最終話「現実戦隊フツージン!!」

 生暖かい風がコスチュームを撫でる。分厚い雲に覆われた空で、数羽のカラスが鳴いている。


 ワゴンを降りると、すぐ足元には緩やかな斜面が続いていた。わずかに開いた窓の向こうから、佐藤が心許なそうに僕たちを見つめている。


 僕らは頷き合ってから、慎重に斜面を下り始めた。生い茂る草はどれもぴんと背筋を伸ばしているが、空模様のせいで色彩を失って見える。カァ、カァ、とカラスが鳴き続ける中に、草を踏む音が重なった。


 眼下にはグラウンド。四角く草が刈りとられ、両端にはサッカーゴールが設置されている。かすれて消えかけたセンターサークルの中に、真っ黒なシルエットが佇んでいる。


 斜面を下りきる。僕らは黒い男と向き合って、横一列に並んだ。ピンク、ブルー、僕、総司令、イエロー、グリーン。数秒の睨み合いの後、男のマスクが小さくへこむ。


「来たな、『フツージン』」


 男はやはりひょろりと細く、背が高い。少し苦しげな低い声は、マスクの内側でこもっていた。列の真ん中に立つ総司令が、センターラインのこちら側で一歩前に出る。


「一体何の用だ。吠え面かいて逃げた分際で、よくそう強気でいられるもんだな」


「フン、言ってろ」


 総司令の啖呵を一笑に付すと、男はパーカーのポケットに右手を突っ込んだ。何かを掴んで取り出すと、男は素早く手首を振る。


 カシャ、と、折り畳み式のナイフが開かれた。


「総司令!」


 ピンクが鋭く呼ぶ。全員がそれぞれ身を固くし、僕は横目でワゴンを見上げた。土手道に停めたワゴンの窓から、佐藤は控えめに顔を出している。男はやはり鼻で笑った。


「刺しやしねぇよ、バカ」


「質問に答えろ。一体何が目的なんだ」


 総司令が再度問いただす。男は気だるげに首を回してから、マスクの下で一言、こう言った。


「倒してみろ」


「何?」


 総司令が訊き返すと、男は自分の足元を指差す。


「だから、俺を倒してみろっつってんだよ。尻餅をつかせるなり、参ったと言わせるなりしてな。ただし、そのセンターラインから出ずにだ」


 僕は視線を下に向ける。やはり消えかけのセンターラインは、僕らと男をうっすらと、しかし確実に隔てていた。


「はぁ? そんなこと出来るわけ……」


「やれよ」


 イエローの不平は、投げやりな声に遮られた。男はナイフをこちらに向けて、威圧的に揺らす。


「『現実に非現実を実現』させるんだろ? やれよ。不可能っつう現実に、ワクワクの非現実を実現してみせろよ。なぁ」


 センターラインのこちら側に、重い沈黙が広がった。僕の頭が、締めつけられるように痛み始める。鈍く光るナイフの銀色に、指先が冷えた。


 カラスのしゃがれた鳴き声の下で、男がパーカーの左袖をまくる。その手首には、塗装の剥げた腕時計が巻きつけられていた。


「制限時間は二十分だ。もちろん、その線を越えたら刺すぞ」


「二十分……」


 自分の口から声が漏れた。頭の痛みが激しくなる。マスクの下で、男がせせら笑っているのが分かった。僕の隣で、ブルーが普段よりもはきはきと声を発する。


「相談はしてもいいんですよね」


「勝手にしろよ。けど、その間も時間は過ぎていくからな。お得意の『作戦会議』で二十分使うなよ」


 男の返答を聞き、僕らは顔を見合わせる。話し合うべく円陣を組むと、今度はきちんとまんまるになれた。


「あの人、なんで作戦会議のこと知ってるんですかね」


 イエローが小声で言う。ブルーは軽く首を傾げ、やはり小声で返した。


「分からない。でももしかすると、盗聴とか盗撮とか、されてたのかも……」


「つーかどうすんだよコレ! 線を越えずに倒すとか、そんなことできんのか!?」


「やるしかないだろうが。あれだけ舐められて『出来ません』では、面目丸潰れにもほどがあるぞ」


 地団太を踏むグリーンを、総司令が窘める。僕は痛む頭を回して、冷たい舌を動かした。


「何か飛び道具があればいいんですけど。例えば……あっ、ヘルメットを投げるとか」


「馬鹿もん! たとえ全裸になろうとも、ヒーローたるものヘルメットは死守だ!」


「す、すみません」叱られてしまった。項垂れる僕に続いて、イエローが即座に案を出す。


「誰か、輪ゴム持ってないんですか? 指で鉄砲作って飛ばすやつ、結構痛いと思うんですけど」


「おお! 持っとるぞ。何かと便利だからな」


 打って変わって明るい声で言い、総司令はエプロンのポケットから輪ゴムを取り出す。「撃ちましょう」と即決するイエロー。「よし!」総司令は指で鉄砲を作ると、その手を各方向からくるくると眺めた。


「えー……どうするんだったかな」


「分かんねぇのかよ!」


 グリーンが輪ゴムをひったくった。それを両手でぐっと伸ばすと、鉄砲になった総司令の指に器用に引っかける。


「ほら、こう! これで親指曲げたら飛ぶから」


「うぅむ。たまにはやるじゃないか」


 総司令は複雑そうに口を曲げ、身体ごと男に振り返る。さっとナイフを構える男。総司令は怯むことなく狙いを定めると、勇ましい声を張り上げた。


「覚悟しろ、怪人真っ黒マスクめ!」


 パチン!


