【エピローグあるいはプロローグ】

◇《月狼の王》と死妖姫


「――――おそい」

「ごめん」


 車両を手配して待っていたアリシアにそんな第一声でお叱りを受けたのち、僕たちは〈終局都市ターミナル〉の最東端へ向かった。

 そこは三方を黒壁バリケードに囲まれた〈終局都市〉で唯一、地平線まで見通せる場所。

 正確には水平線だから――海岸線だ。


「うわ……すごい景色」


 真っ白な砂浜とまばゆいばかりの海原が、包み込まれるようなオレンジ色の光に染め上げられていた。一日のうちで十数分しか見られないマジックアワーと呼ばれる時間帯だ。

 幻想的な光景を前に、潮風の匂いを吸い込みながら砂浜に降り立つ。

 そして同じように降り立ったアリシアの格好を見て僕は驚いた。

 日傘をさしてはいるけれど、足は何も履いていない。つまり、裸足はだしだ。


「アリシア、裸足で大丈夫なの?」


 死妖の皮膚は日光だけでなく一定以上の塩分濃度の水分、つまり海水にものすごく弱い。

 肌が弱い人なんて、少し塩水をかけられただけで赤くれ上がるそうだ。

 それでもアリシアは平然と砂浜を歩き出す。


「この子たちを見送るんだもの。これくらいなんてことないわ」


 そう言ってアリシアが示した手元には白い袋が握られている。その中には更科フウリの灰が入っていた。

 そして、僕の手元の袋には伊丹さんの灰が入っている。

〈終局都市〉では灰と化した死妖はその灰を海にき、自然にかえすのだという。なかなかに粋なおくり方だと思う。

 冷たい土の中に埋めてしまうより、よっぽど良い。

 更科の袋を持ったアリシアが一足先に、寄せては返す波の中に入っていく。

 波が足に触れた瞬間、わずかに顔をしかめたけれど、それだけでずんずんと歩いていき、


「ちょっと行き過ぎじゃない⁉︎ もう膝下くらいまで浸かってるよ⁉︎」

「……確かにそうかも」


 素直に戻ってきてくれたことに安堵のため息を吐きつつ、改めて二人で葬送の用意をする。灰を握って、互いを見合い、タイミングを合わせると広大な海原へ向かって同時に灰を投げた。

 舞い上がったふたりの灰は空中で混じり合い、なぎ直前の穏やかな陸風によってゆったりと空へ散っていく。

 僕たちは袋の中の灰が無くなるまで、それを繰り返した。

 終わるまで互いに一言も喋らず、彼女たちに寄り添うのはさざ波の音だけだった。

 全ての灰を撒き終わり、空の袋を縛り終えたところで、それまでしゃがんで波をぼんやりと見つめていたアリシアがポツリと言った。


「私、決めたわ」

「な、何を?」

「お父さんに会いにいく」


 アリシアはすっくと立ち上がり、海の向こう――どこか果てに手を伸ばしながら言った。


「え? それって……」

「〈カルマ・ドグマ〉は私を狙っているんでしょう? このまま放っておいてもどうせまたロクでもないことを仕掛けてくるんだろうから、こっちから会いに行ってやるってこと。あったら開口一番に殺害宣言して、邂逅かいこう一番に脳天かち割ってやるわ」

「殺意みなぎってるところ悪いんだけど、会いにいくってそんなの現実的に可能なの?」


 ちょっとその辺行ってくる、と言うようなノリと勢いで言っているけれど、その辺にいくのとは訳が違うと思う――そんな僕の疑問に、アリシアは一言で答えた。


「遠征」

「えんせい?」

「そう。年に一度、〈死妖狩り〉と〈守り人〉合同の精鋭だけで構成された遠征部隊が組まれて、壁の外に長期任務をしにいくの。それに選ばれればいいのよ」


 言って、アリシアは伸ばした手を天頂に向かってかざした。


「そのためにも、やっぱりまずはトップを目指さないと」

「……すごいな、アリシアは。もう前を見すえてるなんて」

「後ろを向きようがないだけよ。振り返ったって私には何もないもの」


 笑えない冗談ジョークだった。

 肩をすくめながら、アリシアが「そういえば」と僕に視線を向けてくる。


「イザヤはマザーと何を話していたの?」

「……ああ、学院の壁に描いた血文字ラクガキが僕だってバレて怒られてた」

「何してるのよ……」


 頭痛をこらえるようにこめかみを抑えるアリシアに僕はへらへらと笑みを浮かべながら、心は痛みを訴えていた。だって、教えられるわけがない。こんな残酷すぎる真実を教えるくらいなら、僕は一生この嘘を抱えたまま生きていく。

 死ぬまで嘘つき狼で構わない。

 この嘘は赤ずきんを喰らうためではなく、守るためのもの。

 いつか嘘がバレて相応の報いを受けることになったとしても、それならそれでいい。

 そんな思いを嘘と共に抱きながら、僕は水平線を見やり、口を開く。


「遠征。僕もアリシアと一緒に行くよ」

「なに当然のこと言ってるのよ。今さら抜けるなんて許さないんだから」


 アリシアは不敵に笑い、それから年相応の少女のような満点の笑みをこぼした。


「……でも、そういうことなら新しいメンバー探さなくちゃね」

「だな」


 そうして、二人で水平線の向こうを見やる。

 それは太陽が顔を出して〈終局都市ターミナル〉を照らし出した瞬間だった。


 ――たとえ。

 たとえ『神のみぞ知る』という言葉が本当にあったとして。

 神のいなくなったこの世界。

 二人ぼくらの出会いがいったい何をもたらし、どんな結末へと至るのか、

 それを知る者は誰一人としていないだろう。


 ――――《月狼の王ライカンスロープ》と《死妖姫》の物語は、これから始まるのだから。

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『ライ』カンスロープと死妖姫 にのまえ あきら @allforone012

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