[3-7]押し倒した理由

 どうしよう。

 ここは思いきってアルバくんに聞いてしまう?

 でも本当に聞けるの? アルバくんがわたしのことをどう思っているのかって、面と向かって――。


 おそるおそるアルバくんの顔を見てみる。


 目をぱちくりとさせて、アルバくんは戸惑ったような表情をしていた。

 夕方の公園で、雨潮くんからわたしを守るために強く抱き寄せられたのが嘘みたい。白い着物と薄藍の長襦袢の袖から出てる腕は意外と太くて、しっかりとした筋肉がついている。てのひらだってわたしより大きいし。

 ばくだということを忘れてしまうくらい、アルバくんは男の人の体つきをしている。


 あああっ、もうわたしってば、なに変なとこ見てるんだろ!?


「ちょっ、大丈夫かよ! まだ具合が悪いんじゃねえのか!?」


 恥ずかしさで魚みたいに口をぱくぱくさせていたら、アルバくんが目を丸くした。


「だ、大丈夫だよ。平気だからっ」

「飯ができるまで時間かかるだろうし、しばらく寝てろよ」


 本当のことなんて言えるわけがない。

 そんなわたしの心の中をアルバくんが知るはずもなくて。逆に心配をかけちゃったみたい。


 肩に大きな手のひらを置かれ、そのままゆっくりと布団の中で押し戻されてしまった。

 天井にぶら下がっている蛍光灯の光をアルバくんの身体が遮っている。シチュエーションは全然違うけど、押し倒されているみたいで落ち着かない。


 初めて会ったのは八月の半ばで、夏休みが終わりにさしかかった頃だった。

 ある朝、目を覚ますとアルバくんが目の前にいて――。


「ねえ、アルバくん」

「ん?」


 あれだけ恥ずかしいと思ったのに、今なら面と向かって聞ける気がした。


「アルバくんはどうして、あのときわたしを押し倒したの?」


 聞こうと思っていた質問とはだいぶ違うけど、まあいいかと思う。

 最初は目を丸くしていたアルバくんだったけど、その顔が朱色に染まった。


「は!?」


 まるでタコのように赤くなる彼に、今さら恥ずかしくなってきちゃった。

 大胆だったかしら、わたし!?

 やだ、どうしよう。わたしまで顔が熱くなってきたんだけどっ。


「押し倒してねえし!」


 この期に及んでそれはないと思うよ、アルバくん!


「そんなことない、押し倒してたもん。それにあの時いきなりおれの女になれって」

「だって悪夢を食うには契約するのがてっとり早いだろっ」


 そっか、やっぱりわたしに取り憑いたのは悪夢を食べるためだったんだ。


「どうしてアルバくんはわたしに取り憑いたの?」


 心のどこかでずっと気になっていた。

 初めて会って、しかも会話をそんなにかわしたことないのに、どうしてアルバくんは親切にしてくれるのだろう。どうして取り憑いてまで、わたしの悪夢を食べてくれたんだろうって。


 目を丸くしたあと、アルバくんは藍色の瞳を気まずそうにさまよわせてから、わたしの上からどいてくれた。

 わたしも起き上がって彼の答えを待つ。


「……お前が夢を諦めようとしていたから」

「え?」

「楽譜を捨てられねえで物置にしまい込むくらいピアノがめちゃくちゃ好きなくせに、ぜんぶ諦めようとしてただろ。そんなのもったいないと思ったんだよ」


 うん、言いたいことはわかる。あと、物置じゃなくてクローゼットね。


「おれは、人間には無限の可能性があると思ってる」

「無限の可能性?」


 迷いを振り切ったように、アルバくんはわたしの目をまっすぐに見返した。

 曇りのない藍の瞳にはわたしのきょとんとした顔が映っている。どきりとした。


「色んな人間の夢を見てきた。おれなんかが触るのがもったいねえくらいにすげえって思う夢がいっぱいあって。それに向かってがんばってがんばって、夢を叶えるやつをたくさん見てきた。けど、現実はそんなに甘くなくて、がんばったけど夢が叶わなくて諦めるやつもいる。でもその努力は無駄じゃないし、尊いと思う。おれなんかにはとても真似できない。けど――、」


 アルバくんの手がわたしの手をつかんだ。指を強く握られる。


「お前はまだ未練があっただろ。本当はピアノをやめたくないって思ってただろ?」

「それは……うん。そうかもしれないね」


 今ならはっきりと言えるし、自分の心も冷静に見つめられる気がした。

 ピアノの楽譜は捨てられなかったし、ピアノそのものだって処分できなかった。

 なによりアルバくんに出会うまでは、ピアノの夢を見ていたんだもの。あと、あの毛むくじゃらのあやかしの夢も……。


「だから、簡単に諦めてほしくなかった。つらいのもしんどいのも代わってはやれねえけど、そばにいることだけはできるから。自分でもなんでこう思うのかよく分からねえけど」


 肝心な時にアルバくんはいつも目をそらす。でも顔は赤いままだ。


「そっか。ありがとう、アルバくん」


 期待した答えはもらえなかったけど、わたしはアルバくんの口から直接聞けてうれしかった。

 結局、わたしのことをどう思っているのかはわからなかった。でも彼がわたしのことを大事に思ってくれていることはたしかだと思うの。


 アルバくんは出会った時から、見ず知らずのわたしを気遣って、助けてくれた。だからわたしはピアノに向き合うことできたんだもの。

 わたしたち人間の夢も、夢に向かって邁進する姿を尊いと口にするアルバくんの顔は、とてもやさしい笑顔で。


 ああ、そっか。そうなんだ。

 きっとアルバくんは、どのあやかしよりもわたしたち人間のことが好きなんだわ。

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