[1-6]退魔師の噂

「だめだよー。この炎天下の中、朝食もとらずに動き回ったりしちゃ」

「はい、すみません……」

「幸い、軽い熱中症で済んだからよかったものの。外に出る時はちゃんとごはんを食べて水分もしっかりとってね。お大事に」

「ありがとうございました」


 そんなやり取りを交わして診察室を出る。

 もう一度感謝をこめて頭を下げてから、わたしは待合室に戻った。


 ある程度予想はしていたものの、先生には怒られてしまった。


 会計を済ませ、受付のお姉さんに見送られながら診療所を後にする。

 外に出ると生ぬるい風が頬をなでた。


 倒れた原因はやっぱり熱中症だった。軽症だったおかげで点滴や入院の必要まではなかったみたい。応急処置をしてくれた雪火せっかのおかげだ。本当によかった。

 入院となるとお父さんやお母さんに連絡しなくちゃいけなくなるし、なによりばくさんの治療が遅れてしまうもの。


 雪火せっかのお家で朝ごはんをごちそうになった後は気分がよくなってたし、病院なんて後回しでもよかったのに。そもそも初めは念のため行った方がいいかなという話だった。

 そう思ってるわたしが、なぜこうして足を運ぶことになったのかというと、獏さんが頑として譲らなかったせいだった。

 わたしが診察してからじゃなきゃ演奏は聴いてあげないし浄化もさせてやらない、とまで強く言われてしまった。

 頑固だなあ、と思う。


「やっぱり獏さんって、いいひとだよね」


 ここは、いいあやかしとでも言うべきなのかな。わたしはどっちでもいいけれど。人間でもあやかしでも、獏さんは獏さんだし。


 診療所を出てすぐの横断歩道を渡る。そのまま歩道を五分くらいまっすぐ歩くとコンビニが見えてくる。

 雪火せっかたちとの待ち合わせの場所だ。

 今診察が終わったってメッセージアプリで連絡したから、たぶん大丈夫だと思うのだけど。


 自動ドアが開いて中に入る。

 店内はエアコンがよくきいていて涼しかった。


「病院終わった?」


 入ってすぐ、雪火せっかに声をかけられる。

 飲み物を買って、イートインコーナーで九尾きゅうびさんや獏さんたちと待っててくれたみたい。雑誌の立ち読みとかで時間を潰そうとしないところは、真面目な性格の雪火せっからしい。


