[6-9]謝罪とヤキモチ
声をかけるとアルバくんはすぐに振り返った。
うっすらと夕焼け色に染まっている白い髪は尻尾みたいに揺れている。
ひとつ瞬いた藍の瞳には、口を引き結んだわたしが映っていた。
ごくりと固唾を飲む。心臓が大きく高鳴る。
胸の前で握った手が汗ばんでいるのがわかった。
緊張してるみたい。けど、アルバくんから目をそらすわけにはいかない。
「ごめんなさい」
一度頭を下げてから顔を上げたら、アルバくんが肩を大きく震わせていた。
目を丸くして慌てた様子で、彼はこう言った。
「ちょっ、なんで
「わたしが悪いと思うの。たぶん」
わたしの些細な行動がアルバくんを傷つけているのかもしれないと思った。だから彼が怒っている原因に思い当たらないのだ。
小さい頃からわたしはのんびりマイペースだとお母さんに言われてきたし、鈍感なところがあることは自覚してる。
誰かの繊細な気持ちに気付かないこともよくある。
——と、そんなことをぐるぐる考えていたら、頭上から深いため息が下りてきた。
「
「それは……ない、けど」
「なら謝らなくたっていいだろ。おれも
「じゃあ、どうしてアルバくんは怒ってるの?」
やっぱりアルバくんの気持ちを知るためには本人に直接聞くしかない。
思いきって聞いてみたら、もう一度アルバくんの肩が大きく跳ねた。みるみるうちに精悍な彼の顔が引きつっていく。
アルバくんの挙動不審なところって、目に見えてわかりやすいのは耳と尻尾が出ているからだと今まで思ってたけど、ちょっと違ったみたい。わたしと同じで、思っていることが顔に出やすいんだわ。
「怒って、ねえし」
「怒ってたよ! このあたりがぎゅーってシワ作ってた!」
「うそ! まじで!?」
わたしの言葉を本気にして、アルバくんは慌てて眉間を片手でおさえる。もちろん、嘘は言ってない。
そこそこ体格がいい彼が目を白黒させるその姿が、すごく可愛く見えた。
夢を食べるあやかしなのに、アルバくんって出会った時から人間とそんなに変わらない。笑ったり怒ったり、照れたりする。
だからわたしは、彼を好きになったのかもしれない。
そう自覚した途端、おかしくなって吹き出してしまった。本人を目の前にして笑うなんて、アルバくんには失礼だったかもしれないけど。
「
ふいに頭を下げてきたから、びっくりした。
さっきまで胸に満ちていたあたたかい気持ちが冷めていく。
「どうしてアルバくんが謝るの?」
「
さっきの会話の続きだとすぐに気づいた。
そういえばさっき、千秋くんと一緒にお店を来た時、アルバくんが口走ってたっけ。
——……〝千秋くん〟って、なんだそれ。
あれ。よく思い返してみれば、アルバくんの機嫌が悪くなったのは、わたしが千秋くんの名前を呼んでからだ。
「アルバくんは、わたしが千秋くんって呼ぶのいや?」
千秋くんはわたしにとってただのクラスメイトだし、異性の友達を親しく名前で呼ぶのは彼が初めてじゃない。だから呼び方ひとつでアルバくんが不快に感じるだなんて思っても見なかった。
もしも心底彼が嫌なら改めなくちゃいけない。
けれどアルバくんはうなずかなかった。
長い指で後頭部をかきながら、わたしから目をそらしてしまった。
「おれ、千秋に妬いてたんだ。いつの間にか呼び方まで変わってて、
ええええっ、なんでそこで千秋くんがわたしを盗る話になるの!?