「いたっ」


 男が額を押さえる。それからキョロキョロと足元を見回して、倒れてねぇぞ、という風にこちらを睨む。カァ、とカラスが一声鳴いた。


「いかんな」


「まぁ、そっすよね」


 くるりと円に戻る総司令に、イエローが頷く。刻一刻と時間は過ぎていく。


「どうすんだよ。銃とか持ってねぇの?」


「持っとるわけなかろう! そもそも戦闘はおれたちの本分ではない」


「俺たち全員で、石を投げてみるとか……?」


「で、でも、ここには石なんてありませんよ。グラウンドの砂利じゃ細かすぎるし、周りにも草しかないですし」


「いや待て。確かにそれもあるが、そもそも輪ゴムや石では非現実感がなさすぎだ」


 総司令はそう言って、円の中心に手のひらを出した。


「諸君、とにかく落ち着いて考えようじゃないか。考え方は今までと一緒だ。イメージを膨らませて、『こうなったらいいのに』という思いを見つけてみろ。この状況がどうなってほしい? 漫画やドラマならどうなる? 非現実に思考を飛ばして、想像するんだ」


 うぅん、と全員が一斉に唸る。


「正義の天才発明家が、巨大ロボを持ってきてくれたらいいのに」と、グリーン。


「実は仲間がもう一人いて、あいつの背後から不意打ちのヘッドロックをかましてくれたらいいのに」と、イエロー。


「あの人のお母さんがちょうど通りかかって、泣き落としをしてくれたらいいのに……?」と、ブルー。


「えぇと、みんなの持ち物を集めて、なんかこう、すごい武器を作れたらいいのに」と、僕。


「むぅ……」と、総司令。


 僕らの非現実は、どれも実現性に欠けすぎていた。五人バラバラに首をひねって、実現可能な非現実をどうにか捻り出そうと試みる。ピンクはずっと俯いて、何やら真剣に考えこんでいる。


「ハッ!」


 センターラインの向こうで、男が一段と大きく鼻を鳴らした。僕は顔を上げる。男は腕時計を指で叩きながら、横柄な態度で身体を揺らした。


「もう五分経ったぞ。どうだ、いいイカサマは思いついたかよ?」


 総司令が首だけで男を振り向き、目を怒らせて怒鳴りつけた。


「うるさい! 今こっちで考えてるんだから邪魔するんじゃない!」


「邪魔されなくたって思いつかねぇだろうが」


「うぐ……」


 拳を震わせる総司令。男は勝ち誇ったように顎を上げ、サングラスの下から僕らを見下ろした。

川の向こうから、冷たい風が吹いてくる。ザァ、と周囲の草が鳴って、カラスの声が一つ、二つ、三つ、重なっていく。


「なぁ、いい加減諦めたらどうだ? お前らは所詮、現実に生きる人間なんだよ」


「……どういう意味だ」


 声を低くして、総司令が身体ごと男に向き直った。男は僕らを見下したまま、歯を立てるように語りだす。


「分からねぇのか? お前らも、お前らが助けたと思ってる奴らも、誰も現実から逃れることなんてできない。どんなに非現実を夢見たって、結局はみんな現実に生きていくことしかできねぇんだ。お前らが善意でやってることなんて、本当は残酷なことでしかないんだよ」


「残酷なこと?」


 イエローが凄む。僕の腹の底に、またあの空気が戻ってくる。息を吸うことも、吐くことも、徐々に苦しくなってくる。


「お前らの見せる非現実は、絶対に長続きしない。いっときいい思いができたって、そんなもんすぐ現実に塗り替えられる。例えば……お前らが友達を作ってやったガキ。ありゃ悲惨だな」


 ユウタくんの顔が、僕の脳裏に蘇る。


「ヒーローのおかげで友達ができた、そりゃあ確かに嬉しいだろうよ。けど問題はその後だ。中学、高校、大学、社会! あいつはきっと、環境が変わるたびに人間関係で苦労するぜ。そしてそのときこう思うんだ。『ヒーローさえいてくれれば、自分にも友達ができるのに』。『どうしてもうヒーローは来てくれないんだ』! そんなの……余計に辛くなるだけだ」


 言葉を止めてから、男はゆっくりと顎を戻す。僕らを正面から見据えて、笑うように声を震わせる。


「現実は苦しいよ。だからこそ、非現実には中毒性がある。お前らみたいなのが中途半端に非現実を見せると、見せられたほうはこの先もそれに縋りたくなるんだ。だが、非現実は二度と帰ってこない。どんなに願っても、追いかけてもな。分かるか? 俺はあいつらを、お前らから助けてやろうとしてたんだよ」


 男の言葉に、ひとつの記憶が頭をよぎった。膨らむ空気を押しとどめながら、僕は声をあげる。


「まっ、まさか、公園の『立ち入り禁止』は……」


「あぁ」


 がくん、と男が首を傾けた。


「そうだよ、ありゃ俺がやったんだ。それと、あのリーマンにお前らのことを話したのも俺だぜ。ちょっと誘導したらすぐお前らを悪く言い始めて、あんときゃ内心爆笑だった。一歩間違えば、あいつも俺みたいになってたかもな」


