[4-9]教室パニックと豆狸との再会

 二人で教室に入ってからすぐ、わたしは雨潮うしおくんに声をかけたことを少し後悔した。


「ちょっとどういうことなの、紫苑しおん!」


 待ち構えていたかのように、クラスメイトたちがわたしと雨潮うしおくんを取り囲む。前も後ろも、全方位囲まれちゃってる。

 どうして顔見知りのひかりちゃんだけじゃなくて、男子たちも寄ってくるの!?


 こんなことだったら、幻術をかけた状態でもいいからアルバくんについて来てもらえばよかった。教室内にアルバくんがいるとわたしの動きが挙動不審になるからって、ふらっとどこかに行ってしまったのよね。


「ひかりちゃん、何のこと? どういうことって言われてもわからないよ」

「だって、昨日の今日で一緒にバス登校でしょう!? あたし、てっきり紫苑しおんは二組の榎本えのもとくんと付き合っていると思ってたのに。まさか雨潮うしおくんに心変わりしちゃったなんて!」

「えっ、待って、ちょっと待って! なんでそこで雪火せっかが出てくるの!? 雪火せっかはただの幼なじみだよ!?」


 今、わたしはこの教室にアルバくんがいなくて、心の底からホッとしてる。さっきの言葉を聞いたら、きっとヤキモチ妬いちゃう。

 そりゃあ、彼に嫉妬されるのはちょっと悪くはないけれど。それだけわたしのことを想ってくれているってことだし。


 ――って、わたしってば、なんてことを考えているの。

 アルバくんからキスされる、あんな願望だらけの夢を見ちゃったせいかしら。


「とにかくっ、雨潮うしおくんとはバスで偶然一緒になっただけだから!」


 この場では誤魔化したりせず、きっちりはっきり否定しておく。

 わたしが好きなのはアルバくんだけだもん。


「……くだらない」


 男子の肩をぐいっと押しのけ、雨潮うしおくんは人垣を割って自分の席へと向かっていった。


 途端に教室内が静かになる。


 気まずくなり始めた空気に知らん顔で、雨潮うしおくんは椅子を引いて席に座り、通学リュックを机の上に置いた。

 その雨潮うしおくんのもとに、クラスメイトの一人、安東あんどうくんが近づいていった。彼はクラスで一番空気を読めないことで有名だったりする。


「なあ、雨潮うしお。その目の色どうしたんだよ」


 屈託のない笑みを浮かべ、安東あんどうくんは雨潮うしおくんの机に身を乗り出して顔をのぞき込んだ。

 鋭い印象の赤い瞳がまっすぐ彼を見返す。


 一瞬にしてクラスの空気がピシッと凍る。


 なんて勇気なの。雨潮うしおくんはあんなに近づくなオーラを放っているのに、安東あんどうくんは気付かないんだろうか。

 ……うん、気付いていないんだろうな。今も悪気なくへらへら笑ってるもの。


 心臓の鼓動が速くなる。わたしまでドキドキしてきちゃった。

 思わず両手を握って見守っていたら、銀色の眉を寄せて雨潮うしおくんの表情が少し険しくなった。たぶん、彼も緊張してる。


 雪火せっかによると、雨潮うしおくんは鬼の血を継いだ半妖であるために、退魔師達には異端として扱われ疎まれていたらしい。だから瞳の色を隠していた。

 わたしは彼とは知り合ったばかりだから、京都で雨潮うしおくんがどんな扱いを受けていたのか知らない。

 けど、瞳の色の隠すカラーコンタクトを雨潮うしおくんが外したのは、彼にとってとても大きな一歩だったんじゃないかしら。

 半妖の証である深紅の瞳を人前にさらすのは、彼にとって勇気が必要だったと思うの。


「……昨日はカラコンをしていた。けど、ある人に本当の姿を隠すのはもったいないと言われたから」


 最後まで言い終わらないうちに雨潮うしおくんはうつむいてしまった。


 考えなくてもわかる。彼の言う「ある人」って、きっと雪火せっかのことだわ。

 雪火せっかってば、雨潮うしおくんにそんな優しい言葉をかけたんだ。いきなり名前を呼び捨てにしていたのは驚いたけれど、きっと雪火せっかの方から雨潮うしおくんに歩み寄っていったのね。


