[4-10 reverse side]夢喰いあやかしはピアノの音色を聴きながら、復讐を誓う

 千秋がたぬきのちびに何もしていないってどういうことだ。


 紫苑しおん胡桃くるみの話をまとめれば、狸のちびは怪我をして胡桃くるみのもとに戻ってきた。

 こいつの怪我の治療のため、おれと紫苑しおん胡桃くるみの家に行ったのが昨日の話だ。

 結局、胡桃くるみの部屋はもぬけの殻で、狸のちびは千秋がもつ怨みをこめた妖力に怯えて、家から抜け出してしまったんだが。


 千秋のすまし顔を見ただけでイライラするのは、決してさっき教室の騒ぎのせいじゃない。

 紫苑しおん本人は千秋との関係を否定していたんだ。なのに、なんでこいつはクラス公認のカップルみたいになってんだ。面白くねえ。

 つーか、告白したのはおれだぞ!?


「えっと、話が見えないんですけど。榎本えのもと先輩どういうことなんですか?」


 小さく手をあげて尋ねたのは胡桃くるみだった。

 そういや、退魔師のことを胡桃くるみは知らない。まさか、ここにいる銀髪の男が昨日、狸のちびを襲おうとしてたなんて言えるわけがねえし……。

 雪火せっかはどう説明するつもりなんだ。


「彼は雨潮うしお千秋くんといって、紫苑しおんのクラスに転校してきた生徒なんだ。昨日、紫苑しおんとアルバさんが豆狸を見つけた時そばに千秋がいたから、この子を連れ出して何かしようとしたんじゃないかと二人は疑っていたんだよ」

「そうだったんですか……」


 やっぱり、当たり障りのない内容だった。雪火せっかが慎重に言葉を選んでいるのが分かる。

 そうだよな。まさか、公園で刀を振り回し、狸のちびを殺そうとしていたなんて言えるわけがない。


「でも千秋は何もしていない。当事者たちに聞いたから間違いはない。だから、ここは豆狸まめだぬき本人に事情を聞いてみようか。大塚さんもどうしてこの子が怪我をしていたのか気になるだろう?」

「あっ、はい。それは気になりますっ! ……一体、なにがあったの?」


 狸のちびのそばにしゃがみ込み、目線を合わせて胡桃くるみは尋ねた。

 きょとんとした狸は怯えた様子もなく、はきはきと喋り始める。


「あのね、ボクは悪くないんだよ。ごはんを探してたらあいつが勝手にぶつかってきたんだ!」

「あ、あいつ……?」


 本人はちゃんと説明しているつもりだろうが、説明になっていない。

 あいつとは誰だと言わんばかりに胡桃くるみは不思議そうに首を傾げていた。


 なんだ、この違和感。意味をつかめそうでつかめない。首をひねっても頭になにも浮かんでこなかった。

 ――だが。


「あいつはあいつだよ! 最近、道をびゅんびゅんと走ってる鉄のかたまり!!」


 この言葉で確信した。

 同時になるほどと納得もする。


「もしかして、車のことなんじゃねえか?」


 長距離を移動する時に人間たちが使う乗り物だ。

 どういう絡繰りになってんのか分からねえけど、馬よりも早く移動できるらしい。


「えっ、ということは怪我の原因って、交通事故ってこと!?」


 誰もが分かる言葉ではっきりと言い当てたのは紫苑しおんだった。


 そりゃ道のど真ん中で車にぶつかれば打撲の一つもできるだろ。つーか、よく打撲で済んだな。いくらあやかしでも当たり所が悪ければ死んでもおかしくはないはずだ。


 事の重大さを感じたのはおれだけじゃなかった。胡桃くるみの顔が青くなっていった。


「うそっ! きみ、車にはねられてたの!?」

「ちがうよー。あいつらが勝手にぶつかってきて、ボクのからだがポーンってボールみたいに飛んでったんだ」

「ええええっ、ちょっと大変な怪我じゃない! 本当にこの子はもう大丈夫なんですか、榎本えのもと先輩!?」


 狸の両肩に手を添えながら、胡桃くるみは慌てふためいている。冷静でいろって言うのが無理な話だし、仕方がないだろう。

 よく骨折しなかったもんだ。あのちび、見かけによらず運がいいタイプなんだろうか。


 まあ、でも。怪我の原因が交通事故だっていうのなら、納得もする。

 最近多いんだよな、動物が被害に遭う交通事故。鹿とか猪とか、イタチとか。あやかしのケースは初めて聞いたけど。


「大丈夫だよ。あやかしは普通の動物とはからだのつくりが違うから、骨折とか内臓の破裂の心配はないんだ。それでも、やっぱり打ち身だけはひどくってね。傷口を塞がないと治らなかった。彼が家に転がり込んできた時、すぐに大塚さんが応急手当をしてくれたおかげで、この子は早く元気になれたんだよ」


