[3-8]だんご汁と恋の自覚

「うわあ、すごいっ! 雪火せっか、たくさん作ったね!!」


 ごはんができたからおいでと呼ばれて来てみれば、ため息が出るくらいびっくりしてしまった。


 普段使っている丸いちゃぶ台ではなく、来客用の足が短い長テーブルが居間の中央に出ている。

 その上に並べられているのはお茶碗に盛った白ごはん、牛肉を使った肉じゃが、お味噌汁、ほうれん草のおひたしに冷や奴。あと、きゅうりのぬか漬けだ。

 あと端っこにはお皿の上に味付けした平べったい油揚げが何枚も積み重なっている。これはなんだろう。


「今日は紫苑しおんが倒れたばかりだし、消化の良さそうなものにしたんだよ」


 紺色のエプロン姿の雪火せっかはそう言って、にこりと笑った。

 いつも雪火せっかの家は和食なんだよね。それにしてもこれだけの品数を作っちゃう男の子ってすごすぎると思うの。


雪火せっか、多くないか? メシならお前ら三人分で足りるだろ」

「量は合ってるから大丈夫。アルバさんの分もあるから、遠慮せずに食べてね」

「おれの分まで作ったのか!?」


 目を見開いてアルバくんが大きな声をあげた。先端が墨色に染まったグレーの長い尻尾が、一気に太くなった。


「おれはあやかしだから食べなくても平気だって、お前なら知ってるだろ。人間の食糧には限りがあるんだし、無駄に消費しなくたっていいんだ」

「アルバさんってほんと謙虚だよねぇ」


 墨色の三角耳をピンと張って、アルバくんは眉をつり上げていた。怒っているように見えるけど、雪火せっかのことを心配しているのがすごくわかりやすい。

 いつだってアルバくんはわたしたち人間のことを気遣っているんだなあと思うと、胸の中があたたかくなってくる。


 雪火せっかはそんなアルバくんの気遣いが嬉しかったみたいで、いつも以上に満面の笑みを浮かべていた。


「うちの九尾きゅうびにも見倣って欲しいよ。今月に入ってから煎餅の袋をいくつ空っぽにしたことか……」


 ため息まじりに、幼なじみはわざとらしく頭を振る。

 きっと確信犯だわ。そう思った矢先、やっぱりアルバくんは素早く動いた。


「九尾、てめえなに高校生の食費を無駄に浪費してんだっ」


 ぽかりとアルバくんは九尾さんの頭を殴った。遠慮なんてなかった。


「ひどいよ、アルバくん。痛いよ」

「痛くねえだろ」

「心が痛いよ」

「言ってろ」


 九尾さんとアルバくんって、ほんと仲良しだよね。

 両手で顔を覆ってめそめそ泣き真似をする九尾さんを見ても、アルバくんは腕を組んだまま無視を決め込んでいる。


「そんなに心配しなくてもいいんだよ。雪火せっかはご近所さんや患者さんから食べ物もらうから大丈夫なのさ。このぬか漬けのきゅうりもカッパ君からのいただきものなんだし」

「なんだよ、その謎理論。言い訳すらならねえだろ」


 アルバくんは怒っているのに可愛いとか思ってしまうのも、さっき交わした会話のせいかもしれない。

 こうして改めて観察してみると、ほんとに人間のことが好きなのがわかりやすい。


 雪火せっかも微笑ましく思ったのか、くすくすと笑いながらアルバくんに話しかけた。


「そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ、アルバさん。九尾だって一緒に食べるんだし。……まあ、九尾は偏食家だから、味付けした油揚げしか食べないんだけどね」


