【エピローグ】

◇終末った話


 統括事務総長室に、乾いた拍手の音が響く。

 僕は幅広のソファに座ったまま、目の前で拍手をし続ける学長と見つめあっていた。

 学長はパチパチと拍手を続けたまま、微笑の形を保った口を開く。


「そろそろ止めてくれないかな? もう手が痛くてたまらないんだ」


「『止めてくれないか』はこっちのセリフですよ。勝手に止めりゃいいじゃないですか。

 こんな時間に呼びつけておいてなんなんです。寂しくて気でも触れたんですか」

「おお、だんだん物言いに遠慮えんりょがなくなってきたね。その調子だよ。

 ワタシはそれくらい生意気な子どもの方が好きさ」

「さいですか」


 いくら貶しても全く折れる気配を見せないその精神の頑丈さに対して賞賛代わりの本気の冷めた視線を送ってやれば、学長は肩をすくめて本題に入った。


「いやなに、キミがあまりに元気なさそうだからケアを、と思ってね」

「……さいですか」


 視線を大窓の方に向ければ、空はもうすぐ夜が明けようとしていて、赤い雲にまっすぐなほど白い光が当たり始めていた。



 昨夜の名もなき戦いから一日が経った。

《無貌のジェーン・ドゥ》の消息は不明、つまり、まんまと逃げられた。アリシアは無事で、連続失踪事件の被害者も蘇生処置の行われた五名は無事だった。だから、犠牲になったのはグール化された女性と更科フウリ、そして伊丹さんの三人。

 それが、今回の連続失踪およびテロ事件――通称〈血の遺文事件〉の結末だった。

 学長は優雅に紅茶を口に含んでから、穏やかな声で語る。


「たとえ誰にも褒められないような所業だったとしても、誰か一人くらいは認めてよしよししてあげなければいけないだろう?」

「僕は何もしてませんよ。何もできなかった」

「いいや、そんなことはない。

 だって、学院の壁に描かれた血文字ラクガキ、あれ君がやったんだろう?」

「…………」


 僕は答えなかった。そんなの、答えるまでもないことだった。学院の監視カメラを見れば、一発でわかることだ。


「久世くんの溜め込んでいた合成血液を用い、夜なべして血文字を描き、犯人に挑発をして行動を促した。結果、《無貌の女》は見事に次の日に正体を表した――素晴らしい」


 再び――今度はわずかばかりの――拍手をして、学長は僕に微笑んだ。


「今回の一連の騒動は間違いなくキミの手で解決されたんだ。それは誇っていい」

 たとえそうだとしても、事件の解決と感情の解消は全くの別物だった。

 だから、この感情を解消するために、僕は視線を前へと据えた。


「ケアしてくれるっていうなら、僕からも一つ尋ねていいですか」

 学長はカップを片手にこころよく頷いてくれた。

「いいとも。言ってみなさい」



「――なんで〈血の遺文事件〉を起こしたんですか?」



 わずかばかり、学長の瞳がすがめられる。


「……どういうことかな」

「聞こえなかったですか? なら何度でも言います。あなたが今回の一連の騒動の首謀者だと、そう言ってるんだ。アイラ・ザザ・クロウリー」


 僕の糾弾に、学長は表情を少しも変えず、あくまで穏やかにカップを置いた。


「その告発にワタシが肯定するか否かの前に、どうしてそう思ったのかを聞かせてくれるかな。ワタシはそれがとても気になっている」

「長くなるけどいいですか」

「もちろんだとも。嫌疑けんぎをかけられているワタシには全て聞き入れる義務がある。

 焦らなくていいから、ゆっくり少しずつ話しなさい」


 この後に及んで指導者然とした笑みを見せる学長に、僕はめまいのようなモノを覚えながら、語り出す。


「まず〈血の遺文事件〉は、必ずアリシアのいる場所で起きた。これは〈カルマ・ドグマ〉の狙いがアリシアだったからで、それ自体は不自然なことじゃない」


「不自然なのは、ということ。これを僕は最初、《無貌の女ジェーン・ドゥ》が伊丹さんに変装したからその場所を知らされているのだと思っていた」


「けれど彼女が成り代わったのは五日前。それまでは伊丹ミツキは確かに本物だった。つまり、それ以前の半年から五日前に至るまでどうやってアリシアの居場所を割り出したのかがわからなかった……つい昨日までは」


 僕はそこで一旦言葉を止め、自らの喉を指さした。

 正確には、喉に巻かれたチョーカーを。

「チョーカーは裏地にがく的な紋様が刻まれていて、それが個人情報IDになっている。

 またGPS機能もあり、これさえあれば、誰がどこにいようとわかる」


「そして、その権限を自由に使えるのは

 

「〈カルマ・ドグマ〉は【畜人派】の最大派閥。けれど【畜人派】も【親人派】も元は同じ【共存派】だった」


「そして〈カルマ・ドグマ〉は〈終局都市ターミナル〉で生まれたものだと学長が言った」


「ヴィーゲの勢力は一枚岩じゃない? そりゃそうだろ。

 他でもない、あなた自身が裏切り者なんだから!」


 要するに、この事件の全容は、


 ――――人類最後の都市のトップが裏切り者だった。


 ただそれだけの話。

 ああ、なんてよくできたシナリオだろう。

 まさに――終末おわっている。


「なるほど……キミの考えはよくわかった」


 一連の僕の言葉に、けれど学長は全く気を害した様子はなかった。

 僕は一気に喋って渇いた喉を潤すべくカップに手を伸ばせば、空だったことに気づく。

 それを見た学長がごく自然な動作で紅茶を淹れてくれる。

 気まずいことこの上なかった。

 チラリとうかがえば、学長は紅茶を淹れながら、視線だけは僕に向けていた。


「ただ、一つわからないことがある。ワタシが首謀者だと言うなら何故こんな回りくどいことをしたのかな。久世くんを捕らえたいのなら直接呼び出してしまえばいい話だろう」

「自分で言っていたでしょう。『隙あらば自分をトップから引きずり下ろそうとする人たちがいるから、今は引きずり下ろされないようにするので精一杯なんだ』って」

「よく覚えていたね」

「たまたまですよ。それで、どうなんですか」

「答える前にもうひとつ聞いておきたいのだけど、ワタシの答え如何いかんによってはキミの行動やスタンスに変化が生じるのかな」

「生じますね。もし学長が〈カルマ・ドグマ〉の一員なのだとすれば、僕はあなたに個人的な恨みがある。一発ぶん殴るくらいはするかもしれません」

「ほう……というと?」

「風の噂で【燎原戦役】の燎原を生み出したのはあなたの左手だと聞いたことがあるんですよ」


 学長の左手を見やれば、そちらだけ、まるで封印するかのように手袋がされている。僕はその手袋のされた左手をにらみ、言う。


「つまり、僕の故郷を焼いたのは、あなただということになる」


 学長は目をつむったまま再び紅茶を口に含み、ゆっくりと嚥下えんげして、やがて口を開いた。


「キミはミステリ小説をたしなむことはあるかな」

 

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