◇名もなき戦い


「誰って、そんなの決まってるじゃない。

 。アリシアさんのお父上ですよ?」


 告げられた真実に、アリシアがびくりと反応した。


「あの人が〈カルマ・ドグマ〉のトップ……?」


 嘘だ、と震える声音で呟くアリシアの表情を見た《無貌の女》はゾッとするような笑みを浮かべた。まるで、追い詰めたネズミを前に舌なめずりする猫のような残虐ざんぎゃくさで。


「そうよ? 良く言えば人心を掴んで、悪く言えば恐怖で屈服させて元の主と成り代わったの。元の主は降りる時に灰化させられていなくなっちゃった♪」


 恐ろしい事実を平然とにこやかに語るその精神性が、僕にはわからない。

 まともな答えは返ってこないだろうと理解しながら、問わずにはいられなかった。


「お前はそんなのがトップでいいのかよ」

「全然構わない、というかむしろ代わってくれて良かったわ。

 だってこんなにイイコト、ほかではできないでしょう? かわいいオンナノコの血は飲めて、そのカラダを好き勝手イジって良いなんて。最高!」


 恍惚とした表情を浮かべ、長い腕で豊満な身体を抱きしめ、夜空に向かって快哉かいさいする。


「この世界が地獄なんて言ったの誰? 天国の間違いでしょう⁉︎」


 確信した。この女、いや、この生命とはたとえ何億年ともに過ごそうと、何回世界を繰り返そうと、分かり合える時は来ない。分かり合いたくもない。


「名残惜しいけれど、おしゃべりはこの辺にして終わらせましょうか。

 アナタタチとの友情ゴッコ、結構楽しめたわ」


 精神だけはとっくに絶望の淵に追いやられながらもアリシアは瞳から光を失わなかった。


「私たちが黙って従うとでも思っているの?」


 その瞳に宿る光がたぎるような赤から冴えるような青へと変わる。

 アニムスを行使する前のそれに、けれど《無貌の女》は余裕の笑みを深めた。


「アタシのアニムス《無貌の女》は血を取り込んだ相手そっくりになることができるだけじゃなくてね、血を取り込ませた相手を自由に操ることができるの」


 そうだろうなと察しはついていた。連続失踪事件の真相が、おそらくは遠隔で人物を操作することが可能な類のアニムスによるものなんだろう、と。

 そして、己の手の内を明かした上でなおも余裕な表情を崩さない《無貌のジェーン・ドゥ》はその決定的な理由を口にする。


「気づいてるかしら? この血霧にことに」

「なっ――!」


 ここに来るまでとここで話している間、僕たちは空気ごと血霧を体内に取り込んでいる。

 それはつまり、微量ながらも彼女の血が体内に入っているということで――!