「やっぱり嫌がらせだったのかよ!」


 グリーンが泣きそうな声で叫ぶ。男はヒヒヒ、と小さく笑うと、黒い両腕を大きく開いた。一言一言を僕らに言い聞かせるように、前のめりになってマスクを揺らす。


「ほら、もう諦めて認めろよ。あのガキもあのリーマンも、お前らだって全員、現実に生きるちっぽけな人間なんだ!」


 男の声は次第に大きくなり、悲痛な色を帯びてくる。反論の隙も与えられないまま、僕らに声が降りかかる。


「お前らは誰の役にも立てやしない、ヒーローになんかなれやしない! さっきだって、俺の罠を避けることすらできなかったじゃねぇか! 誰も、現実に打ち勝つことなんかできねぇんだ! お前ら以外はみーんな、それを吞み込んで生きてんだよ!」


 男は悲鳴にも似た絶叫を、マスクの中に轟かせた。


「現実を見ろ!!」


 彼の叫びが、発した言葉のひとつひとつが、僕の身体に染み込んでいく。染みた言葉は腹の底で、肺で、喉で、舌の上で、透明な空気になって膨らんでいく。僕の身体の内側に、吐き出したい何かが渦を作っていく。


 僕は今にも爆発しそうで、身じろぎひとつできなくなった。ぐるぐる回る頭の中に、記憶と言葉が浮かんで消える。


 ――どんなに辛くても、現実見て、受け止めるのが大人なのかな、って。


 ――しがない肉屋でも戦隊ヒーローの総司令になれる! ってな。夢があるだろ?


 ――ヒーローにあこがれても、結局は毎日仕事して金稼ぐしかないんだし。


 ――近くにヒーローがいるなんて思わなかったから、ヘンだけど、楽しい、っていうか。


 ――現実から目を背けちゃいけないんだと、思って。


 ――ヒーローとして動いてると、結構楽しいので。


 ――現実を見ろ!!


「お前なぁ……お前の言ってることは」


 動けなくなる僕の目に、総司令の背中が映る。ザッ、と砂を踏む音がして、丸いシルエットが前に出た。いつものように腕を組み、いつも以上に胸を張って、我らが総司令は堂々と、男に言葉を返してみせた。


「おおよそ納得できるッ!」


「はぁっ!?」


 グリーンが破裂したような金切り声を上げた。僕の目も思わず丸くなる。「お前の言ってることは、おおよそ納得できる」?


「お、オッサン、お前バカなのかよ!?」


「バカではない!」


 凛々しい顔でグリーンに振り向いたあと、男へ顔を戻す総司令。男も面食らった様子で、ナイフを構えつつ後ずさった。総司令は胸に手を当てて、紳士的な仕草で深く頷いた。


「確かに、おれたちにはアフターケアの精神が欠けていたかもしれん! 面白いフィクションに触れたあと、現実に戻ったときのあの虚しさ。あれには耐えがたいものがあるよな。その点はよく反省し、改善に努めることを誓おう。イエロー!」


「え、はい?」


 突然呼ばれたイエローが、うろたえつつも姿勢を正す。総司令は前を向いたまま、威厳に満ちた口調で指令を下した。


「これからは、ときどき三村さんを手伝いに行ってあげなさい。要領のいい君であれば、きっと力になれるだろう」


「あぁ、はい……」


「そして、グリーン!」


「なっ、何だよ!?」


 ぴょん、と小さく跳ねるグリーン。総司令は不機嫌そうな、しかし優しい声で尋ねた。


「ユウタくんの様子はどうだ」


「えぇ?」


 グリーンは訝りながら、少し照れくさそうに答える。


「うちにもよく遊びに来るし、学校でもいつも遊んでるよ。ビビりなのは変わんねぇけど、オレの他の友達にも話しかけて、仲良くなってて……前より、明るくなった気がする」


「よし! これからも末永く友達でいてあげなさい」


「う、うん。つか何なんだよこれ!」


 グリーンが怒鳴るが、総司令は堂々と構えたまま動かない。ユウタくんの様子を聞いて、膨らんだ僕の腹が少しだけ熱をもった。暖められた空気はまた膨張して、僕の喉仏を押し上げる。


 依然として呆気にとられている男の前で、総司令がさらに胸を張った。


「おれも毎週水曜日には早起きして、ゴミ捨て場のカラスを追い払っていたぞ! ご近所迷惑にならないよう、控えめに声を出してな。そうしたら奴め、最近はめっきり姿を見せなくなった! 今はあいつがどこにいるのかすら分からん」


 がっはっは、と笑う総司令。男は「カ、カラス……?」と動揺を露わにして、笑い声に押されるように後ずさった。それから慌てて首を横に振ると、ナイフをめいっぱいに突き出して喚く。


「そっ、それがどうした! その程度のことで現実に打ち勝てるとでも思ってるのか!?」


「思っとらん!」


「なッ!?」


 総司令に即答され、男は素っ頓狂な声を上げた。僕も唖然として、周囲の面々もみんな、総司令の背中に釘付けになる。ちらりとワゴンに目をやると、佐藤もじっとこちらを見ていた。


