第二章 カリストに迫る影

第9話 魔物討伐と謎の矢

 わたしたちは百騎ばかりで馬を疾駆させ、翌日には領境でもある北の国境の近くに到着した。マーンツ王国との国境をなす雄大なカーシズ川が見渡せる丘陵地帯だ。


 川沿いの断崖の上には、いかにも堅固そうな砦が建っている。ツチグロトカゲは見張りの目をかいくぐってリュピテールに侵入したのだ。

 一般的なリュピテール人は、強力な魔物が国内に入れるとは思っていないので、ツチグロトカゲを見逃したからといって、見張りの兵を責めることはできない。


 現地を守る兵からの情報に基づき、わたしたちは部隊を三つに分けて森の中に分け入っていく。


 こうしていても、毒と重症を負った村人のことは気にかかる。

 当初、イリヤさんは数名の供をつけて、わたしだけ村に向かわせるということも考えたようだ。けれど、戦闘中に誰かが毒や大怪我を負った場合を考えて、わたしを同行させることを選んだ。


 それに、村の神官が怪我人の治療に当たってくれているそうなので、まずはいつ森から出てくるか分からないツチグロトカゲの討伐を優先し、終わったらすぐに村に向かうことになったのだ。

 これ以上、被害を拡大させないためとはいえ、イリヤさんにとって苦渋の決断だったろう。


 基本的に魔力は人族ひとぞくに宿る。人族の血を引くイリヤさんや一部の騎士たちも治癒魔法は使える。そうはいっても、ひと度戦闘になれば、彼らは攻撃に専念しなければならない。


 ちなみに、イリヤさんは獣族けものぞくの恩寵も持っている。魔法に苦戦していた頃は、魔法も恩寵も使えるイリヤさんを羨ましく思ったものだ。今ではひたすら彼が頼もしい。


 隊を構成しているのは、指揮を執るイリヤさんをはじめとして、エヴァリストさんや人族の騎士たち、元パドキアラ団員であり、今は給金をもらってカリスト領の私兵を務めている獣族の面々、それにわたしだ。

 みなにはあらかじめ光属性の防御魔法をかけてある。わたしの使う魔法は長時間持つので、さしあたり安心だ。


 こうして眺めていると、人族の騎士たちと獣族の兵たちの間には、イリヤさんへの態度にかなりの温度差があるように感じる。

 獣族の兵たちのイリヤさんへの信頼と忠誠は揺るぎないものだ。対して、人族の騎士たちは口調や態度こそ恭しいものの、「さて、王子さまのお手並み拝見といきますか」といった感じなのだ。


 それはイリヤさんも同じだろう。騎士たちの戦いぶりは普段の訓練や模擬試合でしか目にしていないのだから。


 森の中は魔獣が入っていっただけあって、人の手が加えられておらず、鬱蒼としていた。馬では足元がおぼつかないので、みな徒歩だ。

 面白いのは、案内役の現地の兵士よりも獣族の兵たちのほうがよほど森に順応していることだ。耳を動かし、風や地面のにおいを嗅ぎながら、注意深く進んでいく。


 やがて、黒い布鎧姿も凛々しいイリヤさんが足を止めた。耳を動かしながら、切れ長の目をさらに鋭くする。


「……いるな」


 獣族の兵が小声で応える。


「はい、団長……いや、殿下。南西の方角にいやがりますね」


「逃げられないように、ゆっくり進むぞ」


 わたしたちは緊張をみなぎらせながら頷き、できるだけ気配を消して歩き始めた。ツチグロトカゲは音には鈍感な分、視覚が発達しているばかりか、気配にも敏感らしい。


 わたしはイリヤさんの隣ではなく、エヴァリストさんと騎士たちに守られながら後方にいる。そのほうが安全だとイリヤさんが判断したからだ。それに、彼や獣族の兵たちのツチグロトカゲ追跡の邪魔をしないためでもある。


 イリヤさんが再び足を止めた。同時に獣族の兵たちの足も止まる。

 わたしも立ち止まった。大きな木々が邪魔をして、兵たちのうしろ姿しか見えない。


「いくぞ」


 イリヤさんが大きくもない声で号令をかけると、獣族の兵たちがいっせいに駆け出す。


「大聖女さま、お気をつけください」


 エヴァリストさんがわたしを広い背に庇いつつ走り出す。騎士たちに囲まれながらわたしも走る。今はいつものドレス姿ではなく、ズボンをはき、革鎧を身につけた軽装のため足取りも軽い。


 木々がまばらな開けた場所に、それ・・はいた。


 黒に近い褐色の鱗に覆われ、虹色を帯びた、牛をさらに大きくしたような巨体。無数の棘のついた背びれと尻尾。ぎょろりとした橙色の目に浮かび上がる縦長の瞳孔。ちろちろと炎のように伸びる長い舌。

 図鑑でしか見たことがなかったツチグロトカゲの姿がそこにはあった。


 剣を抜き放ちながら俊足でツチグロトカゲとの距離を詰めたイリヤさんが斬りかかると、鮮血が飛び散り、魔獣の長い舌が切断された。

 ツチグロトカゲが痛みと怒りの声なき咆哮を上げる。


 かわいそうだけれど、ツチグロトカゲはその長い舌を巻きつけて獲物を捕食するし、確か尻尾だけじゃなく、舌も再生できるんだよね。厄介な舌が再生されるまでに、イリヤさんは勝負を決めるつもりだろう。