《無貌の女》は絶対上位者の表情で、告げた。



「――――《動くな》」



 ただそれだけ。

 それだけで、どうしようもなかった。


「うぅぅぅぅぅぅ……!」


 舌先すら満足に動かせない様子のアリシアによる絶叫は、苦悶にしかならなかった。

《無貌の女》は一切の遊びなく終わりの言葉を放つ。


「――――《眠れ》」


 アリシアの意識はテレビの電源を落とすようにプツリと切られ、力なく倒れ込んだ。

 アリシアは満足な抵抗もできず、戦うこと意志を示すことすら許されず、敗れた。

 そして、それを黙って見やる僕の耳には変わらず《無貌の女》の声が届く。


「これで一件落着……と言いたいところだけど、おかしいわね。

 どうしてあなたには私のアニムスが効いてないのかしら?」


 それは《無貌の女》にしてみれば、およそ絶対に発生しないはずの異常事態イレギュラー


 けれど僕はその問いには答えず、アリシアのそばに膝をおろす。

 涙も拭けず、悔恨の表情のまま意識を奪われた目元をそっと拭う。

 同棲初日、アリシアを起こしに行った日もこんな表情だった。

 それだけで、僕のなかに燃えるような怒りがいた。

 ゆっくりと立ち上がり、《無貌の女》の目を見据えて言う。


「お前は今回の目的を達成できない」

「へえ! それまたどうして?」


 無駄な問答だと思いながらそれでも応じる。


「僕がお前を終わらせるからだ」


 おどけるような表情を見つめたまま、僕はコンバットナイフを取り出す。


「正直に言おう。僕はお前に感謝してる。

終局都市ターミナル〉に来てからこっち、ずっと持て余してたんだ」


 僕の言葉に《無貌の女》は一瞬呆けたような顔をして、それから腹を抱えて笑った。

 ゲラゲラ、ゲラゲラ、ゲラゲラ、ゲラゲラ、ゲラゲラ、ゲラゲラ。

 狂ったように数十秒たっぷり笑って、それさえいやらしく見える仕草で涙を拭う。


「ごめんなさいね、面白くってつい」


 その笑みはことこの状況に至ってすら嫌味がなくて、それはまるで自分が死ぬ未来など存在していないと確信している気楽さだった。


「好きなだけ笑えばいい。何をするにも最後になるんだから」

「そんなことを言える根拠をお聞きしても?」


 一歩。踏み込みながらの刃を贈り物に添えて答えた。



「僕はお前みたいなやつをぶちのめすために造られたからだよッ!」



 一閃。胸元を浅く切ったその斬撃に《無貌の女》は焦燥しょうそうという、明確な負の感情を初めて見せた。そして思い切り飛びすさりながら、叫ぶ。


「――――《そいつを殺せ》っ!」


 その瞬間、周囲からいくつかの人影が出現する。数は全部で五つ。いずれも女性。

 それが連続失踪事件の被害者たちだと悟るのに時間は要らなかった。

 誰かは武器を持ち、誰かは素手。その誰もがいつかの更科フウリと同じような、虚ろな瞳を妖しく光らせている。

 こんな強制労働に使われて申し訳ないが、こんなのは障害のうちにも入らない。


「邪 魔 だ」


 それぞれを一撃で斬り伏せ、合計五度の斬撃で全員の首をね飛ばした僕に、《無貌の女》は今度こそはっきりとその相貌そうぼうを歪ませた。


「なん……」

「不思議で仕方ないって顔だな。なんてことはないよ。こんな雑魚で僕を殺したいなら、物理的に対処不能な数を用意すればいいだけだ」


 ざっと十倍の五十人ほどいたなら、身動きが取れず終わりだっただろう。

 たとえ一撃で魔臓を破壊する技術力を持っていようと、数には勝てない。

 けれど、そうはならなかった。

 理解不能な事態の連続に《無貌の女》が吠える。


「なんでだよ⁉︎ なんでアンタにはワタシのアニムスが効かない⁉︎

 オマエのアニムスはなんだ⁉︎」

「はっ、素が出てるぞ《誰かサンジェーン・ドゥ》?

 まともに振る舞えないなら顔と声も返上した方がいいんじゃないの?」

「ちぃぃっ!」


 愉快なほどに表情を歪ませてくれる《無貌の女》に僕は愉悦すら感じながら、種明かしをしてやる。


「アニムスなんかじゃないし、原因は僕にはないよ。ただ――」

 僕が絶対耐性アブソリュートレジストを持っているからとか、そんなことでもない。

 もっと単純な話だ。それは、


「――お前のアニムスがからだ」

 

