[6-8]雪火のハーブショップにて

 アルバくんが働いているハーブショップは、雪火せっかのお家の向かい側にある。

 透明なガラス戸の小さなかわいいお店。雪火せっかに言わせればほぼ個人商店のようなものだというそのハーブショップに、学校帰りに寄ってみた。バイトの時間は夕方頃までだっていう話だったし。


「あっ、アルバくん!」


 手を振ると、アルバくんはすぐに気付いてくれた。振り返ると高い位置で結んだ白い髪がしっぽみたいに大きく揺れる。


 頭の上にはいつもの猫耳はないし、長い毛長の尻尾だってない。

 アルバくんはいつか学校まで会いにきたジーンズにジャケットの服装の上から、紺色のエプロンを身につけていた。さっきまで作業していたのか袖をひじのあたりまでまくっている。すらりと伸びた腕は太くて、 たくましかった。


 うわあ、まさかもう一度、アルバくんの私服姿を見られる時がくるだなんて!

 あ、でもよく考えてみれば、アルバくんがあやかしのままお仕事するわけないよね。接客するんだもの、普通の人に見える姿に幻術で変化するわよね。

 少し考えればわかることなのに、思いつきもしなかった。


 アルバくんが突然学校に来たあの日。和装じゃない彼の私服姿はわたしの目にすごく新鮮に見えたし、大学生の男の人みたいでカッコよかった。

 いつもは姿を見えなくなっているのが、他の人にも幻術で普通に見えている。そのことが特別に思えて、わたしはしばらくそのままの姿でいて欲しかったの。


 だ 結局、アルバくんは雪火せっかの家の前で千秋くんと喧嘩しちゃったからすぐに元の姿に戻ってしまった。

 あの時はすごくがっかりしちゃったわ。久遠くおんさんの機転のおかげで二人とも怪我はしなかったし、無事だったからよかったのだけど……。


 でもまさか、こうしてまたアルバくんの私服姿を見られる時がくるだなんて!

 どうしよう! すごく嬉しいっ!!


 気持ちが高揚するのと一緒に、胸が高鳴っていく。ほっぺたを触ると熱かった。

 ぶんぶん手を振りたい衝動をおさえていると、振り返ったアルバくんはわたしに微笑みかけてくれた、——はずだった。


 一瞬のうちに、あたたかな笑顔が崩れる。やわらかな光をたたえていた藍色の瞳は鋭くなり、半眼になっていく。まるで一気に機嫌が急降下したような。


 アルバくんがわたしではないなにか、ううん、誰かを見たのは明らかだった。

 眉を寄せたままガラス戸を開けると、距離を詰めてきた。

 むき出しになったままのたくましいその腕を組み、アルバくんはわたしの隣に立つ人物——千秋くんを睨みつけた。


「なんでてめえが紫苑しおんと一緒にいるんだよ」

 

 鈍感なわたしは、アルバくんのこの言葉を聞いてはたと気付いた。

 そう、今日はわたし一人で雪火せっかの家に来たわけじゃない。千秋くんと一緒だったのだ。もちろんこれには理由があるし、断じて二人っきりでいたわけじゃない。

 やっぱりわたしってば迂闊うかつだ。ついこの間、アルバくんと千秋くんは喧嘩したばかりだっていうのに。どうしてもっと気を配れなかったのかな。


「アルバくん、落ち着いてっ! 千秋くんと一緒にいるのは理由があってね」

「——は?」


 しまった。わたし、またなにか失敗しちゃったみたい。

 据わっていたアルバくんの目が氷みたいに冷たくなって、顔色が悪くなっていく。わたしにはいつだって優しかったアルバくんが、眉を寄せたままあからさまに目をそらした。

 そして不機嫌極まりないって感じの低い声で、ぽつりとこう呟いたのだ。


「……〝千秋くん〟って、なんだそれ」


 そこ反応しちゃうの!?

