[2-7]迷う心とひなたの笑顔

「怪我してんのなら、完全に雪火せっかの助けが必要な案件だな」


 腕を組んだまま、アルバくんは冷静な口調でそう言った。


「やっぱりそうだよね」

「ああ。雪火せっかの薬屋としての腕前がどれほどのもんかわからねえから、絶対に治るとは言い切れない。タヌキの容態だって見ていない以上判断はしづらいし。ただ、万が一雪火せっかの薬だけで回復しきれない場合、その時は……」


 鋭い藍色の瞳がわたしを見る。思わず膝の上に置いた指を強く握りしめた。


 アルバくんが何を言いたいのか分かってる。ただ、わたしはもう一度、あやかしのからだを癒やす音色を奏でることができるのかと問われれば、きっと「わからない」と答えてしまうだろう。

 夏にアルバくんのからだを浄化した時は夢中だった。それに再びピアノに触れるようになったのは彼のおかげだ。もう一度立ち上がれるように励ましてくれた恩返しがしたかったというのもある。


 けれど、今回の件はそうじゃない。一度も顔を合わせていないあやかしを相手にする必要がある。


 わたしにできるの? 見ず知らずの豆狸まめだぬきのために、ピアノを弾くことができるかしら。

 もし、万が一、その子がわたしに牙を向いたりしたら――。


「ま、先のことはまだわかんねえし。今はあまり深く考えなくてもいいだろ」


 腕を解いて、アルバくんは白い歯を見せて笑った。

 突然話を無理やり切ったような感覚。違和感を少し覚えた。


「え、いいの?」

「必要になったらその時考えたらいいんじゃね? ピアノが好きなのも、母親譲りの特殊な癒やしの能力ちからも、紫苑しおんだけのものだ。紫苑しおんの好きなように決めたらいいと、おれは思うぜ」


 まるでひなたのようなあたたかい笑顔だった。鉛みたいだった胸が少し軽くなる。

 どうしてアルバくんって、わたしが欲しい言葉をいつも言ってくれるのだろう。


「うん、そうだね。ありがとう。とりあえず教室に戻る前に雪火せっかのクラスに寄って声をかけてこようかな」

「ああ、その方がいい」

「放課後は後輩と合流してそのままお家にお邪魔するんだけど、アルバくんはどうする?」


 ふと気になって聞いてみた。まさか大人しく家に帰るとも思えないし。

 すると、彼は当たり前のように肩をすくめてこう言ったのだ。


「もちろんついて行くに決まってんだろ。向こうがあやかしを見れるのなら、おれも遠慮する理由はねえんだし」


 やっぱりついて来る気だった!

 このまま大人しく家に帰るつもりはなさそう。そばにいてくれるのはありがたいけれど、なんだか心配。

 それに、まだ午後も授業は続く。それまでアルバくんはどう過ごすつもりなんだろう。


「授業が終わるまでまだしばらくかかるけど、アルバくんはそれまでどうする?」

「んー、そうだな。適当にその辺ぶらついて時間潰す」


 予想通りの返事に、肩を落としそうになった。

 まだ雨潮うしおくんが退魔師だって決まったわけじゃない。どちらにしたってどこに潜んでいるのかわからないのに。


「そんなの危ないよ!」

「何も危ないことなんかねえよ。こう見えておれは夢喰いのあやかしだぜ? 幻術くらい使えるっての」

「そういうことじゃなくて!」


 アルバくんはわたしのことはすごく心配してくれるのに、どうして自分のことは無頓着なんだろう。

 身体が治りきっていない状態で妖力を使っても大丈夫なものなのかな。

 あやかしのことはよくわからない。こんなことだったら、お母さんにもっとよく聞いておくんだった。


紫苑しおんちゃん、アルバくんのことは私が見ているから安心するといいよ」


 少しの間。

 ふいに背後から言葉をかけられて、わたしとアルバくんは石のように固まった。


「きゃああああっ」

「うわああああっ」


 いそいで振り返ると、そこには先端がオレンジ色の白い尻尾を揺らす九尾さんの姿。いつの間に近づいてきたんだろう。びっくりした。


「ふふふ、二人とも同じ反応をしてくれるなんて仲良しだねぇ」

「驚かせんじゃねえよ、九尾!」

「び、びっくりした。急に現れるんだもん」


 まだ心臓がバクバクと激しい音をたてている。

 にっこりと微笑んで、九尾さんはわたしに言い諭すように優しく続けた。


紫苑しおんちゃんは退魔師のことを心配しているんだろう? 危険な目に遭わないよう、アルバくんは私が見ているから大丈夫だよ」

「うん。ありがとう、九尾さん」


 神出鬼没とはまさにこのことだ。

 驚いたけど、九尾さんの申し出は素直に嬉しかった。

 九尾の狐って強い力をもつあやかしだもんね。万が一退魔師と遭遇しても、きっと大丈夫だよね。


「それに、授業が終わるまで、彼は私達あやかしには手出しすることはできないだろうしね」


 細めたきんいろの瞳をあやしくきらめかせて、九尾さんはそっと言った。

 もしかして、九尾さんは誰が退魔師なのかわかっているの!?


「えっ、それってどういう――、」

「なんでおれが九尾の野郎と一緒にいなくちゃいけねえんだよ」


 完全に話の腰を折られてしまった。というか、アルバくんにわたしの言葉を遮られた。

 当の本人は眉を寄せて不機嫌そうに九尾さんをきつく睨んでいる。

 九尾さんにあたりがきついのはいつものことなんだけど、やっぱり今日のアルバくんはいつになく不満げだ。


「安全のためだよ。アルバくん、君は獏だ。私とは違い、獏は基本的には人間に危害を加えないあやかしだからね。人間みんながあやかしに好意的だとは限らないし、退魔師は初めから私達を敵視している。用心するにこしたことはないよ。それに、」


 楽しそうに微笑みながら、九尾さんはわたしをちらっと見た。


「私と君は利害が一致している。雪火せっかは私のものだし、紫苑しおんちゃんは君のものだ。人の物を取ったりしないから心配しなくていいんだよ」


 えっ、何。何の会話してるの、この二人!?


「その言葉に二言はないだろうな?」


 アルバくんも何言ってるの!?


「もちろん。私が欲しいのは雪火せっかだけさ」

「分かった。それなら、しばらくの間だけお前に付き合ってやる」


 どこから突っ込んだらいいのかわからなかった。

 誰が誰のものとか、そういうのってあやかしの間では普通なのかな。わたしたち人間が使う意味合いとは、少し違ってるの?

 あやかしってよくわからない。


 アルバくんと九尾さんが二人並んで歩いて行く。


 ぽかんと口を開けて見送っていたら、チャイムが鳴った。

 いけない、授業が始まっちゃう!

 ようやく我に返ったわたしはお弁当袋を抱えて、教室までダッシュしたのだった。

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