◇それは白昼夢のような


「うぅ……」


 朝焼けがすぐそこまで迫った帰り道。ぐずる私は他のメンバーにあやされていた。

 ツカサがおぶってくれ、フーリが気にかけてくれるけれど、前を歩くザラだけは違った。

「ちょっといい加減にしてよ。


 後ろでずっとすんすんブタみたいに鼻鳴らされてる身にもなってほしーんだけど」

「…………」

「いやなんか言い返せし。ホントにアタシがそう思ってるみたいじゃん。違うからね?」


 その日、私たちは都市外からの物資輸送ルートを確保するため、輸送ルートおよび黒壁バリケード付近のグールを排除するという、グール掃討作戦に駆り出された。


「……やりたくなかった」


 しぼりだすような私の言葉に、ザラは「またそれ……」と肩を落とした。


「一年で今回の作戦に抜擢ばってきされたのアタシらだけなんだよ? 討伐数だって全体三位だし、もっと誇るべきだって何度言ったらリカイってくれるの」


 リカイってくれる、という言葉が理解わかってくれる、という意味であることに気づくのに数秒を要した。ザラのギャル化はさらに磨きがかかっていた。

 その独特な言語は今さらなので触れず、私は自分の考えを展開する。


「だって、グールだって元は私たちと同じ死妖なんでしょう?

 まだ生きてるのにそれを灰化させるなんて……」

「そんなこと言ったって、元に戻らないんだからしょーがないじゃん。グールは魔臓アニマが変質して人体の組成まで変わっちゃってるって授業で習ったでしょ」


 確かに学んだ。それがごく初期であるならまだしも、ある程度まで変質化が進んでしまうと不可逆になることも。それでも、100か0しかない極端すぎるトリアージを私はどうしても認めることができなかった。


「じゃあザラは私がグールになったら灰化させるの?」


 悪質が過ぎるとわかっていながら、私はその問いを放った。けれど、ザラは即答した。


「うん、させる。そっこーで灰にする」

「んなっ⁉︎」「うわちょあぶなっ!」


 あわやツカサの背中から滑り落ちそうになった私には一瞥いちべつもくれず、ザラは夜明け前の白む空をどこか遠いまなざしで見つめながら語る。


「元に戻らないのに、あんなに辛そうな顔で、声で一生どこかを彷徨さまよい続けるなんて、それこそかわいそうじゃん」


 そして私たちの方へ振り向くと、こう言って締めくくった。


「だから、アリシアにそんなことさせるくらいならアタシは迷わず灰化させるね」


 無表情にも見えるその顔が、真面目な時に見せるそれであると私は知っていた。


「じっ、じゃあ私がグールにならずに、ザラを殺そうとしたら?

 例えば裏切り者になったりしたら⁉︎」

「え、意味わかんな。どういう状況それ?」

「例えばの話! 答えて」


 ザラは怪訝けげんな顔で眉を歪ませつつ、一言で答えた。


「……殺すかな」

「え」

「完膚なきまでにぶっ殺して、ぶっ潰して、ぶっとばす」

「ヒェ……」「《鉄の処女アイアンメイデン》こわーい!」「なんでそこまで?」


 ツカサの問いに、ザラは立てた指をくるくると回しながら答える。


「まず愚かにもアタシを狙った罰としてぶっ殺すでしょ。次にアタシを裏切るようなバカな考えをぶっ潰して、最後にアタシを裏切るようなクソみたいな理由をぶっとばす」

「あぁ、そういう……」「こわくなかった!」「理解はできるかな」

「それでもダメだったら考えを改めるまでぶっ殺し続けるだけだし」

「ヒェ……」「やっぱりこわーい!」「言うと思った」

「例えばの話っしょ。そんなことできるかは実際その時にならないとわかんないし」


 三者三様の反応を見せる私たちにザラは苦笑して、それから私の髪に手を伸ばした。


「にしても、アリシアの髪伸びたね」

「ザラが綺麗だって言ってくれたから、伸ばしてるの」

「嬉しいこと言ってくれんじゃん。もうおそろっちじゃんね」


 笑って、ザラは自分のポニーテールの尻尾をひらりと払った。

 夜明け前の暁光に照らされたその横顔の眩しさを、私は今でも覚えている。


 それから一ヶ月も経たないうちに、あの事件――否、事故が起きた。

 正直言って、私は事故当時の記憶をあまり覚えていない。

 覚えているのは凍りついた交差点と己の両手、そして必死に呼びかけてくるフーリの姿。

 次の日、穴の開いたような瞳で私を見つめるザラの放った「アンタが壊した」という言葉だけだった。

 学長からは『もうアニムスは使わない方がいい』とだけ言われたけれど、言われなくても、そのつもりだった。

 まもなく私たちの部隊は解散され、私は誰からも話しかけられなくなった。

 ザラは化粧が濃くなっていき、人を寄せつけない態度に変わっていった。

 かくいう私も人を寄せつけないようになったという意味では同じだった。


 そうして半年が過ぎた四月の初め、サヨさんを名乗る女装男子が現れた。


 ◇ ◇ ◇


「アンタさぁ、何がしたいの?」


 河川のど真ん中、浅い水流に半ば倒れる私を無傷のザラがあきれた様子で見やる。

 私の方はと言えば、すでに無数の鉄塊に打擲ちょうちゃくされ、左手首から先はどこかへ飛んでいったし、右太ももは半分抉れている有様、端的に言えば満身創痍まんしんそういだった。


