◇『嘘』と黒幕


「……は?」

「私はミステリ小説が好きで、昔は暇さえあればページをめくっていたんだ。特に好きだったのは探偵が己の推理を皆に説き明かすシーンでね。どのような論理でって犯人の妙なる犯行を暴くのか、もはやそれを知るために読んでいたと言っても過言ではない」


 困惑して言葉の出ない僕をさしおいて、学長はそのまま続ける。


「あまりにも好きだったもので、自分で考えたりもしたんだ。『こういう手口だったんじゃないか。いやこうかもしれない』という具合に。そうしていたら、ある時ふと気づいてしまったんだよ。『この小説、推理が二つ以上立てられる』――って」


 僕はヤケになりそうな気持ちを必死に抑えて言葉を返す。


「推理自体が二つ以上立てられることなんて別に不思議でもなんでもないでしょう。そこからさらに証拠を揃えて一つに絞っていくんですから」

「言い方が悪かったかな。『二通り以上の犯行が行える』んだよ、凶器を含めたすべての証拠が出揃った上でだ。それなのに探偵はさも難解な公式のたった一つの最適解を見つけたかのように己の推理を語っているんだよ」

「じゃあその小説が不出来だったんじゃないですか」

「実はその後も結構な割合で――というか九割九分九厘はそうだったかな。

 すべての状況と証拠が出揃った上で導き出される可能性が一つしかない作品に巡り会えたのは片手で数えるほどしかないんだ」

「そんな推理ができる読者も九割九分九厘いないんで問題ないと思いますよ」


 というかそんな作家殺しの読者は作者としては客にしたくないだろう。


「まあそうだろうね。それに小説はどこまで行っても物語だ。空から少女が落ちてきたり、初恋の君と十年ぶりに再会して結ばれるように、物語としての必然性が必要ということも理解している。むしろ一つの解しか導かれない方が現実的ではないだろう」


 けれど、と学長は前置きをして言う。


「その上で言おう。探偵は傲慢ごうまんだ。物語の外側から見れば二通り以上の犯行が行えることを導けるにも関わらず、犯人おまえの行った所業はこれだと決めつける。

 ああ、実に傲慢だ――そうは思わないかい、探偵くん?」


 僕が傲慢な探偵だと、そう言い切ってみせた学長はそのまま畳みかける。


「では探偵くんに真実を告げようか。まず、私が〈血の遺文事件〉の首謀者かどうか。

 答えはイエス。ワタシが《無貌の女》に全て指示して一連の事件を引き起こさせた」


「そしてもう一つ。ワタシが〈カルマ・ドグマ〉の一員であるという指摘について。

 これは残念ながらノーだ」


「けれど、キミの故郷を焼いたのはワタシだ。ワタシが己の意思でもって火を放った。

 ……以上がキミの問いに対するワタシの答えだ」



「――なん」


 立て続けに告げられた事実を僕は飲み込めなかった。

 ……いみがわからない。

 何もかもがぐちゃぐちゃで、わからなかった。


「もちろん、それにも理由がある。聞いてくれるかな?」


 学長の提案に、僕は無言で頷いた。

 説明してもらわなければ、僕は一生かかっても真実に辿り着けない確信がある。

 学長はもったいつけたような口調で、けれど淀みなく真実を語り出した。


「まず、キミの故郷を焼き払った理由についてだが――前提としてキミの故郷、正確に言えば出雲家の治める地域が普通の人里でないことはキミ自身が一番理解しているはずだ」

 

「出雲家は前・終末期から怪異に対する専門的な対応を生業としていた。

 いわゆる祓魔師ふつまし陰陽師おんみょうじ、と呼ばれるものだね」


「だから感染爆発パンデミックで増えた死妖に対しても然るべき対処を行えた。それゆえある程度以上の人を安全に匿えるだけの地域を確保できた」

 

「けれどそのうち、出雲家は守るばかりでなく攻勢に出始めた。

 それが『人をして死妖に対抗するための手段を得る』というものだ」


「そして出雲家が『人をして死妖に対抗するための手段』に選んだのは、

』だった」


「後天的な怪異の開発。それは人体改造、あるいは人体実験によって行われた。

 そして、このための人材を〈カルマ・ドグマ〉から提供してもらっていたんだ」


「しかしキミも知っての通り、奴らは筋金入りの【畜人派】。一滴触れただけで全身に巡っていく劇毒のような連中さ。出雲家の『人をして死妖に対抗するための手段を得る』という目的はいつの間にか歪められていき、『血を求める必要のない肉体を得る』という死妖のためのそれにすり替わっていたんだ」


「それでも結局やること自体は変わらない。出雲家の人々は融資をたんまり受けて研究に没頭した。そうした結果、ついに成果が出た」


「それは人をして死妖に勝るとも劣らない身体能力。

 およそ全ての毒物に絶対的な耐性を持つ頑丈さ。

 匂いだけで変装を看破する嗅覚。そして野を駆け回ったような獣の臭い」


 そこで言葉を止め、学長は微笑みと共に僕を見やって、言った。


「そうだろう? 出雲家唯一の成功例キャリアにして最高傑作マスターピース――――《月狼の王ライカンスロープ》」


 僕は沈黙したまま、否定しなかった。

 学長は冷めた紅茶で唇を湿らせ、なおも語る。


「ここまではほとんどキミも知っている与太話だったが、本題はここからだ。

 

