プロローグ5 そして二人は出会う

 鼓膜をつんざくようなその轟音に無理矢理意識を現実に戻され、反射的に身をかがめる。

 視線をそちらに向けると、薄暗いオフィス内に、紅く燃え盛る一帯があった。

 追っ手も自分も、誰もがそちらを注視せざるを得ない状況となっている。


(なんで!? どうして……一体何が!?)


 敵さん連中も混乱の最中さなかにあるのを見るに、どうやら奴らの仕業でもないことが窺い知れる。

 微塵も状況が飲み込めなかった。

 あとはもう殺されるだけだと思っていた。そう覚悟も決めていた。

 だというのに、そんな状況は通り過ぎていて、変化している。

 ここにいる誰にも理解できないものへと。


「良かった。まだ生きてたみたいだね」


 そんな声が少女の傍らで聞こえたのは、爆発のせいでオフィス内が恐慌状態に陥って数十秒が過ぎた頃だった。

 明らかに殺伐とした世界とはえんゆかりもなさそうな、緊張感に欠けた声。


 一体誰だろう。こんな状況で、こんな状況に横槍を入れてくる怖いもの知らずは。

 あり得ないと思う。

 なぜなら少女は、十年前のあの日からずっと独りで生き続けてきたのだから。


 周りには敵しかいなかった。

 生きていて良かった、なんて。

 こんな世界で、そんな言葉を自分に向けてくれる人間なんているわけがない。

 まさかとは思いつつも、少女はゆっくりと、その視線を声がしたほうへと向ける。

 そこにはつい先ほど、少女がこちら側へと巻き込んでしまった小柄な少年がいた。


「さ、逃げよっか」


 なんて、その少年はこともなげにそう言うと、少女が異論を唱える隙も与えずに制服の内側から何かを取り出す。少年の手にちょうどすっぽり収まる手頃なサイズの、ごつごつとした無骨な金属製の何か。

 その端っこに指を引っ掛けるためのような輪っかがついているのが印象的なそれは――。


(手榴弾!?)


 それも一つや二つではない。

 両手に三つずつ、計六つ。

 どうして一介の高校生らしき少年が、そんなものを、と思う。

 しかしそれなら、先ほどの爆発にも得心がいく。

 この少年がここに放ったのだろう。

 そして爆発のどさくさに紛れて少女の元まで来た。


 だがしかし、この少年にもプロの追っ手がついていたはずだ。

 目撃者を葬ることを目的とした追っ手が。

 一体どうやってその艱難かんなんを排してここまで来たというのか。


 その疑問を向ける前に、少年は手に持っていた手榴弾を周囲に放り投げてしまった。

 無造作に、大雑把に……適当に。

 けれど一ヶ所だけ、逃げ道となる北側の窓へのルートだけは残して。

 起爆するまでの間も惜しいとばかりに少年は駆け出した。


 しっかりと、少女の手を握って。

 半ば引き摺られるようにその後を追いながらも、その手には既に忘却の彼方へと消え去ったはずの人の暖かみ。

 ……と、同時に、嫌な予感がじわじわと胸中に湧き出してくるのを感じていた。


(まさか――)


「飛び降りるよ」


 至って平坦な声音で少年が言った。


「うそっ! ここ三階だよ!」

「知ってた。でも他に逃げ道ないしさ」


(自分で塞いだんじゃん!)


 と心中で突っ込む少女だが、それが口に出ることはない。

 少年自身がばら蒔いたあの危険物を差し引いても、敵が散っているこの空間に逃げ場は限られていた。

 しかしそれでも窓から逃げるには諸々の問題が残っている。


 一つはつい今しがた少年に指摘した通り、ここが三階であるという点。

 さらには外に繋がる窓にはスナイパーの視線が方々ほうぼうから張り付いているという問題。

 このオフィスに身を滑り込ませたときからそれについては懸念していたのだが、いざ窓際に迫ってみると――


(狙撃がない……? わたしの思い過ごしだった……?)


 直後、オフィスの至るところで爆発が起こり始める。

 そしてほぼ同時に少年が、ガラスごと窓を突き破ってその外へと身を投げ出した。

 あっさりと、微塵みじん躊躇ちゅうちょもなく、三階から。


(あーっ! もうっ!)


 色々と不可解な点はあるが……いや、あるからこそ半ば自棄やけになって少女もその後に続く。続かざるを得ない。なかなか強い力で手を引かれているので。


 だが少女の体力は一週間に及ぶリアル鬼ごっこのせいでとっくに限界を通り越し、立っているのも奇跡という状態。立っているも何も現在は空中に身を投げ出しているのだが、投げ出したからにはいつか着地するときがくる。強制的に。


 万全の状態ならまだしも、今の自分が三階から飛び降りて無事に着地できる気がしない。既に筋肉も骨も皮も内蔵も満身創痍。着地した瞬間、身体のどこかがグシャッという、ちょっと聞きたくない音を発する気がする。


 だが空中ここで驚いたことに。

 少年は地面へと落下する途中で少女の手を引いてその身体を引き寄せ、その膝裏と肩の辺りを抱き抱えた。

 いわゆるお姫様抱っこだった。

 記憶にあるかぎり、少女にとって生まれて初めての体験。

 気恥ずかしさで頬た火照ほてるのを感じるも、その脳裏には極めて現実的な結果が明確なビジョンとして浮かぶ。


「無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!」


(さすがに二人分の体重をその足に受け止めて無事に済むわけ……っ!)


 思っている間にその瞬間が来る。

 少年は膝の屈伸で着地の衝撃を上手く緩和し、少女にすらも何の衝撃も与えず、これ以上ないくらい見事に着地して見せた。


(うそ……何なの、この子……)


 少女は疑いの眼でその現実を前にする。

 くたびれたような廃墟のようなビルから文字通り飛び出し、光源のある場所で改めて観察してみれば、そこにあったのは華奢とは言えないまでも年頃の日本人男子高校生としてもやや小柄な体格。


 スポーツを少しも齧っていないような若干の頼りなさ、身長も自分と同じくらいか、下手したら少し下かもしれないと思わされるような、成長途上と思わざるを得ない印象の少年。

 そうでなくとも、三階から人間一人を抱えて難なく着地するなんて、常人の身体能力ではあり得ない。

 そう、


(この子、まさか……)


 自然、そんな疑念が少女の中に渦巻き始める。

 こんな離れ業を成し得るのは同類以外にありえない。

 つまり――


「さぁ、もうひと頑張りだよ」


 しかし少年はそんな少女の疑念になど気付く素振りもなく、少女の身体を下ろしてにべもなく淡々と言い放つ。

 ……もうひと頑張り、なんて、簡単に言ってくれる。


 けれど、とっくに限界なんて通り越していたはずの少女の身体は、気付けばほんの少しだけ軽くなっていて、前を行く小柄な少年の後に思いのほかついていくことができた。

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