◇無貌の女


「あー! やっと見つけたぁ!」


 聞き知った大声が聞こえて振り返れば、やはり見知った顔がそこにいた。


「あ、やべ」

「ミツキじゃない。こんなところでどうしたのよ」


 アリシアの問いに、伊丹さんは両拳を上下にぶんぶんしながら近づいてくる。


「どうしたのじゃないですよぉ!

 出雲さんから祭りのお誘いがあって秒で返信したのに、反応ないんですもん!

 しょーがないから気合いで探してやるーって思って走り回ってたんですよ!」


 両腕をいっぱいに広げ、興奮気味にまくし立てる伊丹さんにアリシアは気圧された様子で、顔をそらすと、恐ろしい眼力でこちらを見つめてくる。


「ミツキも誘ってたって……どういうこと? ふたりきりで回るんじゃなかったの?」

「伊丹さんを呼ぶのを伝えてなかったのは悪いけど、別にふたりきりとは一言も言ってないよ」


 僕の返答にアリシアは凍りついたように固まり、やがて物凄い表情に変じた。


「私、サヨのそういうところ嫌いだわ」

「え、どういうところ⁉︎ ちょっと待ってしっかり説明して欲しいんだけど!」


 焦る僕は弁解の余地を求めて解説を求めるけれど、とりつく島もないらしく、アリシアは伊丹さんの手を取って歩き出してしまう。


「行きましょうミツキ。こんな愚か者は放っておいて」

「えへへ、どこまでもご一緒しますよぉ〜!」

「待ってええええええええ!」


 その後、へそを曲げてしまったアリシアの機嫌をとりつつ三人で祭りを周り、宴もたけなわとなってきたところでふいに伊丹さんが切り出した。


「あの、わたし行ってみたいところがあるんですけど、いいですか?」

「私は構わないわ。サヨもいいわよね?」


 頷いて、僕は自分の心がすっと冷えていくのを自覚した。けれど、そんなことはおくびにも出さずついていく。

 そうして伊丹さんに連れられて歩いているうち、霧が出てきた。

 こんな時間帯に霧が出るのは珍しいなと思ったけれど、色味がわずかに赤いのを見て納得した。これも工業区の排気によって赤い雲ができるのと同じ原理だ。

 赤い霧に巻かれながらしばらく歩いて到着したのは、奥まった路地裏の空き地だった。工業区にほど近いため、遠くから地鳴りのような音が耐えず聞こえる。人気がなく、明かりも切れかかった電灯が一つと向かいのテナントの看板近くに取り付けられた蛍光灯のみで、薄暗い。正直言って、お祭りの途中で抜け出してやってくるには意味がわからない場所だった。


「ミツキ、こんなところへ来てどうするの?」

「はてさて、どうしましょうかね。なんて言ったものか悩んでるんですけどぉ〜」


 伊丹さんのもったいつけるような素振りに、けれど僕は一切反応せず口を挟む。


「なんて切り出そうか迷ってるなら、僕が言ってあげるよ」


 少しも笑えない状況のはずなのに、自分の口端に笑みが浮かんでいるのを自覚していた。

 いったいどういう感情での笑みなんだろうと、悩んでみたところで答えは出ない気がしたから、思考の片隅に封印することにした。再度考えるにしても、全部終わった後だ。

 目の前に意識を戻して僕は続きを述べる。


「『あなたの身元を回収させてください』ってところじゃないかな」


 そして糾弾きゅうだんの意思を込めて、真実を抉り出す言葉を放つ。


「そうだろ――――〈血の遺文事件〉の犯人さん」


 二人とも驚愕きょうがくにその表情を染めたけれど、示す温度は対照的だった。

「犯人さん、って、サヨったら何を言ってるの? ミツキが犯人だなんて――」

「あら? 気づいてたんですか? いつから?」


 彼女の反応に、アリシアはわずかに目を見開いて、よろよろと後ずさった。

 僕はアリシアをかばうように後ろへやりながら淡々と言葉を返す。


「そんなのは重要なことじゃない。

 いま重要なのはお前が僕の指摘を認めるかどうかだけだ」

「そうですか。じゃあ勿体もったいぶる必要もないですねぇ」

「ああ、だからさっさとその姿で喋るのをやめて本当のツラ見せろよ、


 これまで衝動的にナイフを突き立てそうになった回数は数え切れない。

 未だ伊丹ミツキの姿でいられるだけで吐き気がするのだ。

 そんなイラつきを抑えずにらみつければ、伊丹ミツキを名乗る彼女は顔を手で覆った。


「ひどいですよぉ〜、そんな怖い言い方しなくてもいいじゃないですかぁ〜。

 ――はいっ! これでどうかしら?」


 次の瞬間、伊丹ミツキだった顔は全く別の誰かへと成り代わっていた。

 いや、顔だけじゃない。姿形、声に至るまで。

 いまの彼女は長いつやのある黒髪にれた肢体したいを持ち、蠱惑こわく的な表情を浮かべていた。そして胸焼けを起こしそうなほどの色気を放ちながら、甘ったるい声音で自己紹介をする。


「あいにく名乗る本名もさらせる素顔もないから、判別名そのままで《無貌の女ジェーン・ドゥ》とでも呼んでくださいな♪」

「《何者でもないジェーン・ドゥ》――ってことはその顔も借り物か」

「もっちろん! アナタタチも見たはずよ? 四日前、ヴィーゲ本部の前でね♪」


 その言葉に、僕は車両の中から現れた異形の化け物の姿を想起した。

 これが、あのグールの元の女性の、顔だというのか。

 弄り回して、壊した末に、その姿形に、恐らくは口調すら模倣まねしてここにいる。

 がたい悪趣味に、言葉を返すことすらしたくなかった。

 それでも、僕はこの女を止めなければいけない。

 これ以上の犠牲を出さないためにも。

 僕の決意を知ってか知らずか、《無貌の女》は頬に指を当て、流し目で僕を見やると薄く笑んだ。


「やっぱり気になるから教えて欲しいな。ボロを出してたつもりはないんだけど、いったいどうやってワタシがニセモノの伊丹ミツキだって気づいたの?」

「ああ、少なくとも僕が触れ合ってきた限りでは、ボロを出したことは一回たりともなかったよ。およそ完璧かつ完全な偽装――いや、演者だった」

「じゃあどうしてあなたは気づけたの?」

「敵に教えるわけないだろ。それに教えたところでどうこうできるものじゃない」

「ふーん。面白くないけど、わかったわ。あなたがこういうところで誤魔化したりするような人じゃないっていうのは触れ合って分かったつもりだし♪」


 それはどうも。とは言えなかった。こんな奴に褒められても、少しも嬉しくない。


「それにワタシはあなたと違って優しいから、ワタシの正体を見破ったごほうびに、知りたいことなんでも教えてあげる」


 聞きたいこと、たくさんあるはずでしょう?と蠱惑こわく微笑ほほえんでみせるその余裕な顔をいますぐ引き裂いてやりたいところだけど、グッと堪えて問いを投げる。


「あんたは……〈カルマ・ドグマ〉はなぜアリシアを狙う?」

 僕の問いに、《無貌の女》は端的に答えた。

「彼女が次の現人神あらひとがみだから」

「……は?」

しゅがそうおっしゃったので、アタシタチは奪われた彼女を取り戻さなければいけないの。

 それだけよ。シンプルでしょう?」

「その主ってのは誰なんだ」

「誰って、そんなの決まってるじゃない。

 。アリシアさんのお父上ですよ?」

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