[2-8]あやかしの授業参観

 なんとか授業には間に合ってよかったけど、結局、雪火せっかのクラスに寄る時間はなくなってしまった。

 事前に雪火せっかの耳には入れておきたいし、次の休み時間にちゃんと行かないと。薬を作るのだって道具が必要なんだし。


 五限目は現代文の授業だった。クラスメイトの一人が先生に名指しされて音読するのを聞きながら、わたしは頭の中であれこれと考える。


 一度は逃げてしまった豆狸まめだぬきは再び後輩の前に現れた。

 あやかしが苦手だったわたしが家の前で倒れていたアルバくんを見捨てられなかったように、後輩もその子のことが放っておけなかったんだと思う。

 その気持ちはわかるし、やっぱり力になりたい。

 まだこわいけど、アルバくんも一緒に付き合ってくれるっていうし。もうちょっとがんばってみよう、かな。

 ……あまり自信はないけれど。


 ――なんて、そんなことを思っていた矢先に異変は訪れた。


 ちょうど本文の朗読が終わり、先生が黒板に白いチョークで書き始めたのでわたしは顔を上げた。その瞬間。


「ええええええええっ!?」


 わたしは文字通り飛び上がった。

 それもそのはず。教室の窓の向こうに、九尾さんとアルバくんがいたからだ。

 何なの。どうして二人ともここにいるのおおおお!?


 口を開いて九尾さんが何か言っているけど、よく聞こえない。

 アルバくんはと言えば眉間にシワを寄せてじと目でこっちを睨んだあと、藍色の目を大きく見開いて固まっていた。猫が驚いた時みたいに白い毛長の尻尾が太くなってる。

 びっくりしたのはこっちなんだけどっ。


 たしかに九尾さんはアルバくんのことは引き受けてくれると言っていた。

 でも、二人で校舎内をブラブラしていいって話じゃなかったよね!?


 九尾さんはわたしの気持ちを知ってか知らずか、にこにこと笑って手を振っている。

 まるで授業参観に来たお父さんみたい。さすがのわたしも笑って手を振り返したりはできないよ。


三重野みえのさん、どうしたんですか?」


 冷静な先生の声にはっとする。

 しまった、忘れてた。今は授業中だった。突然のハプニングに心が持って行かれた。


「えっと、あの。ごめんなさい、先生」

「授業中は静かにしてくださいね」

「はい、ごめんなさい」


 もうもうっ! ひどいよ、二人とも。授業中に怒られたことなんてないのに……。

 あまりの恥ずかしさに顔が熱くなってきた。

 おずおずと着席すると、いつの間にか二人はいなくなっている。ほんと何しにきたんだろ。


三重野みえの、大丈夫か?」


 声をおさえて、雨潮うしおくんが尋ねてきた。

 そうだったわ。わたし、今日は雨潮うしおくんに教科書見せていたんだった。

 なのに、すぐ隣で大きな声を出して飛び上がったりしたら、そりゃびっくりするよね。


「う、うん。ごめんね」

「いいけど、何かあったんじゃないのか?」

「ううん、何でもないの」


 まさかあやかし二人が授業参観に来ていたなんて、とてもじゃないけど言えない。雨潮うしおくんの退魔師疑惑は、まだ拭えてないんだし。

 九尾さんもアルバくんも何を考えているんだろう。そもそも授業が終わるまで退魔師は手出しできないって言い切ってたのは九尾さんだっていうのに。


 ほんと、あやかしってよくわからない。




 * * *




「ってことがあってね、誤魔化すのがすごく大変だったの」


 次の休み時間、警戒するようにわたしを見てくる雨潮うしおくんから逃げるように、雪火せっかのクラスに飛び込んだ。

 事の顛末てんまつを話すと、雪火せっかは相づちを打ちながら聞いてくれた。


「まったく、いつまでも戻ってこないと思ったらそんなことをしていたんだ。ごめんね、紫苑しおん

「九尾さんは雪火せっかにどこに行ってくるとか言わないの?」

「うん。ほら、あやかしって基本的に自由だからさ」


 雪火せっかはいつだって冷静だ。のんびりマイペースな九尾さんも軽くあしらっていて、わたしみたいに慌てふためいたりしない。

 それに、わたし以上にあやかしのことをよくわかっている。


「ねえ、雪火せっか。わたし、あやかしってよくわからない。誰が誰のものとか、そういう思考になっちゃうものなのかな。お昼休みの時にね、九尾さんまで雪火せっかが自分のものだって言ってたの」

「えっ、九尾のやつ、紫苑しおんにそんなこと言ったの?」

「うん。それにアルバくんだって、わたしのことをお、おれのものだって、言うし……」

「ふぅん。アルバさんが、ねぇ……」


 あごに手を添えて雪火せっかは真剣な顔で考え始めてしまった。

 いや、そんな深く考え込まれても困るんだけど。

 わたしはただ、あやかしのことに詳しいと思ったから聞いただけなんだけどな。軽い気持ちで聞くべきじゃなかったかしら。


「九尾とは赤ん坊の時からずっと一緒にいるから、そんなものかなあ。九尾が僕のことをそういうふうに言うのはね、僕に取り憑いているからだよ」


 やっぱり、そうなんだ。

 なんだ。変に考えちゃって損しちゃった。

 そうだよね。誰が誰のものだってあやかしたちが言うのって、どの人間に取り憑いているかを主張するためだもんね。


「そっか。やっぱり、あやかし的にはそういうことだよね。きっと、アルバくんもそういう意味で言っているんだよねっ」


 実際、アルバくんがわたしに取り憑いているのは事実だし。


「それはどうかな」

「え?」


 雪火せっかの瞳がわたしを見る。ガラス玉みたいな漆黒の瞳。彼は珍しく真顔だった。


「アルバさんのことはアルバさんにしかわからないよ、紫苑しおん。夢喰いのあやかしだけあって、アルバさんは九尾以上に僕たち人間のことをよくわかっている。僕たちが話す言葉のニュアンスをどのあやかしよりも正確に理解していると思うんだ。だから、彼がどういう意味で紫苑しおんのことを自分のものだと言っているのか、僕には分からない」

「ええええ!?」


 じゃあ、やっぱりそういう、深い意味もあるってこと!?

 深い意味ってなんだろう。所有物的なやつなのかしら。


「ど、どうしよう! 雪火せっか、わたし、どうすればいいかな!?」


 頭がパニックしすぎてどうにかなってしまいそう。

 目頭が熱くなってきて、いてもたってもいられなくって雪火せっかすがるようにそう尋ねた。


 すると彼はいつものにっこりとした微笑みを浮かべてこう言ったんだ。


「それは本人に直接聞くのが一番だよ。アルバさんが紫苑しおんのことをどう思っているのか、直接聞いてみたらいいんじゃないかな」

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