 総司令は組んだ腕をゆっくりとほどき、「君!」と男を指差した。男はびくりと肩を震わせて、ナイフの切っ先を総司令の顔に向ける。が、総司令はあくまでも悠然とした態度で、ゆっくりと諭すように語り始めた。


「君の言うように、現実から本当の意味で逃げきることはまず不可能だ。おれたちは現実に生きるちっぽけな人間、それも否定せん。現実に打ち勝つことも当然できんし、そもそも! 君に出会う以前から、『現実に勝つ』なんてことはただの一度も言っとらん! なぜなら!」


 総司令は、両腕を勢いよく広げた。ナイフの先をわずかに下げて、男は怯む。彼の前には今、堂々たる総司令の仁王立ちと、並んだ僕らの原色が、曇天の下に立ちはだかっている。


「現実とは! 打ち倒すべき悪役でも、沿わねばならない規則でもない! 現実とは、おれたちを覆う膜に過ぎない! その膜は確かに頑丈で、破ってもすぐに元に戻る。だから、おれたちは破ることを諦めてしまう。だが、おれたちはその膜を、何度だって破ることができるはずだ。現実に打ち勝つことができなくたって、特別な体験を、特別な誰かになった気分を、味わえるはずだ。ちっぽけな人間のままでだって、非現実の世界を眺めることはできる! 『現実に非現実を実現する』というのは、そういうことなんだ!」


「それがみっともないっつってんだよ!」


 総司令の声を掻き消すように、男が叫んだ。肩を怒らせ、鬱陶しそうにマスクを投げ捨てる。その口元の無精ひげには見覚えがあったが、誰とは思い出せないうちに男が吠える。


「何が膜を破るだ! 何が特別になった気分だ! そんなの、結局ただの現実逃避だろうが! いい大人が現実逃避でヒーローごっこなんて、恥ずかしくて見てられねぇんだよ! 目障りなんだ! 自分がくだんねぇ人間だから、自分には何の取り柄もねぇから、それが辛くて目ぇ背けてるだけなんじゃねぇのかよ? なぁそうだろ!?」


 男は声を裏返すと、ナイフの先を総司令から移動させた。総司令の肩の奥、鋭い切っ先に捉えられたのは、


「レッド!」


 僕だった。


 腹の底で、肺で、喉で、舌の上で、空気は膨らみ続けている。


「お前が一番くだらねぇよな。地味で暗くてハッキリしなくて、仕事も上手くいってない。朝から陰気な面を晒して、挨拶ひとつ自然にできやしねぇ」


 膨らむ。息ができなくなる。指先が固まる。身体の奥底で、吐き気に似た渦が大きくなる。


「分かってんだろ? 自分が何の面白味もねぇ人間だって。金もない、個性もない、顔もよくなけりゃ大した能力もない。ヒーローなんて器じゃねぇよな」


 身体の中で膨らむ空気を、渦が大きく巻き込んでいく。とどまっていただけの空気が、ついにひとつの渦になる。僕の身体を内側から、ぐるぐる回ってこじ開けようとする。


「なぁ、辛いんだよな。ちっぽけな自分が、何もできねぇ自分が、そんな現実が辛いんだよな。だからお前は目を背けたいんだ。それだけなんだよな?」


 渦はもう、唇のすぐ手前まで迫っている。唇が震えはじめる。呼吸ができない。もう、口を開くしかない。この渦を、吐き出すしかない。


「お前のしてることは、単なる現実逃避なんだよ。認めろよ。自分がみっともない人間だってことを、自分はただ、目の前の現実から目を背け続けてるんだってことを……」


「……違う」


「あ?」


 男に訊き返され、僕は口から息を吸う。吸った空気は大きな渦を成長させて、僕は、ようやく破裂した。


「違う! 僕は、現実から目を背けてなんかいない!」


 ビリ、と、身体の周りが小さく震えた。男の口元が強張る。僕に視線が集まる。緊張と恐怖に膝はわなないて、佐藤も確かにこちらを見ていて、それでも、風船の穴から空気がふき出すように、口からは言葉がとめどなく流れ出た。


「確かに僕はくだらない人間だ。地味で暗くてハッキリしなくて、陰気でコミュ障で没個性だ! そんな自分が情けないんだ、辛いんだ! でも、どんなにヒーローをやってみたって、現実から目を背けられるわけじゃない! ヒーローでいる間だって、特別になれない自分を嫌っていうほど見てる! こんなコスチューム着てたって、中身は結局僕のままなんだ! 僕は、平凡な僕のままでヒーローをやってるんだよ! 普通の人間のまま、特別になんかなれないまま、それでもワクワクしようとしてるんだ! 現実が膜だっていうんなら、その膜と向き合わなきゃ、その膜に触らなきゃ、破ることなんかできないだろ! 僕は現実から目を背けてなんかいない。僕の見ているこの現実に、僕っていうヒーローが実現したんだ。くだらないこの僕が、特別じゃないこの僕が、『現実戦隊フツージン』のレッドなんだ!!」