 もしかしたら、雪火せっか雨潮うしおくんのいい友達になれるのかも。


 気分よくそう思っていたら、事態は思わぬ方向へと加速してしまうことになった。

きっかけは、彼——安東あんどうくんの勘違いだった。


「へぇ、そっかー。三重野みえのもなかなかいいこと言うなあ」

「わたし!? ち、ちが……」

「俺はいいと思うぜ。銀髪に赤い目、カッコいいじゃん」


 白い歯を見せて、安東あんどうくんはニカッと笑った。


 きっと彼にとってはなんとなく口から出た言葉だったんだろう。

 そのたった一言は明るい空気になって、クラスメイトたちに伝染していく。


「うんうん、あたしもいいと思う。やっぱりありのままの姿が一番だし、雨潮うしおくんらしいよ。髪染めてるわけじゃないんだしさ」

「だよなー! 三重野みえのだって目の色変わってるけど、先生達なにも言わねえし。雨潮うしおの目のなかなかイカしてるよなー!」


 一人、また一人と雨潮うしおくんの机の周りに群がっていく。

 誤解がさらに誤解を生んだだけじゃなく、「SNSのID教えろよ。つながろうぜー」とか言って盛り上がり始めてしまった。もう話すら聞いてもらえない雰囲気だわ。


 わたしだって雨潮うしおくんには聞きたいことがいっぱいあった。

 退魔師として、また半妖としてたくさんの経験を積んでいる彼は、わたしじゃ知り得ないことをたくさん知っている気がする。


 けど、男子たちに囲まれた雨潮うしおくんの口もとが少しだけ緩んでいることに気付いてしまった。

 普段表情の変化に乏しい彼が笑った、その変化がうれしくなってしまい、結局わたしは彼に何も言えなかったのだった。




 ☆ ★ ☆




 授業が終わったあと、わたしは音楽室へと訪れた。

 もちろんアルバくんも一緒だ。チャイムが鳴ったあと、少ししてから迎えに来てくれたの。


 普段は授業の時しか開いていない音楽室。いつもは閉め切られた引き戸が全開になっていた。


「いらっしゃい、紫苑しおん

紫苑しおんちゃん、いらっしゃい」


 授業のあとのホームルームが終わってすぐに向かったのに、中には雪火せっかと九尾さんがいた。九尾さんの足もとには子狸が後ろ足だけで立っている。すごく器用だわ。


「わざわざ借りに行ってくれたんだね。よく考えれば、わたしが河野かわの先生に直接借りればよかったわ」


 河野かわの先生は音楽を受け持っていて、クラスの担任の先生なの。

 授業終わりのホームルームには顔を合わせていたのに、どうして気付かなかったんだろう。


 たぶん、雪火せっかは早く音楽室を開けるために、急いで鍵を取りに行ってくれたんだわ。


「大した手間じゃないよ。それに鍵を借りるにはどのみち職員室に行かなきゃいけないんだし。それより、千秋と三人で来てくれたんだね」


 嫌な顔ひとつせず、雪火せっかはにっこりと微笑んでわたしたちを見た。ううん、正確にはわたしの隣にいる雨潮うしおくんを見ている。


 そう、実はわたしたちは二人きりではなく、三人で音楽室に来たのだ。


 ホームルームが終わったあと、迎えにきてくれたアルバくんと一緒に教室を出ようとしたら、雨潮うしおくんに呼び止められちゃったのよね。彼はわたしの能力――ピアノの音であやかしを回復させる特殊な力――を直接見ておきたいと言って、ついてきてしまったの。

 アルバくんが幻術で姿を隠しているせいもあって、おかげで一緒に帰ると思われたわたしと雨潮うしおくんはクラスメイトたちに「今からデート楽しんでこいよー」とか、「ちゃんと彼女を家まで送れよー」とかはやし立てられる始末。アルバくんはアルバくんで、不機嫌な顔でずっと無言だし、散々だった。


 アルバくん、絶対怒ってるよね。クラスの子たちには誤解されたままだし。

 うう、どうしよう。


「……ん? 紫苑しおん、なにかあった?」

「ううん、なんでもないっ」


 こんな恥ずかしい事態になっているだなんて、とても雪火せっかには話せないよ……。

 相談したら真剣に聞いてくれるんだろうけど、雪火せっか本人も半分巻き込まれているようなものだし。なんでひかりちゃんは雪火せっかとわたしが付き合ってるとか思っていたのかなあ。


 そもそも誤解を解くためには、わたしがクラスのみんなに本当のことを話すしかない。


河野かわの先生にはピアノは自由に使ってもいいけど、教室は簡単でいいから掃除はして欲しいって言われているんだ。ロッカーに掃除道具を置いているらしいから、終わったらみんなで掃除しようか」