 相手の不安をあおらないよう柔らかく微笑みながら、雪火せっかは慎重に言葉を選んで話していく。

 傷口から妖力は流れてしまうって言ってたのは雪火せっか自身だった。

 豆狸まめだぬきを探していた時、感じた妖力はやや弱っていたが危うげな感じでもなかった。邪気が混じった、千秋の強い妖力に気付きさえしなければ、あのままいくらかは回復できていたのかもしれねえな。

 豆狸まめだぬきは基本的に温厚で臆病な性格だった気がするし。


「そっか。私の手当ては、ちゃんとこの子の役に立ってたんだ」

「そういうこと。大塚さんもこの子には色々言いたいことはあるだろうけど、まずはやるべきことを済ませてしまおうか」

「やるべきことって何ですか……?」


 だいぶそれてしまった本題を雪火せっかが引き戻そうとしているのが分かった。


 目を丸くしてきょとんとする胡桃くるみ

 雪火せっかを見上げ、不思議そうに首を傾げている。


 おれの隣にいる紫苑しおんが緊張で顔をこわばらせたのが分かった。よくよく考えてみれば、おれたち以外の誰かの前でピアノの演奏を披露するのは、初めてだもんな。


 少し考えてから、おれはそっと紫苑しおんの手を握ってやった。

 指を絡め少しだけ力をこめて。おれがそばにいる、そんな願いをこめて。


 紫苑しおんのクラスメイトたちがどう思おうが、紫苑しおんはおれのもので、おれは紫苑しおんのものだ。


 ふと紫苑しおんが顔を上げる。


 薄紫色の瞳を目があった。白い頬が赤く色づいたあと、紫苑しおんはふんわりと微笑んだ。

 よかった、いくらかは緊張がほぐれたようだ。


 紫苑しおんを見ていると心が弾む。誰よりも優しい笑顔を向けたくなる。


 自然を視線を絡ませていると、雪火せっかがくすりと笑った。


「大塚さん、紫苑しおんのピアノをたぬきくんに聞いてもらおう。彼女のピアノにはね、あやかしを癒やす不思議なちからがあるんだよ」


 簡単な紹介の言葉をきっかけに、小さなピアノリサイタルが始まったのだった。




 ☆ ★ ☆




 ピアノの音色に合わせて、狸のちびがふんふんと歌っている。軽快なリズムに合わせてからだを揺らして楽しそうだ。

 歌うといっても正確な歌詞までは分からないらしい。音程はまあまあとれているから、ハミングでもちゃんと歌えているのは素直にすごいと思えた。


 夢の中でも現実世界でも、いつも紫苑しおんが選ぶのはクラシックと呼ばれるジャンルの曲だ。だが、今回に限っては全然違っていた。

 月夜見つくよみと呼ばれるこの町に住む者なら、子どもの頃に歌う曲。童謡の一つらしい。


 そもそもの事の発端は、狸本人の口から出た発言だった。




「ともだちひゃくにんつくるお歌がいいっ」


 最初聞いた時、おれを含め誰もがあっけにとられ、固まっていた。

 いち早く現実に帰ってきたのは胡桃くるみだった。


「友達百人って?」

「お山の上でね、みんなでおにぎり食べるの。そしたら友達になれるんだよ。前にお歌聞いたことあるんだ~」


 まったく分からねえ。

 後で分かったことだが、この狸はよく商店街を出入りしていたらしく、人間たちをつぶさに観察していたらしい。

 音楽や絵、物語など、人間たちが好む芸術にも少しだけくわしかったりするから、この子狸こだぬきは侮れない。


 だから雪火せっか紫苑しおんには心当たりがあったらしい。

 頬を緩め、互いに「なつかしいねぇ」と笑い合っていた。


「その曲はきみくらいの子たちが学校で歌う曲なんだよ」


 そう言って、雪火せっかは嬉しそうに笑っていた。

 紫苑しおんも一度は弾いたことがあるらしく、まかせてとまで言っていたから大丈夫だったんだろう。


 おにぎり屋に入り浸り、人間の役に立とうとした狸のちび。

 ほんとうはこいつも人間の友達になりたかったのかもしれない。


 だとしたら、狸のちびと仲良くなりたいと言った胡桃くるみの夢は、すぐに叶うことになるだろう。




 歌っているのは狸のちびだけだが、胡桃くるみは三つ編みを揺らし、手を叩いてリズムを取っている。

 そばで一人と一匹が楽しそうにしていれば、自然と楽しくなる。

 曲を弾いている紫苑しおんも嬉しそうに頬を緩ませていて、胸のあたりがあたたかくなった。


 今までであいつにとって一番楽しい演奏会になったんじゃないだろうか。


「……なるほど、たしかに三重野みえののピアノはあやかし由来の力のようだな。浄化の作用がかなり強い」


 ――ほんっとに、コイツは。


 ヒトがせっかく楽しい気分になってんのに、なぜこうもムカつくことばかり言ってくるのか。

 無言でおれは千秋を睨みつけた。


 紫苑しおんを迎えに行った時に遭遇した教室での騒ぎはもちろん忘れていない。

 大体、誤解を正そうとしないこいつの態度が一番ムカつくんだよ。まさか千秋のやつ、紫苑しおんを狙ったりしてねえよな。今朝のバスでも、ちゃっかり隣に座りやがって。


 千秋はにこりともせず、深紅の瞳を上げておれを見た。口で文句を言うならともかく、なんと不躾に指を差してきやがった。


「なんだよ、千秋」


 何だって言うんだよ。こいつは人に指さしちゃだめだって教わらなかったのか!?