 グラウンドに、叫びの余韻が消えていく。ヘルメットの耳元で、荒い呼吸が反響していた。男の様子も仲間たちの様子も、もう何も見えなかった。自分の呼吸の音がして、風が吹いて、草が鳴って、カラスが鳴いていて、そしてかすかに、川の流れる音がする。


 渦はもう跡形もなくなっていた。空っぽになった腹の底には爽快感が薄く残っていて、その爽快感を押し潰すように、恥ずかしさや焦りが気管を下っていって、そして、


「思いつきましたぁ~~~~~~ッ!」


 ピンクの声が鼓膜に突き刺さった。ずっと沈黙を守っていた彼女の大声に、僕の心臓がバクバクと慌てる。我に返った目で辺りを見渡すと、この場にいる全員が、ピンクの挙動に身構えていた。ピンクは男のほうへ前のめりになり、腕時計を叩く仕草をする。


「不審者さん、残りはあと何分ですか!?」


「んぁ? あ、あぁ」男は寝ぼけたような声を出して、「あと、五分だ」と答えた。


「では急ぎます! みなさん聞いてください!」


 ピンクに手招きされ、僕らはバタバタと円を整える。男にちらりと目をやってから、グリーンが声を潜めた。


「思いついたって、何が思いついたんだよ」


「作戦です! あの人を倒すための!」


「ピンクお前、それを考えてずっと黙っとったのか」


「はい! みなさん、首を動かさずに聞いてください」


 円の内側で、ピンクがこっそりと上空を指差した。僕は上を向きそうになるのを堪える。上空からは、カァカァとカラスの声が続いている。


「お気づきだとは思いますが、さっきからずっとカラスが飛んでますよね」


「そう、だね。ずっと」


「イエローさんとグリーンさんはご存じないと思うんですけど、私たち、はじめての任務でカラスと仲良くなったんです」


「へぇ……」


 イエローが不思議そうに相槌を打つ。はじめての任務のことは、僕もよく覚えている。ゴミ捨て場を荒らすカラスを、生肉と缶ジュースで引き寄せて『和解』したのだ。呼び覚まされたリンゴジュースの香りに、ピンクのきりりとした声が重なる。


「カラスさんたちを、このグラウンドに『召喚』しようと思います」


 動かないでくださいね、と釘を刺し、今度は河川敷の外を指すピンク。目だけでその先を確認すると、斜面を上ったすぐそこに、赤く四角い影がうっすらと確認できた。


「あそこに自動販売機があります。あそこで缶ジュースをたくさん買って、片っ端から不審者さんにかけるんです。近づかずに、缶を投げつけて……そうすれば、匂いに気づいたカラスさんはあの人に飛びかかってくれるんじゃないかと思うんです」


「イチかバチか、だな」


 総司令が唸る。ピンクはさっとグリーンを見た。


「グリーンさん、足がとっても速いですよね。私がお金を渡しますから、自販機まで走ってくれませんか」


「分かった」


「投げつけて、さらにジュースをかけるとなると」イエローが真面目な声を出した。「コントロールも必要ですよね。誰が投げるんですか」


「私がやります」


 ピンクが即答する。その響きの中心には、強く揺るがない芯が感じられた。その美しさにどきりとして、僕は思わず口を開く。


「大丈夫、なんですか」


「はい」


 一音ずつ、背中を押して送り出すような返事だった。僕を見つめるシールドの向こうで、彼女の丸い双眸が、静かに燃えているのが分かった。


「最初の任務で失敗してから私、ずっと必死でやってきました。だけどそれでも、いつも肝心のところでお役に立てていませんでした。でも今回は、一度くらいは、頼れるヒロインになりたいんです」


 これまでのピンクの姿を思い出す。誰よりも任務に一生懸命で、他のメンバーの活躍も「すごいです!」と称えてくれたピンク。あの笑顔の裏側で、彼女は何を思っていたのだろう。


「だからみなさん、私に、格好つけさせてくれませんか」


 ピンクに、僕らは揃って頷きを返した。ピンクは丁寧に頭を下げ、すぐに勢いよく姿勢を戻す。そして柔らかい声を、力強くめいっぱい張り上げた。


「作戦開始です! みなさん、私の指示に従って!」


 グラウンドにこだまする号令に、僕らの円がパッと崩れる。男は中腰になり、ナイフを低い位置に構え直した。


 ピンクは素早く身体の向きを変えると、ワゴンに最初の指示を飛ばす。


「佐藤さん! 車にあるベージュのバッグを、こちらに向かって投げてください!」


「えっえっえっ、わっ分かりました!」


 思わぬミッションを課された佐藤が、滑り落ちるように窓から消える。「急いで!」と尻を叩かれた直後、「これですかぁ!?」と窓にバッグを掲げた。


「それです! 投げて!」


「おぉぉお、おりゃあああああッ!」


 巻物のように畳まれたバッグが、斜面の上を飛び越えてくる。ピンクは強く地面を蹴ると、バッグの着地点に腕を伸ばした。バスッ! という音の直後、バッグを抱えた彼女が戻ってくる。クローバーのワッペン。僕の席の脇に置かれていた、あのトートバッグだ。


