第10話 トウヘイさんとの初恋



 作業場と寄宿舎を往復するだけの生活の楽しみは、半月に一度の休日でした。

 そろって年頃の女工たちは、精いっぱいのお洒落をして商店街へ出かけます。


 迎える商店の側も待ち構えていて、色とりどりの和装小物や赤い鼻緒の塗り下駄、化粧品、お菓子、季節の果物などを並べ、娘たちの気を惹くように工夫するのです。


 おばあさんだって年頃の娘ですから、華やかな髪飾り、やさしく肩を包んでくれるお洒落なショール、あざやかな色どりの腰ひもなどが欲しくないわけはありません。


 でも、おばあさんは遠くから眺めているばかり。

 貧しさしか知らずに死んでいった家族を想うと、自分だけが贅沢をするなど……。

 

      *


 あるとき、いつものように電柱のかげから向かいの商店の品物を眺めていると、

「あれ、欲しいのかね?」とつぜん、見知らぬ小柄な青年に声をかけられました。


 流行りの鳥打帽をかぶって、縞柄の着物の裾を細い帯に挟んでいます。

 目のあたりがうすく赤らんでいて、実直そうな人柄を物語っています。


「いや、なにね、あんたがあんまり熱心に見てるから……いんや、だけんど、べつにだからってどうというわけじゃあ……」青年はしどろもどろになってしまいました。


 その様子がとてもおかしかったので、おばあさんがくすっと笑うと、怒ったような顔をしていた青年も白い歯を見せました。それがトウヘイさんとの出会いでした。


      *


 トウヘイさんは、おばあさんの勤める工場のすぐ近くの工場で働く男衆でした。


 おばあさんは、一見、とっつきにくそうに見えても根っから生真面目で、正義感と思いやりにあふれたトウヘイさんの人柄に、会うたびに強く惹かれて行きました。


 ふたりは一緒になり、翌年、長男のトウイチが生まれたのです。

 おばあさんは幸せでした、日本を離れて大陸へ渡るまでは……。

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