 連続失踪事件の被害者は全員が十代から二十代の女性というのが共通点だった。

 そして今もアリシアは従わされて、僕は従わされていない。

 女装していて良かったと思った初めての瞬間が、まさかこんなに早く訪れるとは。


「人生何があるかわからないもんだよな」


 呟きながら、血と脂に濡れたコンバットナイフを捨てて真打しんうちたる漆黒の短刀を取り出す。

 夜闇の中でなお、その暗さを吸い込むような暗澹あんたんたる黒に《無貌の女》はいよいようろたえた。こんな相手は敵とすら呼べない。

 けれど、僕は標的を必殺とするべく、故郷での六つの教えを今一度思い出す。


 ――――まず、心を凪に、体は風に。



 六度、おの力量見さだめて。


 五手、詰めへと至るべく。


 四見、彼我ひが見極めて。


 三方、埋めて敵と相対し。


 二撃、構えず踏み込んで。










 六度 一 己が力量見定めて。

    の

 五手 刃 詰めへと至るべく。

    で

 四回 切 彼我の差見極めて。

    り

 三方 捨 埋めて敵と相対し。

    て

 二撃 る 構えず踏み込んで。



 教え通り、踏み込みと共に打ち出した僕の一撃が《無貌の女》の魔臓を捉えた――


 ――はずだった。


「浅かっ、た――っ⁉︎」


 眼前の敵の変貌ぶりに、今度は僕が驚愕させられる番だった。

《無貌の女》の体躯は少女のそれにまで縮まっていた。

 僕に魔臓を切られる寸前、とっさの判断で姿形を低年齢のモノに変えていたのだ。

 僕の刃からギリギリのところで逃れた《無貌の女》は身体を元のモノに戻し、ぜいぜいと肩で息をする。


「その武器、見ただけで触れちゃいけないってわかる。アナタ、本当に何者?」

「お前と同じだよ。何者でもないし、この短刀にも名前はない。

 お前はどこの誰とも知れない奴に無様に殺されて、人知れず灰になるんだ」


 こんな路地裏の戦いに名前などつけるべきじゃない。

 このまま、祭りの裏で人知れず行われた小競り合いとして終わらせるべきなのだ。

 ああ――でも。わずかばかり、思いとどまる。


「確かに何も明かさないのは不公平だから、これだけは教えてやるよ。

 僕は出雲サヨじゃないし、女じゃないし、死妖ですらない。ただの非感染者ニップだ」

「あはぁ、アナタみたいな非感染者がいてたまるものですか」


 いやいやと僕は肩をすくめる。


「姉さんに比べたら、僕なんかただの非力な一般人だよ」

「姉、さん……?」


 僕の言葉に、《無貌の女》は怪訝に眉根を寄せ、何かに気づいたように目を見開く。


「ああ、そういうことだったの。アナタ、出雲の――」


 みるみるうちに《無貌のジェーン・ドゥ》の表情から色が消え失せていき、


「なんだ、ワタシあの女狐めぎつねに騙されてたのね」


 何かに納得したように、酷笑を浮かべた。


「それならやりあう意味なんてないじゃない。アナタも騙されてるわよ」

「急に何を言い出したのかは知らないし興味もないけど、それが遺言ゆいごんでいいか?」

「ええ。今回の逢瀬おうせでは最後の言葉で構わないわ。

 またいつか、会えたらどこかで会いましょう?」

「次会う時は来世だよッ!」


 トドメを刺すべく《無貌の女》に向かって僕は突進しようとして――できなかった。

 足元が不可解なほどのぬかるみに変じていて、足首まで埋まっていた。


「アノコタチのアニムスは遅効性のモノが多かったの。だからアナタが動けなくなるまで時間を稼いでもらおうとしてたんだけど……って、まぁ怖い」


 全身全霊をかけて地面から足を引き抜き、一歩、また一歩と近づいてくる僕に、《無貌の女》は一瞬その表情を引きつらせた。


「それだけの情熱を持ってこちらに向かってきてくれるのは嬉しいケド、触れ合ったら溶かされちゃいそうだからこの辺でお暇させていただくわね。ソノコタチは返すわ」


 踵を返そうとする《無貌の女》だったけれど、はたと立ち止まり、「そうそう、忘れてた」と振り返る。


「あと、もお返しするわね♪」


 そして小さな麻袋が僕の足元に投げられた。


「さようなら――《誰かサンジョン・ドゥ》」


 素敵な夜をグンナイ。そう言い残して、《無貌の女》は悠々と夜闇に消えていった。

 後に残ったのは五人の被害者の遺体と、小さな麻袋が一つ。

 狂ってしまったような静謐せいひつの中、遠くから祭りの残響が潮騒しおさいのように聞こえてきて、僕は力が抜けてしまい、その場に座り込んだ。

 それから、緩慢かんまんな動作で麻袋を掴み取り、縛ってあるひもをゆっくりと抜き取る。

 開いた袋の中を麻痺した頭で見下ろす最中、脳裏では『やめろ、見るな』と警鐘が鳴らされていたけれど、どこか他人事ひとごとのようで。


「…………………ぁ」


 果たして、そこにあるのは一握の灰。

 それがいったいかなんて――考えなくてもわかってしまう自分が憎くてたまらなかった。

 言葉も、涙すらも出なくて、僕は麻袋をただ胸元で握りしめた。

 いつまでも、そうしていた。

 いつまでも、いつまでも。

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