「置き忘れていてラッキーでした! えぇと……」


 バッグの中を漁るピンク。「あった!」と声を弾ませると、彼女は真四角な小銭入れを取り出した。ジッパーを開き、千円札を二枚出してグリーンに渡す。


「買えるだけありったけ、お願いします!」


「ん」


 二千円を握りしめ、グリーンは疾風のごとく駆け出した。高速で遠ざかるグリーンの背中に、男がナイフを向けて怒鳴る。


「おい何だ! 金で道具でも買ってくる気か!? 結局金に頼るなんざ、ヒーローの名が廃るな!」


「あなたこそ!」


 ピンクはどんと仁王立ちになり、総司令そっくりの仕草で腕を組んだ。男をじろりと下から見上げ、挑戦的に言い放つ。


「さっきからただ喚くばかりで、悪役としてはド三流ですね!」


「ドッ……」


 ガコン! 男の声に合わせるように、遠くで自販機の音がした。ハッと土手を見上げると、グリーンが桃色の缶を高々と掲げている。


「一番甘そうなやつにしてやった! 転がすぞ!」


 そう言うと、グリーンは斜面に缶を転がした。ガコン、ガコン、ガコン! 缶が吐き出される音に続いて、次々と斜面を転がり落ちてくるジュースの缶。ピンクはそれを指差して、すかさず指令を下した。


「ブルーくん、イエローさん、アレを受け止めてください! それをレッドさんと総司令に渡して、渡された二人は缶を開けて!」


 ブルーとイエローは走りだし、転がってきた三、四本を受け止める。それを僕と総司令にそれぞれ投げ、僕らはアタフタとキャッチした。ショッキングピンクのラベルには、ポップな桃のイラストが描かれている。


 手袋の指先でプルタブを引っ掻く。焦りと緊張で手が震え、つまむことすらままならない。


 激しくなっていく呼吸を無理やり抑え込んで、僕は大きく息を吸った。人差し指と中指を揃えてタブの上部に当て、引っかける。息を止めて指先に意識を集中し、「うおぉッ」と力いっぱい引いた。カショ、と軽い音がして、甘すぎる桃の香りが鼻腔にまとわりつく。


「レッドさん!」


 センターラインの前に立ったピンクの手が、ずいっと僕に伸ばされた。僕は腕を伸ばして缶を手渡し、彼女のシールドを覗きこむ。


「ピンク、さん」


「はい!」


 きらめくような彼女の声に、僕は精一杯の言葉を返した。


「頼りにしてます」


「……はいっ!」


 弾けんばかりの笑顔が、ヘルメットの向こうに見えた。ピンクは缶を軽く握ると、肩を引いて大きく振りかぶる。「私……」と声を漏らしながら、ナイフの切っ先をさまよわせる男に狙いを定め――


「私、ただのかわい子ちゃんで終わりたくありませんので!」


 彼女は、思いっきり腕をしならせた。センターラインの向こうを真っ直ぐ見つめ、缶の行方を見逃さない。そのヘルメットの横顔は、これまでに見たどんな瞬間よりも魅力的に見えた。


 白い手袋から放たれたショッキングピンクの缶は、直線的な軌道で飛んでいく。そして男の額に命中すると、甘い香りの液体を、頭から上半身いっぱいにぶちまけた。


「ストラァーイクッ!」


「やりましたぁっ!」


 総司令が大きく笑い、ピンクが飛び上がる。僕もとっさにガッツポーズをとった。「レッドさん!」とピンクにハイタッチを促され、恐る恐る手のひらを合わせる。手袋越しの柔らかな感触に、うっかり意識が飛びそうになる。


「な、なッ!?」


 男は慌てふためきながら、肘の内側に鼻を当てた。するとその次の瞬間には、二本目の缶が頬に命中している。


「つめてぇッ」と悲鳴を上げ、パーカーを脱ぎ捨てる男。が、下のTシャツのみぞおちにもすぐさま缶が襲来する。「ぐふッ」色落ちした黒いTシャツの腹が、ジュースの染みで真っ黒になる。「どういうつもりだこの」顔を上げた鼻にまた、「もごッ」。


 辺りには濃い桃の匂いが立ち込め、ガァ、ガァ、とカラスの声が降ってくる。続いて、バサバサ、とはばたきの音。五本、六本、七本、八本、ピンクは手を止めることなく投げ続け、僕も休まず缶を開け続ける。


「おいコラ、いい加減にしろお前ら! 何の真似だ!? なんで桃ジュースなんだよ!」


 全身ベトベトになりながら叫ぶ男。十六本目の缶が届いたところで、土手からグリーンの声がした。


「金、なくなったー!」


「ありがとうございます! 戻ってきて!」


 声を返しながら缶を投げるピンク。僕が手渡した最後の缶も投げ終えると、彼女はまた財布に手を突っ込む。それを見て総司令が声をあげた。


「また次を買うのか!?」


「いいえ!」


 小さな財布から、ジャラジャラと大量の小銭を掴むピンク。財布を地面に投げ捨てると、彼女は息切れしつつこう答えた。


「これは、『召喚』のための生贄です!」


 言うや否や振りかぶって、ピンクは握り込んだ小銭を男に投げつけた。手を離れた小銭は空中で散り散りになり、まるでシャワーのように降り注ぐ。


「こ、今度は何だよ!?」


 声を裏返らせる男に向けて、スカーフから取り出したスマートフォンを構えるピンク。写真でも撮るのか、と僕が思った瞬間、目に痛いほどの白い光が男を照らした。スマートフォンに搭載されているライト機能だ。小銭のシャワー、そして地面に転がった空き缶が光を反射して、キラキラと眩しく輝く。


