[4-7]魔女と退魔師

「アルバさんはどうする?」


 心の中で激しいツッコミを繰り返す中、ふと雪火せっかはアルバくんに向き直った。

 いつものようににこりと微笑んで、幼なじみは穏やかな声音で提案する。


「あなたは実際に千秋に傷つけられたわけだから、許せないならそのままでもいいと思う。だけど、もし謝罪を受けて水に流せるというのなら、彼を許してあげて欲しいな」

「おれは別に……。許すも許さないもねえっつーか、退魔師に付け狙われるのは珍しくねえわけだし。紫苑しおんが許してやっていいっていうならそれでいいけど」


 照れ隠しなのか、こめかみのあたりを指でかきながらアルバくんはふいっと目をそらした。


 うんうん、アルバくんはそういう人だよね。自分に悪意を向ける相手でも、ちゃんと謝ったなら許してくれるひとだ。

 口は悪いけど、豆狸まめだぬきのために自分を犠牲にしようとするくらい優しいあやかしだもの。


 今まで接してきた彼の言動を知っていただけにわたしはなにも疑ってはいなかった。

 アルバくんが次の言葉を口にするまでは。


「ただし、条件がある」


 あれ。もしかして許さない感じなの、かな。


 かたわらに立つ彼を見れば、アルバくんは眉を寄せ、雨潮うしおくんに挑戦的な目を向けていた。


「退魔師、いや千秋か。お前が何者なのか、なぜおれたちあやかしを目の敵にしてんのか。洗いざらい吐いてもらうぜ。おれだけじゃなく紫苑しおんまで巻き込んだんだ。聞く権利はあるはずだ」

「……いいだろう。どのみちお前たちにはぬえ討伐の件で協力してもらうつもりだし、昨夜は雪火せっかに散々吐かされたんだ。今更隠すつもりはないさ」


 黒いリュックを背負った雨潮うしおくんはアルバくんを深紅の瞳で見返した。

 ――って、あれ。雨潮うしおくんの瞳の色が変わってる。昨日まで雪火せっかと同じ黒だったのに。どうして。


雨潮うしおくん、その瞳の色どうしたの?」

「何も問題はない。コンタクトを外しただけだ」

「もしかして、カラーコンタクトつけていたの!?」


 鎌鼬かまいたちを母にもつわたしの瞳は日本では珍しい薄紫色だ。お父さんは「お母さんの色を受け継いじゃったんだね」って言っていたのをよく覚えている。

 雨潮うしおくんも変わった瞳を持っているのなら、もしかして半妖の子どもはあやかしの瞳を受け継ぐものなのかしら。


「ここでは隠す必要はあまりないと雪火せっかから聞いたから外した、それだけだ。退魔師の間では鬼の血を持つ者は異端の扱いを受ける。コンタクトひとつで全員を騙せるわけじゃないが、半妖の証であるこの瞳を視界に入れなければ、他人からの非難めいた視線も多少はマシになる」

「異端って……」


 わたしは雨潮うしおくんのことをなにも知らない。昨日転校してきたばかりなのだから、当然といえば当然だ。

 彼はたぶん聞かないと答えてくれないタイプだし、わたしも以前住んでいた町のことしか聞かなかった。雨潮うしおくんがどんな人なのか知ろうともしていなかった。


 あやかしを根絶やしにするなんて口にして、邪気による浸食を進行させるほどの憎しみをもつ雨潮うしおくん。アルバくんは怨念って言ってたっけ。

 何があって、彼はあやかしを嫌うようになったのだろう。


「ちょっと待て。鬼の血って言わなかったか?」


 アルバくんの眉がぴくりと動いた。

 そういえば言ってた。さらっと流しかけてたけど。


 雨潮うしおくんの片親ってもしかして――。


「俺の父親は、鬼だ」


 もう一度、雨潮うしおくんがゆっくりと言った。その隣で、雪火せっかが意味深に笑う。


「そうなんだよ。生きてて良かったねぇ、アルバさん。千秋の片親はあの伝説の鬼、酒呑童子の子孫らしいよ。あ、これは九尾きゅうびが言い当てたことなんだけどね。馬乗りになった時に気付いたんだって。懐かしい匂いがしたって」

「九尾の狐も有名すぎる妖怪だろ。というか、大昔に退治されたはずなのになんで生きてお前に取り憑いているんだよ」

「さあ、それは僕も知らないけど……」


 そっか、早くから九尾さんは雨潮うしおくんの正体に気付いていたんだ。


 ふと気になってアルバくんを見上げると、彼は藍の瞳を見開いて腕をわなわなと振るわせていた。

 どうしちゃったのアルバくん。さっきまで元気だったのに、顔色が青ざめている。でも顔は怒ったような顔をしてるし。


 思わず声をかけようとした矢先。よく晴れた空に、彼の鋭いツッコミが響き渡った。


「ただのばくが鬼の血統に勝てるはずないだろー!」

「落ち着いて、アルバくんっ」


 身を乗り出す彼の腕を引っ張ってなだめていると、道路の向こうからバスがゆっくりと走ってくるのが見えた。




 ☆ ★ ☆




 朝早くから乗るバスはいつでも人気は少ない。

 月夜見つくよみ市は自家用車を利用する人がほとんどで、バスを利用するのはわたしたち学生か、車が運転できなくなったおじいちゃんやおばあちゃんくらい。


 今朝もいつものように乗客はわたしたちだけだった。


 前も後ろも空いていたけど、わたしたちは一番後ろの席に座ることにした。

 あやかしや退魔師の話をするんだもん。運転手のおじさんをびっくりさせたらいけないよね。


 わたしの右隣にはアルバくん。そして、左隣には雨潮うしおくんが座っている。……なんでわたしは二人に挟まれているの?