「えーっ、それはないよぉ。千秋くんはただのクラスメイトで友達だもん」
「
「そうかなあ」
アルバくんはわたしにすごく優しいのは、出会った時から言動で十分伝わってくる。けど、千秋くんは誰にでも素っ気ないもの。そういう異性として好意の目で見てるとは思えないのよね。あまり納得いかない。
首を傾げて考えていると、アルバくんは少しだけ笑って、ため息をついた。
どうして笑ってため息をついたりするのだろう。
目の前にいる彼は藍色の瞳を泳がせている。やがて意を決したかのように、アルバくんはわたしの顔を見て口を開いた。
「おれは夢を喰うことしか取り柄のないただの
こうして面と向かって話していると最近思うことがある。夢を食べられなくなったことといい、今回の千秋くんに対する気持ちといい、アルバくんはわたしには正直な気持ちを打ち明けてくれるようになった。
あやかしのことは
九尾さんや
弱いだなんて、そんなこと思ったことない。たとえそれ事実だったとしても、口にするのはどれほどの勇気が必要なのかな。
胸の奥がざわざわした。考えるよりも早く、身体が動いていた。
距離を詰めてアルバくんの腕に触れると、彼は目を丸くする。夜空みたいな瞳がわたしを見る。
今までわたしは、アルバくんから返しきれないくらいたくさんのものをもらった。世界で一番大切な、かけがえのないひと。
自分の気持ちをもう一度伝えたい。
アルバくんに言われるまで、彼が千秋くんにヤキモチを焼いていることに気づかなかったんだもの。きっと言葉にしないと伝わらない。
「わたしはアルバくんが弱いだなんて思ったことないよ」
にこりと笑ってみせる。
自分に自信がない気持ちはわかる。こわいと思う気持ちも。アルバくんと出会わなければ、わたしはきっと、今もピアノから離れたままだっただろう。
「ねえ、初めて会った時のことを覚えてる? わたし、
正確に言うなら、初対面は押し倒されたあの朝だけれど。
あれはもうノーカウントにしておこう。ちゃんと面と向かって会話したのは夢の中だし。
「夢の中でもピアノに触れなくなったわたしに、アルバくんは励ましてくれたの。あの時ピアノを弾けるようになったのはアルバくんがわたしのピアノを聞きたいと言ってくれたからなんだよ」
アルバくんには元気になって欲しい。自信に満ちたあの表情でまた笑って欲しい。
その想いを込めて、彼の手を握った。あやかしで幻術で姿を変えているのに、アルバくんの手はあたたかかった。
「自分の弱さを認められるところも、弱い立場のひとに寄り添えるところも素敵だよ。わたしは誰よりも優しいアルバくんが好き。自信を持って。強さって力が強いってだけじゃいけないと思うの。初めて会った時から、アルバくんは最強だよっ!」
うわーっ、うわあああああっ! これ口にするのってすっごく恥ずかしい!!
ほっぺたが熱くなってきた。もしかして今、顔が真っ赤になってないかしら!?
アルバくんがどう反応するのかわからなくってそっと見上げてみたら、彼のほっぺたも赤くなってた。
わたしだけじゃなく、アルバくんまで照れちゃってる!
どうしよう、いたたまれなくなってきた。もうまともに顔を見れないわ。でもアルバくんからは離れたくないし……。
頭の中でぐるぐると考えていたら、くいっと腕を引っ張られた。顔を上げる余裕なんかないくらい、力強く抱きしめられる。
むぎゅうって顔に押し付けられてるのは、もしかしなくてもアルバくんの胸板……?
「アルバくん?」
「強くなったな、
アルバくんはすぐに力を緩めてくれた。彼の
——って、わたしってばこんな時になに考えてるんだろ。今はアルバくんを元気づけるのが先なのに。
アルバくんは笑っていた。口もとにやわらかい微笑みを浮かべながら、彼はわたしの頭をなでてくれた。
わたしはただぼんやりとアルバくんを見ていた。
彼の長い指がわたしの髪を
その仕草で直感した。キスされるって。
ううん、わたしは期待していたんだと思う。
「ありがとな」
唇と唇がふれるだけの、やわらかでやさしいキスだった。
とくとくと小さく高鳴っていた心臓が、次第に大きくなっていく。熱に浮かされたようにほっぺたが熱い。
切れ長の瞳を和ませたアルバくんは、誰よりもきれいだった。
アルバくんもう一度わたしを引き寄せた。やっぱり彼の身体はあたたかい。むき出しになった彼の腕を通して、ぬくもりが伝わってくる。
「おまえのことはおれが守る。
「うん」
わたしはアルバくんの背中に腕をまわして、彼の胸もとに顔を寄せた。ハーブのいい香りがした。
アルバくんが
彼は将来のことをちゃんと考えている。二人で人生の道を歩いていくことを、現実的に考えてくれている。
そう思ったら、涙が出そうなくらい胸がいっぱいになった。すごくうれしかったの。
わたしは将来のことなんて、少しも考えていなかったのに。
「ありがとう、アルバくん。わたしもこれからのこと、ちゃんと考えてみるね」
進路を決めるのなんて、まだちょっとだけ先だと思っていた。けれど彼と生きていくために、わたしも将来のことを考えよう。
わたしだってアルバくんと二人で、ずっと一緒に生きていきたいもの。
あやかしぴあのリサイタル 依月さかな @kuala
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