「髪を見てみろ」

「――あっ」


 言われた通り、高く結い上げた自分の髪の一房を手で引き寄せる。そこで初めて、異変に気付いた。


 墨汁を吸わせた筆のように先端が黒く染まっていた髪が白くなっている。灰色ですらない。

 さすがに頭上にある耳がどうなっているかまでは分からねえけど、尻尾の先端も白に戻っていた。紫苑しおんと出会ったばかりの頃は、まだ先端が黒かったのに。


「本当だ。よかったね、アルバさん。さすがに耳は完全に真っ白ってわけじゃないけど、ほとんど白くなってる。だいぶ改善されてるよ」

「マジで?」


 気を利かせてくれたのか、雪火せっかが教えてくれた。相変わらず親切なやつだ。


「前よりも浄化の力が強くなってるね。どういうことなんだろう。曲自体はそんなに難しくないって紫苑しおんも言ってたんだけど……」


 そう言って、雪火せっかは顎に手を添えて考え込んでしまった。


 でも気持ちは分かる。俺だって驚きを隠せないでいるのだ。

 最初の演奏では、せいぜい色を薄める程度の力だったのに。


 おれも紫苑しおんも、てっきり浄化の能力は曲の難易度で向上すると思っていた。けど、その前提すら違っていたんだろうか。

 どういうことだ?


「それはね、紫苑しおんちゃん自身のアルバくんへの気持ちが強くなったからじゃないかな」

「――は?」


 九尾の野郎がするりと雪火せっかとの間に割り込んできた。

 機嫌良さそうに尻尾を揺らし、きんいろの目がおれに向いた途端、楽しげに細くなる。


「どうやら紫苑しおんちゃんとアルバくんはつがいになったみたいだし。ついにアルバくんは紫苑しおんちゃんを自分のものにしたんだろう?」

「し、してねーよ!!」


 ……まだ、今のところは。

 つーか、こいつはなんてこと聞いてくるんだ。プライバシーってもんがねえのか。


 そもそも、あやかしでも高校生の子どもに手ぇ出したら犯罪だろ。


「僕もアルバさんには賛成かな。まだ高校生にそういうことは早いよ。良かった、アルバさんが常識のある人で」

雪火せっかもアルバくんも真面目だねえ。向こうもその気ならどのみち同じなんだし、早く自分のものにしちゃえばいいのに」

「それはだめ。なんでそんなこと言うかな、九尾」


 九尾のこういう獣みてえなところはあやかしらしいというか、なんというか……。

 こいつは親切なあやかしを装っておきながら、価値観からしても雪火たち人間に合わせる気はない。

 九尾の狐はどこまでも我が道を行くやつなのだ。


 雪火せっかが呆れた顔で顔を上げるとほぼ同時に、おれは九尾を睨みつける。

 だが、宿主の雪火せっかはもちろんおれの視線にこいつが怯えるはずがなかった。


 九尾はにっこりと、満面の笑みをたたえた。


「だって、愛の力は最強だって言うだろう?」


 ……よく臆面もなく、そんなクサい台詞が言えるな。もう突っ込む気も起きねえよ。


「そんな話聞いたことないから。……うん、でも一理あるかな。想いの強さが浄化の能力に作用しているのかもね」


 雪火せっかまで何を言い出してんだ。九尾の台詞に合わせなくてもいいんだぜ。

 口に出して突っ込もうと思ったけどやめた。演奏の邪魔をしたくなかった。


 雪火せっかも九尾もそれっきり口を閉じて、ピアノの演奏に聴き入っていた。


 鍵盤に指をのせて、紫苑しおんは楽しそうだ。満開の花が咲いたような微笑みは愛らしくて、どんな手を使っても守ってやりたくなる。

 やっぱり、紫苑しおんは泣いているより笑っている方が可愛い。

 あいつの想いの強さが浄化の能力と関係があるのなら、それはそれで悪くないような気がした。


 墨色だった耳や尻尾を紫苑しおんの想いが白くした。あいつがおれと同じ気持ちを向けてくれているのは間違いない。

 その事実だけ分かっていれば、今朝の騒動もかすんでくるってもんだ。


 周りにどう誤解されようが構わねえ。おれと紫苑しおんだけ分かっていれば、それでいい。



 ――だなんて、思うわけがねえだろ。


 悪いが、おれはそんな高説ぶるほど大人にはなれねえし、お人好しでもない。

 こうなれば仕方ない。人間たちの誤解を解くために、おれ自身が行動するしかない。


 ふと頭に浮かんだ計画を胸の中に秘めつつ、ひとまず今は心を落ち着かせて紫苑しおんの演奏に耳を傾けることにした。




 覚えていろよ、人間ども。

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