 名前の呼び方を少し変えてみただけなのだけど、アルバくんは気に入らなかったのかな。ついに目を合わせてくれなくなってしまった。

 悪いのはたぶんわたしだ。

 謝らなくちゃ。だけど、なにがいけなかったのか、全然わからない。


紫苑しおんを責めるんじゃない。おれがここに来たのは雪火せっかに用があるからだし、俺が紫苑しおんと一緒なのは河野かわの先生に車で送ってもらったからだ。今は久遠くおんと買い出しに行ってるからいないけどな」


 不穏な空気を読んで助けてくれようとしたのか、千秋くんがここまで一緒に来た経緯を説明してくれた。だけど言い方がよくなかったのかもしれない。彼のこの言葉が重いこの空気をさらに悪化させてしまったのだ。


「おれは別に、紫苑しおんを責めてるわけじゃ——!」

「それなら最初から紫苑しおんの話を聞いてやればいいだろ。アルバ、今のはお前が悪い」


 どんよりとした重苦しい空気は、ついに雷雨へと変化してしまった。

 藍の瞳を見開くアルバくんを、千秋くんは鋭く睨みつけている。

 今にも喧嘩を始めそうな、ううん、下手をしたらまた妖刀さえ抜いてしまいそう。


 どうしよう。よくわかんないけど、わたしが原因だよね。

 二人がまた切り結ぶような事態になったら、わたしでは止められない。誰か、また久遠くおんさんに頼んでみる!? ああ、でもだめだわ。さっき先生とごはんを買いに行っちゃったもの。


「いらっしゃーい! この匂いは千秋君と紫苑しおんちゃんだね、遊びに来て……」


 火花を見事に鎮火させたのは、わたしでも久遠くおんさんでもなく、突然音もなく現れた九尾きゅうびさんだった。

 いつものように機嫌よく九本の尻尾を揺らし、いつものようにご機嫌に笑う九尾さん。そんな彼もわたしたち三人の間に漂う重苦しい空気と危険にはらんだ火花には気付いたらしい。珍しくきょとんとして何回か目瞬かせている。

 すると、予想もしない二人目のちん入者が現れた。幼馴染の雪火せっかだ。


 いつだって何事も動じない幼馴染は九尾さんと同じく黒い瞳を瞬かせたあと、首を傾げて冷静にこう尋ねた。


「え、何の修羅場?」


 天の助けとはこのことなのかもしれない。

 雪火せっかが視線を送ると、千秋くんはあからさまに目をそらしていた。けど、さっきみたいな火花が散りそうな緊張感はなくなっている。アルバくんも組んでいた腕を解いて表情を和らげているし。

 ピリピリとした空気が一瞬のうちに霧散していったような、そんな感じだった。

 豆狸まめだぬきの事件の時、頭に血が昇った千秋くんを止めたのも雪火せっかだったって九尾さんは言ってたし、雪火せっかって、実はすごいのかもしれない。


 そう思った時。


「お待たせ! お寿司買ってきたからみんなで食べよー!」


 久遠くおんさんと小夜さよちゃんを引き連れた河野先生が乱入してきた。学校にいる時よりも明るくて元気な声。曇天みたいだった重苦しい空気が吹っ飛んでいきそう。


 先生たち大人が来れば、アルバくんも千秋くんも険悪な雰囲気になることはなかった。

 そのあとみんなでごはんという流れになって、当事者の千秋くんも後から来た久遠くおんさんたちも雪火せっかのお家に入っていく。正直、胸をなで下ろしてホッとひと息をついたわ。だからと言って、このままにしておくべきじゃない。だって、まだなにも解決してないもの。


 アルバくんはどうしてあの時怒っていたのか、わたしはちゃんと考えなくちゃ。

 千秋くんと一緒にいたから? それとも、千秋くんに対して名前の呼び方を変えたから?

 もしかして、ヤキモチ焼いてくれたのかな。

 でも雪火せっかを呼び捨てにしてもアルバくんは怒らないよね……。


 わたしはすぐにみんなの後を追わなかった。みんながお店から出たのを確認して戸締まりを始めるアルバくんの横顔を、そっとのぞき込んでみる。

 いつもの精悍せいかんな顔に見えて、少し眉が寄っている気がする。どこかムスッとしてる感じ。彼にそんな顔をさせている原因は確実にわたしだ。当たり前だけど、顔を見ただけじゃアルバくんがなにを考えているのか見えてこない。

 どうすれば、わたしにも彼の気持ちがわかるようになるのかしら。


(……やっぱり、直接聞いてみるしかないのかな)


 いつだったか、雪火せっかが言ってたっけ。

 アルバくんのことはアルバくんにしかわからない。彼の気持ちを知るためには直接聞いてみるのが一番だって。


 あの時はアルバくんが言う「おれのもの」がどういう意味かわからなかった。今はもちろん彼の気持ちはわかってる。アルバくんは聞いたらちゃんと答えてくれたもの。


(よし、決めた)


 ちゃんとアルバくんと話をしよう。アルバくんの気持ちをちゃんと聞いて、話し合って、仲直りするんだ。

 そう決意して、わたしは彼に話しかけた。


「アルバくん、話があるんだけどちょっといいかな」

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