[1-5]あやかしの契約

ばくに取りかれちゃってるよ」


 衝撃的な雪火せっかの言葉にわたしの思考は完全にフリーズした。

 え。どういうこと。あやかしに取りかれてる? わたしが?


「ど、どうしよう、雪火せっか!?」

「落ち着いて。あやかしに憑かれてもどうにかなったりしないから。僕だって九尾きゅうびに取りかれてるんだし」

「そうなの!?」


 どさくさに紛れて、さらに驚愕きょうがくの事実を告白される。

 九尾さんって雪火せっかに取り憑いてたの!? お父さんみたいにいつも座卓でお茶を飲んでたりするから、てっきり居候してるのかと思ってた。


 九尾さんはにこにこ笑ってるだけでなにも言わない。


 そんな時。ふいに大きなため息が聞こえてきた。


「なにを今更。お前はおれのもんだって言っただろ。お前だって同意しただろうが」


 すっかり座布団の上であぐらをかいてくつろいでいた獏さんが、胡乱げな目でわたしを見た。墨色の片耳を少し下がり、床についた長い尻尾がぱたりと動いている。


「で、でもっ、あれは同意したわけじゃなくて。ただ聞き返しただけっていうか……。九尾さんもなんとか言ってよ」

「うん? 雪火せっかは私のものだよ?」


 だめだこりゃ。

 そもそも九尾さんの意見を求めたのが間違いだったのかもしれない。

 あやかしさんたちって、人間に取りくとみんなこういう思考になってしまうのかしら。


「九尾も獏さんも話を脱線させないでね。順を追って話すと、紫苑しおんが倒れた直後に獏さんがすぐに起き上がって夢の中に入り込んでしまったんだよ」


 雪火せっかが穏やかな笑みを浮かべて、そう説明してくれた。

 治療を受けたから動けたのかな。元気になったのはよかったけど。


「わたしの夢に?」

「うん、そう。たぶん悪い夢を見ていたんだろうね。九尾の力を分け与えていたし食事も無事済ませられたことで、本来の姿に戻れたらしいんだ。そこで、九尾が気付いた。人型になると、獏さんの翼がなくなっているって」

「つばさ?」


 そういえば、今朝。目の前で獏さんの翼がとけてなくなったような気がする。

 夢で見た獏さんにはちゃんと翼はあったけど、今目の前にいる彼の背中にはやっぱり翼はない。


「獏は夢を渡る翼を持っているんだけど、人間と契約すると翼は相手の身体の中へ取り込まれてしまうんだよ」


 わかりやすい言葉で九尾さんが補足してくれた。ちゃんと話してくれるのなら最初から話して欲しかったな。

 って、それどころじゃない。

 九尾さんの言葉が事実なら、獏さんに取り憑かれている状態は本当なんだわ。


「ど、どうしよう! あやかしに取り憑かれたなんて、お父さんとお母さんになんて言ったらいいの」


 身内にあやかしはいるけれど、取りかれた場合はどういう影響が身体に出てくるのか聞いたことがない。

 お父さんもお母さんも、今この町にはいない。二人とも海外でお医者さまのお仕事をしている。連絡を取れなくはないけれど手段は限られてるし、なにより心配をかけてしまう。


「それにしても、白いからだの獏なんて珍しいね」


 楽しそうだね、九尾さん。わたしの主張は無視スルーなの?


「そのなりじゃ退魔師にはもちろんあやかし専門の狩人ハンターにだって狙われただろうに。もしかして怪我をしていたのはそのせいなのかな」

「うるさい」


 笑顔を崩さない九尾さんに対して獏さんは穏やかじゃなかった。鋭い瞳できつく睨んでいる。


 あやかし専門の狩人なんて初めて聞いたわ。退魔師が存在するっていうのは聞いたことがあるけれど。

 否定しないところを見ると図星なのかもしれない。


「絡まないの、九尾。たしかに怪我はしていたけど、行き倒れていたのは飢えていたからだよ。獏さん、力が尽きるほどどうして夢を食べていなかったの? 悪夢にしろ良い夢にしろ、夢そのものを食べたって僕たち人間には害がないはずだよね?」


 雪火せっかが薬屋さんモードに戻ってる。

 獏さんはつり目で見た印象はきつそうな男の人なんだけど、雪火せっかは動じない。長いこと九尾さんといるせいであやかしには慣れっこなんだよね。

 率直に尋ねられて、獏さんはすぐに答えなかった。

 藍色の瞳をさまよわせて、ついには足もとの畳へと視線を落としてしまう。


「それは……」


 なにか言えない事情があるんだろうか。

 わたしの夢に入り込んで、過去の傷を癒やしてくれた獏さん。たぶん、そんなに悪いあやかしじゃないと思う。

 取りかれた今、あまり変化は感じない。むしろ、前よりも身体が軽くなってる気がする。悪夢を食べてもらえたからなのかな。

 雪火せっかの言うように夢を食べる行為そのものはわたしたち人間に害がないと思うんだけど、本当のところはどうなのだろう。


 獏さんはだんまりを続けている。

 助け船を出してくれたのは、やっぱり頼りになる九尾さんだった。


雪火せっか、どうやらこの子は悪いものばかり食べてきたようだよ。身体の中におりが蓄積している。その証拠に耳のあたりから邪気が浸食しているだろう?」


 九尾さんの長い指が、バクさんの三角耳を示す。

 ずっと違和感を感じていた。夢の中では真っ白だった耳が、現実世界では墨色になっている。どうしてなんだろうって不思議だった。

 やっぱり耳が黒いのには理由があったんだわ。


「悪いもの、か。さっき紫苑しおんの悪夢も食べたばっかりだし、なんとか浄化させて取り除きたいところだけど……どうしようかな。さすがに僕の薬でも邪気のおりまでは取り除けないし」


 腕を組んで、雪火せっかは真剣な顔で考え始める。

 彼は物心がついた時からの友達だ。わたしがもつ不思議な力のことは知っているし、わたしがあやかしが苦手になった理由も知っている。

 だから優しい雪火せっかはなにも言わない。無理強いしたりもしない。


 だからわたしが、ちゃんと自分から言わなくちゃ。


「わたしが浄化する」

「え?」


 雪火せっかの黒い瞳が丸くなる。

 聞き返す彼をまっすぐ見て、わたしは胸もとに手をそえ、もう一度言った。


「わたし、獏さんのためにピアノを弾くわ」


 獏さんを見ると、彼も藍色の瞳を見開いて固まっていた。その彼にわたしは強く頷いてみせる。


 きっと、大丈夫。もうこわくない。

 今度はわたしが獏さんを助ける番だわ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る