 ガァ、ガァ、ガァ、ガァ、ガァガァガァガァ……光に誘われたカラスたちの声が幾重にも重なって、僕らの頭上に接近する。


「必殺……『スイートスメル・ピンクフラッシュ』! です!」


 ピンクが叫んだ次の瞬間、ガァッ! とひときわ大きな鳴き声がした。


「わ、わ、わッ!?」


 男が空を見上げ、ぱくぱくと口を動かす。その鼻先にはもう、五、六羽のカラスが迫っていた。破裂音にも似た激しい音を立てて羽ばたきながら、カラスは一斉に男に群がる。足で引っ掻き、くちばしでつつき、男の帽子や襟元に引っかかった小銭を奪い取らんと大暴れだ。


「や、やめ、やめろッ! あっちへ行け……!」


 男が情けない声をあげる。黒づくめの男に黒いカラスが群がって、センターラインの先には一つの真っ黒な塊が出来上がっていた。男が振り回すナイフを、一羽のカラスが蹴り落す。「ひぃ」「うわぁ」と情けない悲鳴をあげながら、男はじりじりと後退していく。


「おぉっ!」


 総司令が拳を握りしめ、「や、やりました?」とピンクが浮き足立った。壮絶な光景に怯みつつ、僕の肩からも力が抜け始める。


 ――か、勝てる、のか……?


 と、その瞬間、目の前がいきなり暗くなった。


 ……違う、黒くなった。


「うわぁっ!」


 バサバサ、という羽音、ガァッガァッという鳴き声が、ヘルメットに直接響いてくる。カンカンカンカン! ヘルメットが小刻みに叩かれ、震動が首に伝わってくる。コスチュームが引っ張られ、腕を殴られ、肩には刺されるような痛みが走り、取り囲まれて身動きが取れなくなる。「きゃっ!」「おいこの、やめんか」鳴き声と羽音の奥から、ピンクと総司令の声が聞こえる。「ど、どうなってるんですか!?」と叫んでみると、ピンクから反応があった。


「すっすみません、小銭、こっちにもちょっと落ちてたので……カラスさんたちの仲間が、こっちにも集まってきちゃったみたいです!」


「どうするんだこれ! おい離れんか、しつこいぞ!」


 さすがの総司令も、弱々しくカラスを叱りつけるばかりだ。開けない視界と激化する鳴き声、震動と痛みの中で、僕の目頭に涙が滲む。


 ――怖い。それに、このままじゃ駄目だ。せっかくピンクが活躍してくれたのに、僕らの勝利が、もうすぐそこに見えていたっていうのに! 「僕が『フツージン』のレッドなんだ」なんて、格好つけて言ったのに!


 ――いや、そんなことを言ったからか? 僕なんかが生意気なことを言ったから、天罰が下っているのか? そんなヒーローには、敗北がお似合いだっていうのか。


 バサ、と目の前のカラスが移動して、ほんの一瞬だけ視界が戻った。ハッとしてワゴンに目を向ける。窓から身を乗り出して、佐藤が僕らを見下ろしている。


 ――佐藤。


 ――そうだ、佐藤。佐藤に、僕たちのことを好きになってもらわなきゃいけないんだ。『現実戦隊フツージン』を、レッドを、この僕というヒーローを。


 現実の膜に空いた非現実への穴を、佐藤は自分で塞いでしまう。だから、ただ膜を破るだけでは足りないんだ。破れて開いた穴の縁を、佐藤に塞がれないように、僕らの手で広げておかなきゃいけないんだ。


 謎の男に攫われた。ヒーローに助けられた。ヒーローが声を張り上げた。ヒーローが、カラスを呼び寄せた。だけどヒーローは、呼び寄せたカラスに襲われている。


 佐藤の現実に空いた穴は今、少しずつ塞がり始めている。


 ――僕が、穴を広げておかなきゃ。


 ――僕が、もっと大きく破らなきゃ。


 激しく脈打つ心臓で、硬く冷たくなる指で、今にもくずおれそうな膝で、僕は心の底からこう願った。


 ――『僕が、カラスを操れればいいのに!』


「カ、カラスたちよ……」


 バサバサ、ガァガァ、僕の声はどこにも響かない。


 駄目だ、もっともっと大きな声で。もっともっと、特別じゃない僕が、特別になってしまうくらいの。僕たちを覆う分厚い膜が、バラバラになって消えてしまうくらいの!


 息を吸う。膨らんだ腹を一瞬止めて、吐く!