 そんなの、情報を渡してくれた人がいるからに他ならない」


「――――それが、出雲サヨだ」


「彼女は【畜人派】最重要人物である久世アリシアとその母親の身柄を献上することで、自分が【親人派】であるという証明をしたんだ。それが二年前のこと」


「無論、奴らも黙っちゃいない。血眼になって奪い返そうとしてくるだろう――そこを逆手にとって、奴らの情報を引き出そう、という目的でワタシと出雲サヨは久世くんを半ばエサにするような作戦を考えた。それが――」


 学長の言葉を引き継ぐようにして、僕は呟く。

 

「――〈血の遺文事件〉」


 学長は鷹揚おうように、機嫌よく頷いた。


「大まかな構造を考えたのはワタシなのだけれど、彼女は犠牲を出すやり方を好まなくてね。なかなか意見が合わず始められなかったんだけど、戦場に出向く必要が生じていなくなったから、鬼の居ぬ間にワタシは作戦を開始した。それが半年前」


「さまざまな犠牲を出しつつ、成果が見え始めたところで、まるで出雲サヨの意趣返しかのようにキミが現れたのが、五日前」


「そして全てが終わり、キミに真実を披露しているのが、現在」


「以上が、いまキミに示せる限りの全てだよ」

 

 学長は残った紅茶を飲み干し、「要するに」と付け加える。

 

「裏切り者はワタシではなく、出雲サヨとキミだった、ってことさ。

 もっとも、キミは知らない間に裏切りの片棒を担がされ、盲信するように仕向けられていた哀れな被害者なのだけどね。恐ろしいよ」

 

「君が信じた姉は君が信じた家を裏切り、君のためとうそぶいて君を騙したんだ。

 ああ、なんて傲慢だろうね。なんて偽善だろうね」

 

 楽しげに、皮肉に、そして傲慢に。

 そんなことを口にする学長に、僕は待ったをかけた。


「それは違う。学長がそう思うのは、学長が姉さんを嫌いだからだ」

「おや。どうしてワタシが彼女を嫌いだと?」

「姉さんだけをフルネームで呼んでいる時点で別に隠すつもりもなかったでしょう」


 まあね、と微笑む学長。僕は己の手のひらを見やり、過去を思い出す。


「姉さんはよくこう言ってました。『人間らしく生きろ』って。

 正直、僕にはよくわからなかった。人間らしくってなんだ。人間として育てられなかった自分にどう生きろというんだ。そう思ってた。

 けど、こうも言っていた。

『人間には欲がある。何かをしたい、何かを得たいという原初の衝動が。わたし達はただそれを探せばいい』――って」


 そして姉さんの場合、『人間らしく生きた』結果が『最後の英雄』だったのだ。

 自分のやりたいこと、好きなことを見つけてそのために生きればいい、と。

 姉さんは僕にもそういう風に生きて欲しくて、道を示したのだ。


「で、キミはどうするのかな。キミの答え如何によっては、ワタシは統括事務総長として相応の権限を行使せねばならなくなるかもしれないよ?」


 学長は左手をひらひらと振り、脅しをかけてくる。

 僕はそれを横目に、彼女の言葉を思い出していた。

 

 ――――出雲さんは何かやってみたいことってありますか?


 唐突に聞かれて、結局出した答えはごまかしだった。

 だって、やってみたいことなんてあの時はなかった。

 言ってみればやりたいのは『生きること』であり、逆説的になるけれど、生きる理由を探すために生きていた。

 けれどいま、僕は答えを見つけた。


「僕はアリシアのために生きたい」


 これが、僕のまごうことなき衝動、欲求、『やってみたいこと』だった。

 学長は興味深そうな顔で眉根を上げる。


「それは恋心なのかな。それとも出雲サヨの入れ知恵か」

「わからないけど、少なくとも後者は違います。

 姉さんは僕の好きなように生きればいいと言ってくれましたし」

「そうか。――なら、好きにするといい」


 学長はあっけなく、言った。


「権限を行使したりはしないんですか」

「するわけないだろう。ワタシの最大の行動理念にして最小の活動願望は『人類がいつまでも健やかに存続すること』なんだ。何が悲しくてそれを遠ざけるようなことをしなくちゃいけない」

「はぁ……」

「そういうことだから、もう行きなさい。久世くんが呼んでいたはずだろう」

 なんだか追い出されるような形で部屋を出ることになってしまった。

 そうして部屋を出ようとした時、呼び止められた。

「ああっと、そうだ。最後に一つだけ」

「はい、なんでしょう」

「伊丹ミツキがいつから偽物になっていたと気づいていたんだい?」

「いつからって言われてもですよ」

 そう、最初から。何せ――

 

 姿

 

 だから僕はあの時、『伊丹さんっいいんだよね?』と前置いたのだ。

 けど、今にして思えばそんなことせず、あの場で彼女の魔臓アニマを貫いておくべきだった。

 いや――違う。

 そんなことをしたところで、犠牲者はいまとなんら変わらない。

 なら、さらにさかのぼってヴィーゲ前の交差点。

 僕は泣いていた少年を助けようとして、伊丹さんは死んだ。

 そこで気づく。

 ああ、なんだ。


「どうしようもないんじゃねえかよ……」


 嫌な事実、いわゆる“詰み”というやつに気づいてしまい、僕は打ちのめされたような感覚に陥りながら部屋を後にした。

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