「決闘を、とか言い放ってきたくせにロクな攻撃しかけてこないし。

 まさかそれっぽいこと言ってアタシが改心することに懸けてたわけ?」

「………………」

「なんか言えし」

「ぐぅっ!」


 鉄塊が霞むような――それでも視認できる分遅い――速度で飛来して私の左肩を砕いた。

 それでも痛みは脳内麻薬アドレナリンでかき消されていて、私は口の中の血と共にその苦い味を飲み込んだ。


「《鉄の処女アイアンメイデン》ともあろうお人が、ずいぶんと慈悲をかけるのね。

 フーリのことはあんな迅速に処理したのに」

「『遅刻はしないように』がウチのモットーなんでね。

 で、もうこの茶番飽きたんだけど、さっさと降参してくんない?」

「お断りするわ。私は意識を手放す瞬間まであがき続けるつもりだもの」


 槍を杖のようにして、川縁かわべりまで足を引きずって移動する。

 ザラはその背中を見て嘆息するばかりだった。


「あっそ。じゃあ好きな死に方選ばしてあげる。

 溺死に撲殺、圧潰死。絞殺による窒息死や数十メートル打ち上げてからの落下死もある。

 アタシのオススメは即死できる出血性ショック死だけど、どれがいい?」

「お心遣いは嬉しいけれど、どれも遠慮しておくわ」

「アタシの見立てだとそもそもって三十分で死ぬけど、それだと面白くないし――」


 ザラが悩む素振りを見せたその時、川向こうから声が聞こえた。


「アリシア! どこだ!」


 その中性的な声。姿を見なくてもわかる。イザヤだ。

 なんで来たのよ、あのバカ……!


「あは、ちょうどいーじゃん。サヨちんの前でぶっ殺してあげるよ。良い死に方っしょ」


 酷笑を浮かべたザラが片手をあげれば、展開させていた全ての鉄塊が浮遊――けれど、それだけでなく河川の砂礫までも追随ついずいし、途端にザラの浮遊させていた鉄塊が川面に落ちて水しぶきをあげる。


「あ、漂砂鉱床……? ちっ、これだから川岸はヤなんだよ」


 ザラのアニムスを狂わせた黒い砂、その正体。

 それはザラの唯一の弱点とも言える存在、砂鉄。

 金属そのものではなく磁界を操るザラにとって、多量の砂鉄が含まれる状態での正確な鉄塊操作は絵の具を混ぜた水から真水だけを掬い取れ、と言われているのと同じ。

 つまり不可能。

 舗装されておらず、細かな砂利の多い川岸だからこそ起き得た事態。

 そして私はこの瞬間を逃すわけにはいかなかった。



「――――《雪の華アラバスタ》!」



 身体中のエネルギーが全て持っていかれるような感覚に魂が揺らぐ。

 それでも私は歯を食いしばって血の軌跡アニムスを行使する。

 果たして《雪の華》は瞬く間に開花し、周囲数十メートルを這うように伸びた。

 けれどザラはそれすら想定内とでも言わんばかりにその場で飛び上がり、氷河に足を捕られることはなかった。

 代わりに、一瞬にして変じた景色を見やり、乾いた笑いを浮かべる。


「初めて生で見たけど、ホントにやばいね。けど――」


 ザラは氷河の上に着地し、一転してつまらなさそうに私をにらみあげる。


「なんで? 狙ってれば必中だったのに」

「そうしたいのは山々だけれど、のよ。無意識レベルで外してしまうの。

 でも、あなたに対してはこれで充分でしょう――《鉄の処女アイアンメイデン》?」


 私が川面――正確にはその下を指し示せば、ザラは目を見開いた。


「はっ、アンタの狙いは最初からかよ」


 そう言ってザラも凍りついた川面の先、を見やる。


「あなたの操れる金属ぶきは全部氷の下。対して私は槍を持ってる」


 これがどういう状況かわからないザラではない。

 ザラは白い吐息を吐き出し、夜空を見上げた。

 人の営みが残響のように響く、まともに星空も見えない夜空を。


「さっさと殺さなかったアタシの負けってことね。……いいよ、殺しなよ」


 言いながら、ザラは氷の上に腰を下ろす。


「アタシもアンタと同じで絶対に降参は言わないし。だからアンタが勝つにはアタシを殺すしかない。ほら、やりなよ。日頃から溜め込んでた鬱憤うっぷん晴らすつもりでさ」


 この後に及んでザラは挑発するような語調で自らの殺害を促してくる。けれど、


「いいえ、殺さない」


 だって、


「――


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