「うん、わかった」


 見た感じだと、音楽室は机と椅子は整然と並んでいるし、大きなゴミは落ちていない。普段から先生がこまめに掃除している証拠だ。


「すみません、遅くなりました!」


 最後に慌ただしく教室に入ってきたのは胡桃くるみちゃんだった。

 走ってきたのか、いつもきっちり編んであるおさげは少しだけ緩くなっている。どこか必死そうな顔を見ると、彼女が豆狸まめだぬきのことを心配していたことは明らかだった。


『ねえちゃん!』


 九尾さんの足もとにいた茶色いかたまりが身軽く飛び跳ねて、器用に空中で一回転した。


 ぽおん、と。

 軽くなにかがはじけるような音のあと、九尾さんのそばにいたのは六歳くらいの小さな男の子だった。


 まだ本調子じゃないのか、頭の上にはまあるい耳と、腰のあたりからはふんわりした太い尻尾が生えている。

 けど、服装は九尾さんやアルバくんとは違って現代服だ。赤い半袖Tシャツに濃いグレーの半ズボン。耳と尻尾をのぞけば、そのへんにいる人間の男の子とあまり変わらない。

 足もともスニーカーじゃなくてちゃんと上履きだ。ちゃんと土足じゃない。あやかしの子どもにしては幻術がとても上手いと思う。


 男の子は目を潤ませている胡桃くるみちゃんのもとへ駆け寄ると、お腹のあたりに頭を突っ込みながら抱きついた。

 胡桃くるみちゃんはよろけつつもしっかりキャッチしている。すごい。わたしだったら、そのまま尻もちついちゃいそう。


「よかった、ほんとうに無事でよかった……! もうもうっ、心配したんだからぁ!」

「ねえちゃん、ごめんなさいっ」


 頭上の耳がすこし下がりつつも、子狸こだぬき胡桃くるみちゃんに抱きついたまま離れない。

 大きな瞳からぽろぽろ涙をこぼす胡桃くるみちゃんも子狸を離さなかった。


 こうして見ると、ほんとうの姉弟みたい。胡桃くるみちゃんにとって豆狸まめだぬきは弟みたいな存在なのかもしれない。


 むくりと男の子が顔を上げて、まっすぐな目を胡桃くるみちゃんに向ける。


「いっぱい心配かけてごめんなさい。あのね、ちょっとびっくりしちゃって、お家を出ちゃったの。でも雪火せっか兄ちゃんが治してくれたんだから大丈夫なんだよ」


 そういえば雨潮うしおくんが近くにいるのに、豆狸まめだぬきは大丈夫なのかしら。

 耳はピンと立っているし、尻尾には変化がない。はきはきと笑顔で話す様子からしても、雨潮うしおくんを怖がってはいなさそうだ。

 理不尽に襲われかけたというのに、なんてメンタルが強いんだろう。


「そっか、よかった。三重野みえの先輩、榎本えのもと先輩、本当にありがとうございました!」


 男の子から腕を放して、胡桃くるみちゃんは勢いよく頭を下げた。

 ほっこりしていた気持ちが一気に落ち着かなくなる。


「ちょっ、胡桃くるみちゃん、頭を上げて。わたし、結局あんまり役に立てなかったし!」

「そんなことないですよ。先輩、この子のために昨日は商店街の中を走り回ってくれたそうじゃないですか」

「……えっ。え? うそっ、昨日のこと、商店街の人たちみんな知ってるの!?」

「はい。みんな三重野みえの先輩が必死な顔で走って行ったのを見てたみたいです。よほど急いでいたんだろうなあって、八百屋のおじさんも言ってましたよ」


 あああっ、昨日商店街の中を縦横無尽に走り回ってたってやっぱり噂になってる!

 どうしよう、ぶつぶつしゃべりながら走り回ってる女子高生だって不審に思われてないかな。商店街にお買い物しにくくなるのはいやだわ。八百屋さんのお野菜、すごく新鮮で好きなのにっ。


 一人で頭を抱えていたら、くすくすと笑う雪火せっかの声が聞こえてきた。


「僕も別に大したことはしてないよ、大塚さん。あちこち打撲してたから簡単な手当てをしただけ。大きな外傷がなくて本当によかった」

「……打撲?」


 聞き返したら、雪火せっかは首肯した。


 豆狸まめだぬきの子を見つけた時、記憶に新しいのは雨潮うしおくんと対峙した黄昏時の公園だ。

 彼は妖刀で執拗に豆狸まめだぬきの子を狙っていた。わたしは腕に抱えていたとしても、まるで親の敵みたいな目をして、危害を加えようとした。実際に話を聞いてみれば、肉親の仇は彼のお父さんだったわけなんだけど……。


 胡桃くるみちゃんのもとに逃げ込んだ時、豆狸まめだぬきの子は怪我をしていた。その怪我が雨潮うしおくんの手によるものなら、切り傷があるはずだ。

 それとも雪火せっか胡桃くるみちゃんに余計な心配をかけないために、本当のことを言わないようにしているのかな。


 きっと、考えていることがそのまま顔に出ていたんだと思う。

 雪火せっかはわたしを見ると、苦笑してこう言った。


「始める前に一度誤解を解いておこうか」


 幼なじみはゆっくりと男の子に近づくと、その小さな肩にぽんと手を置いた。男の子は雪火せっかを見上げて、不思議そうに首を傾げている。

 屈託のない豆狸まめだぬきの視線を笑顔で受け流しつつ、雪火せっかはもう一度わたしたちを見てこう言った。


紫苑しおん、アルバさん。千秋はね、豆狸まめだぬきには何もしてはいない。怪我の本当の原因は別にあるんだ」

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