 しかし、主に精霊を召喚し、召喚した者を服従させる恩寵を持つイリヤさんにとって、ツチグロトカゲに魔法が効かないのは痛い。騎士たちの魔法も効果がない以上、頼みとなるのは獣族の兵たちの恩寵だ。


 ツチグロトカゲの怒りの反撃を避けるためにイリヤさんが飛びすさると同時に、魔獣を取り囲んだ兵たちが武器で波状攻撃をかける。でも、ツチグロトカゲは身体が粘液に覆われているから刃が通りにくく、攻撃は効いていない。


 突如、兵の一人が幾人にも分かれる。分身の恩寵だ。初めて見た。目のいいツチグロトカゲを惑わすよい策だ。

 彼が分身でツチグロトカゲを撹乱する間に、イリヤさんたちは攻撃を仕掛けていく。が、ツチグロトカゲを翻弄しているように見えた兵が、鋭い棘の生えた尻尾に殴打されて吹っ飛ぶ。


 ありえないほどの視覚の鋭敏さ。これが、ツチグロトカゲの異能か。

 大樹にぶつかった兵に駆け寄るわたしに、戦いながらイリヤさんが叫ぶ。


「オデット、頼む!」


「はい!」


 革鎧の下から覗く出血した裂傷の上に手をかざし、魔力を集中させる。魔法の修行により、光属性の治癒魔法は無詠唱で使えるようになったので、すぐに患部が光に包まれる。傷が塞がっていく。


「大聖女さま!」


 声に振り向くと、エヴァリストさんが走ってくる。彼はわたしを守るように立ち止まると、抜き身の剣を構えた。


「土の神エーダよ、御身のお力により、我が剣を包みたまえ!」


 みるみるうちに、エヴァリストさんの剣が岩に覆われていく。

 斬り立てられ、暴れ狂うツチグロトカゲの尻尾がしなり、こちらに飛んできた。エヴァリストさんは岩をまとった剣で尻尾を跳ね返す。


 なるほど。相手に魔法が効かなくても、こういう使い方もあるのか。ツチグロトカゲの身体に刃は通りにくいから、尻尾は斬り捨てるよりも弾いたほうがよいのだ。

 剣を振るうイリヤさんがこちらを注視した。


「エヴァリスト卿! 土属性の土槍でも、水属性の氷柱でもいい! 魔法剣で奴の目を狙えるか!」


 そうか。視覚の異能を持つツチグロトカゲの弱点は目なのだ。

 エヴァリストさんは答えない。背中を向けているからその表情は見えないが、何かを考え込んでいるようだ。


「エヴァリスト卿!」


 わたしが呼びかけると、エヴァリストさんはびくりと肩を震わせ振り返る。わたしは必死に言葉を紡いだ。


「みなを助けてください! このままでは消耗戦になって、退却するしかなくなります!」


「大聖女さま……」


 エヴァリストさんが呟いたその瞬間。音も立てずに飛んできた一本の矢が、吸い込まれるようにツチグロトカゲの右目を貫いた。ツチグロトカゲが痛みに耐えかねて暴れ狂う。

 その様を見たエヴァリストさんは何かを決心したように正面を向いた。ツチグロトカゲに向けて走り出す。


「土の神エーダよ、御身のお力により、我が剣となりたまえ!」


 エヴァリストさんの剣に鋭い岩が生えていき、先端が鋭さを増した。彼が剣を振りかぶり、投げつけようとする。にもかかわらず、ツチグロトカゲは暴れ回っている。左目を狙うのは困難だ。


 その時、イリヤさんが魔導具でもある剣を垂直に構え、魔法陣を出現させた。炎が描かれた魔法陣から火の精霊サラマンドルが現れ、ツチグロトカゲを包み込む。

 痛手は与えられないまでも、サラマンドルの持つ熱はツチグロトカゲを怯ませているようだ。魔獣の動きが止まった。


 その隙を見逃さず、エヴァリストさんが岩に覆われた剣をツチグロトカゲ目がけて投げつける。剣は唸りを上げてツチグロトカゲの左目に突き刺さる。

 両目を潰されたツチグロトカゲが痛みと混乱から四肢と尻尾を振り回す。イリヤさんはその動きをかいくぐり、ツチグロトカゲの頸部に下から剣を突き立てた。苦戦しながらも急所を探り当てていたのだろう。


 ツチグロトカゲの巨体がどう、と音を立てて崩れ落ちる。

 手首で汗を拭いながら、みなに労いの言葉をかけたあとで、イリヤさんが尋ねた。


「あの矢は誰が射た?」


「俺たちじゃないです」


 獣族の兵たちが首を横に振り、騎士たちも「自分たちではございません」と話す。エヴァリストさんも「存じ上げません」と言う。

 わたしは回復した兵にしばらく休んでいるように告げると、イリヤさんのもとに駆け寄る。


「こちらからは、どこからともなく飛んできたように見えました」


「そうか。あの矢の勢い……相当な膂力りょりょくがないと無理だろうな」


 そう口にしたイリヤさんが、何かに気づいたようにはっと目をみはる。しばしの間を置いて、彼は何事もなかったかのように「負傷した者たちを癒やしてやって欲しい」とわたしに告げた。そのあとで、エヴァリストさんに向き直る。


「エヴァリスト卿、さっきは助かった。礼を言う」


 エヴァリストさんは驚いたように「いえ……」とだけ答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る