなに怖いんだよ!

「何でもないでしょ?許可証も持たずに」

「・・・許可証?」

 聞いてねぇぞ?鷲尾を見ると、眉間にしわを寄せていた。

「許可証ったって、そいつはアリスだぞ?」

「アリスだから何?この門から入ってきたならいいけれど、私が見張っている限りでは、彼は初見よ」


 そりゃそうだ。俺だってこの門初見だもん。


 どうやら問題は俺のイレギュラー性らしい。門から入ってきた過去のアリスたちは門から帰れたものの、空から落ちてきたというこの世界でも摩訶不思議な入り方をした俺は、門を通るにもこの世界の住人と同じ扱いになるようだ。それは鷲尾や、きっと宝亀も思いもしなかったルールなのだろう。鍵守独自のものかもしれない。だとしたら、運が悪いとしか言えないけど。

 しばらくは食い下がってみたものの、鍵守はかなり頑固で、断固として譲らなかった。まぁ、考えてみれば、説得力はない、説明は下手、あきらめも速いという三拍子そろった俺に、勝ち目ははなから無かったような気もする。

 諦めた俺は、奥であくびをしている鷲尾の方に歩いていく。

「お疲れ」と労いの言葉をくれた彼に、結構な形相で尋ねる。

「なぁ、どうやって許可証ってもらうの?」

「さぁ?でも、王族が発行してるってことは知ってるけど」

 どうやらもう一度、宝亀に聞く必要がありそうだ。っていうか王族って、謁見とか何とかすげぇ難しそうなんだけど、俺帰れるんだよね?

 悶々とする俺越しに、鷲尾が鍵守に聞いた。

「お前、どっち派だっけ?」

 そうだ。確かにそんな派閥があった。何色と何色だっけ?白と黒?赤と青?緑と黄色?

「どっちでもない。赤だろうと白だろうと、許可証があれば通すわ」

 赤と白だった。結構めでたい色合わせ。

 その答えを聞くと、鷲尾は「宝亀に相談すっか」と言って、さっさと折り返し歩き始めた。後ろ髪も何もないからいまいちよくわかんないけど、「後ろ髪を引かれる気持ち」で俺もその場を後にした。


∴∵∴∵∴∵


 片道でも疲れたのに、また同じ道のりをまた同じ時間かけて帰ると、宝亀ほうきの前に着いたころにはへとへとになっていた。「あー」と声を上げてそこらへんの木の根元に座り込むと、足にじわじわと痛みが走る。いや、痛みっていうか、疲労かな?とにかく疲れがどっと流れてきた。

 二人揃ってそんな俺の様子を見てから、顔を合わせた。宝亀は鷲尾と俺をもう一度見直してから、首をかしげる。

「そんなに大変な道のりだったか?」

「いや・・・」と鷲尾も困った返事をする。悪かったな!インドア派なんだよ、俺は!ゲーマーでも読書家でもなんでもねぇけど、あんま外であそばねぇンだよ!体力がないんだって!いやホント、この世界に来てからいろいろ反省もしてますけど・・・。

「しかしそうか・・・」と宝亀はあごに手を当てて、考え込んだ。彼女は素材(?)がいいから、こういう姿も様になる。宝亀が考え込む、というのは珍しいことのようで、鷲尾も目を丸くしてそれを見ていた。

 期待と奇異の視線を受けて宝亀が出した答えは、どうにもわからないものだった。

羊元ようもとの所へ行こう」

「ヨウモト?」

 なんか新しいのが来た。今度は何なんだ?しかし、鷲尾も直では繋がらない人物だったらしく、首をかしげていた。

「羊元の所って・・・あの店だろ?」

 店をしている人らしい。宝亀は首肯する。

「ああ。王族に会うにも、能力にあてられて

 ・・・よくわかんなくなってきた。それでも鷲尾は理解できたようで、「ああ」と納得を示す。


俺がバカなだけですか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る