 そっか。それでテーブルの端っこに高く積み上げた油揚げを盛ったお皿が置かれているんだ。


紫苑しおんだってアルバさんが食べないと気にするだろうし、もう作ってしまったから捨てるのももったいないよ。良かったら食べていってくれないかな」


 そういえば、今日はアルバくんの分も作るから一緒にごはん食べようって約束してたんだっけ。ちくりと胸が痛む。まさかこんな形で約束が果たされるだなんて。


 アルバくんは申し訳なさそうに眉を下げていた。そんな彼に雪火せっかは満面の笑みを浮かべて最後の追い打ちをかけた。


「それに、みんなでゆっくり話もしたいしね」







 食事の席は途中までは静かなものだった。


 わたしは向かいに座って黙々と食べる雨潮うしおくんを見てみる。

 お箸の持ち方はきちんとしていて、物音をあまり立てずに食べている。無表情だから相変わらず何を考えているのかわからない。


 黄昏時の公園で、鈍色の刃を掲げた雨潮うしおくんの姿は、まだ頭の中に焼き付いている。

 冷静な彼が感情をむき出しにしてアルバくんを傷つけたその姿は、忘れたくても簡単には忘れられない。


 あやかしを根絶やしにしてやる、だなんて。


 雨潮うしおくんはどうしてそんなことを言ったりしたんだろう。

 わたしがあやかしに襲われてこわいと思い続けたように、彼もあやかしを嫌うきっかけがあったんだろうか。


雨潮うしお君、口に合うといいんだけど、どうかな」


 さっきから雪火せっかは臆面もなく仏頂面をする雨潮うしおくんに話しかけている。

 やっぱり自分で雨潮うしおくんを家に連れてきたのは仲良くなりたかったからなのかな。……うーん、なんか違う気がする。


 雨潮うしおくんは雨潮うしおくんで話しかけてくる雪火せっかをことごとく無視スルーしてたんだけど、お味噌汁に手を出したとたん、ぴくりと反応した。


「なんだこの味噌汁。うどんの平たい麺みたいなのが入ってんだけど」

「それはいわゆる〝だんご〟だね。これは味噌汁じゃなくて、この辺りの郷土料理でだんご汁だよ。このだんごがまたおいしいんだよね」

「ふーん」


 人参とかごぼうや里芋が具だくさんに入っていてとても美味しいし、お腹があたたかくなる。肉じゃがもじゃがいもがほくほくしてる。

 ほうれん草のおひたしは醤油で甘辛く味付けしてあった。


「なんか味付けがやたら甘くないか?」

「そう? まあこのへんの醤油や味噌とか、調味料みんな甘いからなあ。食べ物ひとつでも地域性が出るよね」


 だんご汁をきっかけに、雨潮うしおくんも雪火せっかに言葉を返していった。ちゃんと会話してる。というか、仲良くなってる気がする。

 そんな雪火せっかの隣で、九尾さんは器用にお箸で油揚げをつまんでぱくぱく食べていた。分厚かったたくさんの油揚げがもう空っぽになってる。


「……うまい」


 ぽつりとつぶやいた声にはっとする。


 隣を見れば、アルバくんがお椀を左手に、お箸を右手に持ったまま目を輝かせていた。

 まるで子どもみたいに感動する表情を見たとたん、すごく嬉しくなって思わず声をかけてしまった。


雪火せっかの作るごはん、おいしいでしょ?」

「うん、うまい。あの短時間でよく作ったよな」


 自然と声が弾む。

 幼なじみの雪火せっかはとにかくなんでもできる器用な人なんだけど、自炊してるだけあって料理がすごく上手なの。和食が特に得意だから、時々わたしの作ったおかずを交換して味見をさせてもらってる。


「みんなでごはんも悪くないでしょ?」

「……そうだな。うん、悪くないかも」


 意外に素直に頷いてくれたので、わたしはびっくりしてしまった。

 この調子だったら、明日も一緒にごはんを食べてくれるかもしれない。


 けど、どうせなら、わたしの手料理を食べてもらいたかったな。


 今日はハンバーグを作る予定だった。

 だけど子狸のこともあったし、肝心のわたしが倒れちゃったから、計画そのものが狂ってしまった。仕方ないことだとは思うのだけど……。


紫苑しおんは何を作るつもりだったんだ?」


 ふいに、アルバくんが聞いてきた。

 顔を上げると藍色の瞳がわたしをまっすぐ見ていた。


 心を見透かされてそうで、ドキドキする。自然と心臓の鼓動が早くなって、うるさく感じた。


「えっと、ハンバーグ、だけど……。ごめんね、約束してたのに、作れなくなっちゃったね」


 なんだろう、この気持ち。おいしいごはんで気持ちが弾んでたのに、どんどん沈んでいく。

 涙が出そうなくらい、心細いような。ううん違う。胸の中がモヤモヤしている。


「なんで紫苑しおんが謝るんだよ。お前は何も悪くないだろ」

「そうだけど、でもアルバくんにはわたしの手料理を一番に食べて欲しかったなって。おいしいって言って欲しかったんだもん……」


 なにこれ。もしかして、わたし雪火せっかにヤキモチ焼いてる……?


 親切で介抱してくれたばかりか、ごはんまでお世話になってるっていうのに。

 だめだ。わたしって、性格悪いのかも。雪火せっかはいつも優しくしてくれるのに、こんなこと思うなんてひどい幼なじみだ。


 膝の上に置いた手を握りしめる。そうしないと、惨めで泣きそうだった。


「また明日作ればいいじゃん」


 ぽつりと言ったそのたった一言が、沈んでいたわたしの心を一気に浮き上がらせた。


 もう一度顔を上げると、アルバくんはテーブルに肘をついてわたしを見ていた。

 それ、テーブルのマナー違反……って、今は突っ込む気にもなれないや。


「いつまでも一緒にいてって言ったのはお前だろ。なら、明日だってそばにいてやるんだし、食事なんていつでもできるって」

「うん、そうなんだけど……いいの? ごはん一緒に食べるのあまり乗り気じゃなかったのに」

「約束だからな」


 にっと白い歯を見せてアルバくんは笑った。

 まるで陽だまりのようなあたたかい笑顔。いつだって彼の笑顔を見ていると、胸の中がぽかぽかしてくる。


 本当にアルバくんが無事でよかった。身体そのものは完全に無事ってわけじゃないけど、今のところは大丈夫みたい

 彼に何かあったらどうしようって思うくらい不安だ。アルバくんのためにできることなら、なんでもしたい。ずっと一緒にいたいし、やっぱり一番にわたしの作ったごはんを食べて、おいしいって言ってもらいたい。


 ああ、そっか。そうなんだわ。

 今になって自覚した。


 誰にも渡したくないくらい、わたしはあやかしのアルバくんに恋をしていたんだ。

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