◇歪んだ結論


「さて、それじゃあ話を聞かせてもらおう」


 短い食事が終わり、合成食料の袋といくつかの錠剤のシートをゴミ箱に捨てたところでカイラはザラに視線を向けた。落ちくぼんだ瞳に宿る光は卓上の蝋燭ろうそくを映してギラギラとたぎるようだった。

「話って言っても、なんもないし。アタシが行った時にはすでに犯人は取り押さえられてて、最後のあがきに自爆しようとしてたところをアタシが止めたってだけ」

 他に話すことなどないとザラが突っぱねれば、カイラはじっとザラを見つめて言った。


?」


 奈落の底から響いてくるようなその声音にぞぅ、とザラは総毛立った。

 亡者のような顔で、カイラは呪詛じゅそのように言葉を紡ぐ。


「私の目には見えたんだぞ。しかと、あの血で書かれた教文が。血文字がある場所には必ず悪魔の子がいる。必ずだ。あれらはあの忌々しい悪魔と悪魔の子に関するモノなのだ。それがお前には見えなかったというのか? この私に見えてお前には見えなかったと?」


 畳みかけるようなカイラの問いに、ザラは内心で舌打ちをする。


 ……そんなことまで調べてんのかよ。


「――――おい、聞いているのか。ザラ」


 耳朶じだを掴んで離さない声音に意識を引き戻され、闇を凝集ぎょうしゅうしたような瞳に見射みいられる。

 いつもなら、ザラは父親に合わせて適当な答えをしていただろう。

「うん、見たよ」や「知ってはいるよ」というような。

 ザラが知っているかどうか、真実を求められているわけではない。

 ただカイラの問いに対して肯定すれば良いだけの話。

 そうすればカイラはまたにこやかに笑って、機嫌を戻したはずだ。

 しかし、今日は出雲サヨという異分子によってあせらされて、イラついていた。

 無性に早く休みたかった。だから、


「知らないし。別に見てな――」


 ガヅンッッッッッッッッ!と強烈な音がすると同時に視界が真っ茶色になっていた。

 次いでその真っ茶色が顔面に衝突、椅子から跳ね飛ばされた。

 倒れながら押さえた鼻から、生温かい液体が流れてくることに気づく。

 その赤色を見て、ザラは休息から最も遠い選択をしてしまったことをようやく悟った。



「お前という奴はッッッ‼︎ どうしてわからないんだッッ‼︎」



 視線を手元から前に向ければ、そこには食卓だったものがいくつかの大きな破片と無数の木片になって、すぐそばには割れた入れ物と溶けたろうが飛び散っている。

 ……あーあ、久々にやっちゃった。

 それを引き起こしたくなくて、だから余裕がなくなって、結局引き起こしてしまった。

 けれどそこには後悔などなく、あるのは諦観ていかんの念だけだった。

 なぜなら後悔のしようがない。これから起きることをザラは黙って受け入れるしかないのだ。


「これは義務なんだぞ! 我ら一族の悲願を果たすための崇高な使命なのだ!

 正義なのだ! その正義を果たすのにお前は何をためらっている⁉︎」


 明かりのない真っ暗な部屋で、カイラは激憤に陥っていた。

 ザラには烈火の如く声をあげるその姿がありありと見えていた。そして今、カイラの瞳のなかで燃え盛る憎悪の炎に焼かれようとしている。あるいは、とっくのとうに焼かれていたのかもしれない。

 カイラが両手を強く握り締めると、バキバキと耳障りな音を立てた。食卓を叩き折った時に自分の指まで折ったようだが、激昂げっこうと興奮のせいで気づいていなかった。


「かの悪魔が尖兵せんぺいとして寄越よこした悪魔の子が何を為し、何を喰らい、何を見て、何を話したのか、我らはその一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくを余すことなく観測しなければならない! 我らはあの悪魔が為そうとしていることを阻止せねばならないのだ! 二度とあの惨劇を起こさせないために! ああ、そうだ元より我らは――」