「カラスたちよ! 僕らの元を飛び立って、あの黒い男に飛んでいけ――ッ!!」


 バサバサバサッ! 慌てたような音がして、目の前が一瞬にして開ける。僕から、ピンクから、総司令から逃げ出して、十数羽のカラスが息を合わせて飛び去って行く。僕とは反対方向の、センターラインを越えた向こうへ。


「おぶッ!」


 男の短い悲鳴が聞こえる。飛んできたカラスの突進と、自分から飛び去るカラスの蹴りをくらって、男はバランスを崩した。カラスの声の中心で、男はどさりと仰向けに倒れる。


 するとその男の腹に、遅れて飛んできた一羽が音もなくとまった。キョロキョロ辺りを見回してから、そのカラスはくるりと僕らを振り返る。


 瞼を閉じた右目には、赤い傷痕が一筋、くっきりと深く刻まれていた。


 そいつは悠々とした仕草で、五百円玉を一枚咥える。するとまた飛び立って、灰色の雲の遠い切れ間に消えていった。


 目を刺すような夕日の光が、グラウンドにも近づいている。ヘルメットのシールドを通せば、僕は夕焼けに俯かなくても平気だった。


 カァ、カァ、カァ……。カラスの声が遠ざかっていく。河川敷のグラウンドには、息を切らした僕と、総司令と、ピンクと、駆け寄ってきたブルーとイエローと、斜面を下りきったグリーンと、それから、大の字に倒れる黒い男がいた。


 僕の眼鏡はずれていて、カラスに破られたコスチュームの穴を、生ぬるい風が撫でていく。僕らは呆然と立ち尽くし、しばらくして、総司令が我に返ったように口を開いた。


「い、いかん。早くあいつを取り押さえるぞ!」


 その指示に、『フツージン』全員が男へ走っていく。地面に転がったナイフを、僕は慌てて拾い上げた。総司令は男の腕を押さえて四つ這いになると、「ガッハッハ」と得意げに笑う。


「貴様も年貢の納めどきだなぁ、怪人真っ黒マスクよ! あ、もうマスクではないが」


「クソが、どうでもいいんだよそんなこと」


 男はそう吐き捨てると、サングラスの下から指を入れた。「何だ、泣いとるのか?」「違う! コンタクトがずれただけだ。これだって、このためにわざわざ買ったのに……」ぼやく男。そのボソボソとした声を僕は知っているような気がしたが、こんなめちゃくちゃな知り合いに心当たりはなかった。


 総司令は、フン、と優越感たっぷりに鼻息を吐く。


「何はともあれ、我が戦隊の勝ちだな」


「……」


 男は黙って、首を右に倒す。総司令はさらに言葉を続ける。


「おれたちはこれから、お前を警察に突き出す。そうなれば、裁判所以外でお前と会うことはもうないだろうな」


「……」


「だが、留置所でも刑務所でも、おれたちの姿は覚えておけよ。これこそ、お前が恐れた……いや、お前があこがれた非現実の力だ」


「……」


「だが! お前にも非現実に寄り添う素質はある。戦ってみて分かった。お前は本当は、誰よりも非現実に焦がれていブッ!?」


 突然潰れた声を発し、総司令は前のめりに倒れ込む。その一瞬の隙をつき、男は総司令の下をするりと抜け出した。「ちょ、ちょっと!」伸ばされたブルーの手を払って、男は走り去る。


「おい、待てよテメェ!」


 グリーンが追いかけようとすると男は振り返り、ポケットからまたナイフを取り出した。それを見て、イエローが即座にグリーンを制止する。


 二本目のナイフを僕らに突きつけ、男は今日一番の大声で叫んだ。


「覚えてやがれ! 『現実戦隊フツージン』!」


 言うだけ言って踵を返し、脱兎のごとく走りだす男。その背中を眺めながら、ブルーがぽつりと声を落とした。


「覚えてやがれって、漫画みたいな捨て台詞だ……」


 僕も同意見だった。「現実を見ろ」と僕らに叫んでおきながら、フィクションにおける悪役のテンプレートをなぞって去るとは。何ともややこしく、難儀な男だった。


「総司令、大丈夫ですか? 急にもだえ始めて……」


 うつ伏せに倒れている総司令に、ピンクがオロオロと駆け寄る。総司令は顔を起こし、苦しげに顔を歪めて答えた。


「や、奴の膝蹴りが……ちょうど、尻の穴に」


 すまん、という弱々しい声。僕ら五人は顔を見合わせた。ヘルメットの下で、全員が苦笑しているのが分かる。


「尻の穴くらいで沈むとか、弱すぎじゃん」


 グリーンが呆れた口調で言う。総司令はバッと上半身を起こして、「何ィ!?」と目尻を吊り上げた。


「グリーンお前、お前も一度尻を蹴られてみろ! ほんっとうに痛いぞこれは!」


「オレなら平気だし。そのくらいじゃ何ともねぇし」


「こっ、この野郎、今回の活躍で少しは見直していたのに……!」


「もう、総司令。あんまり熱くならないでください。せっかく無事に終わったんですから」


「ピ、ピンク……いや、そうは言ってもだなぁ」


「グリーン、あんたも変なマウントとらないほうがいいよ。みっともないし」


「はぁ? お前に言われる筋合いねぇんだけど」


 総司令、グリーン、ピンク、イエローの声に、遠くからのカラスの声が重なる。土手に停まったワゴンから、「あ、あのぅ、俺、どうしたらいいですかー?」と佐藤が降りてくる。


 僕とブルーはもう一度顔を見合わせて、今度は自然に笑いあった。


「お疲れ様でした」


「はい……お疲れ様でした」


 眼鏡がずれてぼやけた視界が、夕焼けの赤に染まっていく。

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