「うん、問題ないって」

「そっか、よかった。はい、これ紫苑しおんの分」


 椅子から立ち上がって差し出してくれたのは、ペットボトルに入ったミネラルウォーターだった。


「えっ、わたしの分も買ってくれたの?」

「そうだよ。今日は倒れたばかりだし、ちゃんと水分とっておかないとね」

「ありがとう」


 細やかに気遣ってくれるところは相変わらずだ。優しくて真面目で、絵に描いたように優等生な雪火せっか。友達としていつもわたしのことを気に掛けてくれている。

 清潔感があって背もそこそこあるし、成績は抜群に優秀。学校では女の子によくモテるんだよね。

 でもわたしにとって雪火せっかはあくまで友達。恋愛関係になったことはないし、今までそういう対象で見たことはない。


 そんな幼なじみはさっきから物言いたげな目でじっと見ている。今ちゃんと水分補給しなさいってことらしい。ペットボトルの蓋を開けて少し中身を飲むことにした。

 ひんやりとした水が喉を滑っていく。買ったばかりなのかな。ただの水なのに、すごくおいしく感じる。


「じゃあ、行こうか」


 雪火せっかがにこりと笑った。ちゃんと言われた通りに水を飲んだのを見て満足したんだと思う。まるでわたしの主治医みたい。


「九尾さんや獏さんといて、お店の人に変な目で見られなかった?」

「大丈夫だよ。二人とも他の人には見えてなかったみたい。九尾が普通の人には見えないように幻術をかけていたみたいだから」

「そうなんだ」


 パニックにならないようにするためかな。わたしみたいにあやかしが苦手な人だっているし、見たことがない人もいるもんね。


「普通の人が見たらびっくりするからね。それに……」

「それに?」


 聞き返すと、雪火せっかは目をそらす。言いにくいことがあると、彼はいつも難しい顔をする。

 言いよどんだ幼なじみの言葉を引き取ったのは、九尾さんだった。


「どうやらこの町に退魔師が入り込んだみたいだよ。人間など私の敵ではないのだけど、用心しておくにはこしたことはないからね」


 きんいろのグラデーションがかった白い尻尾を揺らしながら、九尾さんはぽんぽんと雪火せっかの頭を軽く叩く。

 やっぱりお父さんみたい。もしくはお母さんとか。


「退魔師……」

「そう。同じ人間とは言っても紫苑しおんちゃんも気をつけるんだよ。もちろん、きみ――獏くんもね」


 瞳を細めて、九尾さんが獏さんへと視線を投じる。

 けれど、獏さんはなにも言葉を返さなかった。腕を組んだまま顔を背けたまま。ただ、一瞬の間に細長い尻尾がぶわりとふくらんだ。




 * * *




 コンビニで少し話し込んでから、わたしたちはバスに乗った。


 雪火の家からお店や病院が集中している町中まではすごく遠いの。徒歩ではとてもじゃないけど移動できない。だから大抵の場合、わたしや雪火せっかのような地元の学生たちの移動手段は原付バイクかバス、もしくは親による車の送迎だ。

 事前にバス停で時間を確認しておいてよかった。一時間に一本あるかないかっていうくらい、バスの本数はとても少ないの。


 車内で二十分くらい揺られてから、バスを降りる。そこから十分と少しくらい歩いたところにわたしの家はある。


「ええと、たしかこのあたりなんだけどなあ」


 雪火せっかたちにはリビングルームで待ってもらって、わたしは自分の部屋にある本棚をあさっていた。


 獏さんのからだの中にたまっている邪気を浄化するため、逃げ続けていたピアノを弾く。

 そう意気込んだはいいものの、やっぱり楽譜は必要だった。

 夢の中みたいに、まさかいきなりキラキラ星を弾けるわけがない。あの曲は大好きなんだけど、難易度が高いんだよね。リハビリがてらに弾くには向いていない。というか、絶対にミスする自信がある。

 だから比較的易しい曲を選ぼうと思ったんだけど、楽譜関係はぜんぶクローゼットの中にしまい込んでしまっていたから、取り出すのが大変だった。


「あった! ……で、でもっ、重い!」


 どうして本類をぜんぶ段ボールにしまってあるんだろう。いや、しまい込んだのはわたしなんだけどね。

 両手で抱えてもずしりと重い。腕がぷるぷるしてきちゃった。三歳の頃から使っていたテキストも入っているからかなりの量。重くて当たり前だ。


 腰を落として、ぐぐぐと腕に力を入れる。持ち上げる……のは、やっぱりキケンかな。一度、床に下ろしたほうが――。


「いつまで探しものやってんだよ」

「きゃああああああっ」


 ずどんと嫌な音を立てて、重い段ボール箱が落ちた。

 足の上に落ちなかったのがさいわいだった。落ちてたら絶対怪我してた。


「ちょっ、おま……っ、あぶねえだろ!?」

「だ、だって、びっくりしたんだもん! なんで部屋にいるの!?」

紫苑しおんがなかなか戻ってこねえから様子見に来たんだよ。つーか、部屋に入ったのは二度目だし。今さらじゃん」

「それは、そうだけど……」


 たしかにそうなんだけど!

 でも、男の人に部屋に入られるのは、ちょっと、抵抗があるっていうか……!

 雪火せっかだってわたしの部屋に入ったことないもの。獏さんは人じゃないから、この感覚わかんないのかな。


雪火せっかに聞いたんだけど、おまえ、人間とあやかしのハーフなんだってな」


 ガムテープをはがして箱の中身を物色してると、獏さんが隣にきて話しかけてきた。

 もしかして病院に行ってる間に、雪火が話してくれたのかな。


「うん、そうなの。でもわたしの身体はあくまで人間のものなんだって。そう、お父さんが言ってた」

「ふぅん。フツーの人間なのに、あやかしの力を受け継いだなんて、お前も大変だな。苦労も多かっただろ」

「えっ」


 ページをめくっていた手がおもわずピタリと止まる。

 そんなわたしの異変には気付いていないのか、獏さんまで楽譜の本をあさってパラパラと中身を見ていた。その藍色の目はわたしに向いていない。


 まさか、あやかしの獏さんにいたわってもらえるなんて、思ってもみなかった。

 あやかしの力をもって大変だな、なんて。九尾さんにも言われたことないのに。


 獏だから? 今までたくさんの人たちの夢を食べてきたせいなのかな。わたしたち人間の感覚が少しはわかるんだろうか。

 言葉はぶっきらぼうなのに、気遣ってくれるなんて人間みたい。


 どうして獏さんは、わたしに優しくしてくれるんだろう。


「ねえ、獏さん」

「ん?」

「獏さんはどうして、こんなに良くしてくれるの?」


 口にしてすぐ後悔した。頭で考えるよりも早く、声に出しちゃった。


 藍色の瞳が動く。

 墨色の三角耳をピンと張って、獏さんは目を丸くしてわたしを見ていた。

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