 感情を怒涛どとうのようにほとばしらせ続けるカイラから、ザラは奥の部屋へと意識をずらす。

 ドアの開けられたカイラの部屋。その壁や天井には書き込みのされた紙がびっしりと貼られており、床には棚に入りきらないほどのファイルや書籍が散乱している。

 ザラは知っている。それら全てが〈終局都市ターミナル〉やヘルシングに関することであると。

 カイラはアリシアがヘルシングの直系だと分かったその日から、注ぎ込めるだけの時間をアリシアの身辺調査に注ぎ込むようになった。そして精神病患者特有の狂ったような情熱で、そら恐ろしいまでの情報を集めてきた。

 なにせアリシアのアニムスから、アリシアの母親のアニムスとの繋がりを見出してみせたほどだ。今など義務で〈死妖狩り〉に属している学校の子たちよりよっぽど都市内の事件に精通していることだろう。

 けれど、そうして集めた情報から導き出されるのは、荒唐無稽こうとうむけいな妄言ばかりだった。

 仮初かりそめの正義に酔い、無在の使命におぼれ、恍惚こうこつと言葉を吐き散らす。

 そうして最後には、お決まりの文句を言う。


「我らが一族はあの災禍“巣穴狩りハニーハント”で壊滅の危機に瀕した。そして安寧を求めてやってきたこの国ですら、あの悪魔に脅かされた。そして今! あの悪魔の子が我らの目前にいる! これが運命と言わずしてなんと言うのか! あれらを撃滅してこそ我が一族の霊魂は安心して眠りにつけるのだ!」


 聴いていられなくて、ザラは自分の部屋に逃げ込んだ。

 鍵を閉め、軋むベッドに飛び込み、薄い毛布を被り、枕で耳に蓋をして、身体を丸める。

 それでもカイラの言葉が頭の中で反響して、ぎゅっと目をつむる。


 ……悲願なんて、どうでもいい!


 “巣穴狩りハニーハント”で一族が大勢殺されたと言われても、それはザラが生まれる前の話で、会ったことも話したこともない。赤の他人と変わらない人たちだ。

 この国にやってきてからも自分たちのいた安全圏コロニーが襲われたが、小さい時分だったためにザラは詳細を覚えていない。その時、母親が灰化したことすらも。

 燎原戦役の第一次難民として〈終局都市ターミナル〉にやって来てからの記憶しかない。

 ザラはその頃のカイラに戻って欲しかった。

 男手ひとつで自分を育ててくれていた優しいお父さん。

 毎夜、母の微笑む写真の前で泣き崩れていたのをそっと撫でたら「お前は優しい子だね」と抱きしめてくれた。その温もりを、手の大きさを今でも覚えている。

 母親がいなくても、貧しくても、ザラは確かに幸せだったのだ。


 ――アリシアが現れるまでは。


 あの事件が報道されて、全てが変わった。

 カイラは家族を殺され、妻を失ったショックでわずらった精神障害が再発し、引き裂かれた精神こころで、ヘルシングを一族郎党いちぞくろうとう皆殺しにしてやると言い出した。

 まさに末代まで呪う勢いだった。

 しかし、呪いは自らの末代にも引き継がれる。

 人を呪わば穴二つという言葉があるように。

 けれど、ザラ・オーベルは誰かを呪うには優しすぎた。強すぎた。脆すぎた。

 だから、己が呪われている。

 だから、引き裂かれている。

 今、こうして。


 愛する/父親に。


 愛すべき/だった人に。


 愛していた/誰かに。


 それでもザラはカイラを糾弾することができなかった。

 優しくて、強くて、もろい少女は、父と離れ離れになることができなかったのだ。

 ベッドの中、ザラは胸の内で問う。


 ――どうしてこんなことになったんだろう。


 ――いつからこんな世界になったんだろう。


 ――ただ、昔みたいに戻って欲しいだけなのに。


 ――どうやったら、この世界は元に戻るんだろう。


 ザラ・オーベルを取り巻く環境せかいはたった半年で激変し、歪曲していた。

 そうして歪んだ環境は歪んだ認知を生じさせ、果てには歪んだ結論へと行き着く。

 これまで幾度となく胸中に上がってきたその呪いけつろんを、ザラはついに口にする。


「……あのアリシアさえ、いなければ」

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