第9話 製糸工場の女工だったころ



 おばあさんが覚えているかあちゃんの顔は、お月さまのようにまん丸でした。

 貧しい暮らしのなかでも、かあちゃんはひとり娘のおばあさんをとても大事にしてくれましたが、おばあさんが7歳の夏、感染症にかかり亡くなってしまったのです。


 かあちゃんっ子で甘えん坊だったおばあさんは、どんなに悲しんだことでしょう。


それから間もなく、3つ下の弟のヨウジがかあちゃんと同じ病気で亡くなり、さらにその年の冬には山仕事に行ったとうちゃんが大木の下敷きになってしまったのです。


     *


 ひとり残されたおばあさんは遠い親戚に引き取られました。


 おじさんもおばさんも心根のやさしい人たちでしたので、おばあさんは家族同様に可愛がってもらいました。……でも、本当の親や弟が恋しくないはずはありません。


 そっと家を出たおばあさんは、裏の畑に行ってはひとりで泣いておりました。


      *

 

 15歳の春、中学を卒業したおばあさんは、峠の向こうに働きに行きました。

 鉛色の空に突き出た煙突からいつも煙が立ち上っている製糸工場の町でした。


 当時の農村は畑に桑を植え、蚕から繭を取る養蚕業が盛んに行われていました。

 町の製糸工場では、その繭から糸を取り、なるべく高い値で外国へ売るのです。


 多額の現金収入が見こめる、時代の先端を行く派手な業種ではありましたが、別名「生死業」とも言われる浮き沈みの激しい業界でしたから、ぱりっと上等な身なりをして羽振りよさそうに見える社長さんたちも内心では神経をすり減らしていました。


 それで、自然に工場の内部にも荒っぽい気風が生まれたのかもしれません。


 おばあさんが雇われた製糸工場でも、もうもうと湯気が立ちこめる作業場内を検番と呼ばれる男の工員が鋭い目を光らせて歩きまわり、汗だくで働いている女工たちをきびしく見張りながら、「枠を止めるな、枠をまわせ」と怒鳴りつけておりました。


 そして、商品にならない不良糸をたくさん出したり、1日に取った糸の量が少なかったりすると、見せしめのため、板切れでこっぴどく打ちすえたりもしていました。


 早朝から夜遅くまで働き詰めで、食事も立ったまま、病気になれば見捨てられる。

 そんな過酷な女工の暮らしではありましたが、幼いころからたくさんの辛い思いを乗り越えて来たおばあさんには、このくらいのことはなんということもありません。


 四六時中、熱い湯につけっぱなしの指は皮がむけてヒリヒリ痛んでおりましたし、風邪を引いたときなど、十数時間にもおよぶ重労働がきつくないわけがありません。


でも、どんなことにもじっと堪え、おばあさんは弱音をはこうとしませんでした。

 

 ――とうちゃん、かあちゃん、ヨウジ。

   空から見守っていておくれね。🌟

 

 作業場から寄宿舎への帰り道、仰ぐ星空に向かってそう祈る……心のなかに生きている家族と会話しているおばあさんは、決してひとりぼっちではなかったのです。

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