 雪火せっかみたいにひとつ前の席に座ればいいのに。一人で寂しそうだよ?


三重野みえのとアルバ、お前達は退魔師や魔女についてどこまで知っている?」


 バスが発車したあと、雨潮うしおくんはそう言って話を切り出した。


「どこまでって、わたしはなにも知らないけど……」

「退魔師にしても魔女にしても、人間の集団だろ。おれが知っているはずがないだろ」


 退魔師のこと自体は初耳だし、魔女についてはよくわからない。雪火せっかがよく魔女だと名乗ってはいるけれど。

 というか、魔女って人間の集団だったの?


「退魔師はその名の通り妖怪退治屋だ。神力を使って妖怪を祓う。一方で魔女は薬草の知識を持ち、まじないや予言、魔法を操る集団だ。あやかしとの共生を目指して活動している。実際に九尾の狐が雪火せっかと同居しているのがその証拠だな」

「そうなんだ。雪火せっかって、本当に魔女だったんだ」

「まあ、僕はまだ魔法は使えないんだけどね」


 ぽつりと言うと、なぜか雨潮うしおくんは不機嫌そうに眉間にシワを作った。ひとつ前の席で振り返りながら話を聞いていた雪火せっかを、彼は軽く睨む。


「アルバはともかく、なんで三重野みえのは魔女について全く知らないんだ。お前、幼なじみなんだろ」

「仕方ないよ。響生ひびきさんは紫苑しおんになにも教えるつもりはなかったみたいだし」


 普段雪火せっかがやっていることといえばハーブの家庭菜園くらいなものだ。

 あとは薬草茶やハーブ石けんみたいな雑貨を手作りするくらいで。たまにお薬を作って、お腹をこわしたあやかしに処方している。だからわたしはあやかし専門の薬屋さんみたいだなと思っていたんだけど……。


 あれ。ちょっと待って。


雪火せっか、なんでお父さんの名前が出てくるの?」

紫苑しおんは知らないと思うけど、響生ひびきさんは僕の師匠なんだよ。響生ひびきさんは医者であると同時に凄腕の魔女なんだ。薬草の扱いとか薬の作り方は全部彼に教わったんだよね」

「そうだったの!?」


 十七年生きてきて、そんなこと初めて知ったよ。お父さんもお母さんもなにも教えてくれなかったもん。


「わたし、なにも知らなかった……」

「ここまで何も知らされてないところを見ると、三重野みえのの父親は何かの意図があって教えなかったんだろうな。……いや、三重野みえのが半妖だからか。アカデミーに知られれば格好の餌食にされそうだしな。退魔師にしろ魔女にしろ、集団になってしまえばどちらもたいして変わらない」


 雨潮うしおくんがこわいことを言い始めた。

 お父さんはわたしを守るためになにも教えなかった、ってことでいいのかしら。

 わたしだけ蚊帳の外みたいで寂しいな。わたしのことをそれだけ大事にしてくれてたってことなんだろうけど。


「アカデミーって、何のことだ?」


 黙って聞いていたアルバくんが口を挟んだ。


「アイボリータワーアカデミーという、大阪にある有名大学だ。通称、アカデミー。俺達退魔師の間では魔女養成学校として有名でもあるな。実力の高い魔女を多くそろえているが、その実体は混沌としている。アカデミー内で力を持つ魔女が権力を奪い合ったり、妖怪や薬の研究に熱を燃やしているらしい。中には実験体になっている妖怪もいるとか」

「うわ、怖っ! それであやかしとの共生を謳っているのかよっ」

「ええっ、そうなの? でもアイボリータワーアカデミーって、雪火せっかの親の出稼ぎ先だよ!?」


 夜通し語り合ったとは言っていたけど、雪火せっかは自分の両親に関することは雨潮うしおくんにはなにも打ち明けていなかったらしい。

 アルバくんだけじゃなく、雨潮うしおくんまで目を丸くして固まってしまった。

 話題の中心であるはずの雪火せっかはにこにこと笑っている。


「そうなのか、雪火せっか

「うん、そうらしいね。物心つかないうちにいなくなってからずっと帰ってきてないし、きっとなにかに巻き込まれてるんじゃないかな。でも響生ひびきさんは把握してるみたいだから大丈夫だよ。父さんも母さんも腕のいい魔女だから」


 時たま大きく揺れる車内で、雪火せっかは席から立ち上がってわたしたちを見た。

 わたしだけじゃなくて雨潮うしおくんやアルバくんが雪火せっかを心配そうに見ていたのがわかったんだろうと思う。黒い瞳を和ませて、まるでわたしたちを安心させるようにやわらかく微笑んだ。


「僕のことは置いとこうか。アカデミーのことを出すとややこしくなるからね」

「そうだな。ごめん、話を逸らしちまった」

「大丈夫だよ、アルバさん。つまり千秋が言いたいのは、魔女と退魔師は常に対立し続けているということだよ。あやかしを排そうとする退魔師、あやかしと共生を目指す魔女が相容れることはないから」


 だから雪火せっか雨潮うしおくんには自分が魔女だって言ってたんだ。

 退魔師なら対立している魔女の存在を知っているはずだもんね。


「千秋は異端とされたのは半妖だからだよ。最強格の鬼の血を継いだ彼を退魔師達が受け入れられなかったんだ。そうだろう、千秋」


 眉を下げ、雪火が切なげに細めた瞳を雨潮うしおくんに向けた。

 その問いかけに対し、沈黙で肯定を返していた。彼はぴくりとも表情を変えなかった。

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