【第七章 〈カルマ・ドグマ〉と死妖姫/彼女の世界】
◇夜明け前より赫々と
午前六時。
天気予報では晴れだと言っていたはずなのに〈
見上げる雲はないはずの
まるで全く異なる
文字通りの血煙というわけだね、と冗談交じりに教えられたのはつい先ほど。
場所は終末統合機関ヴィーゲ本部、その最上階である統括事務総長室にて。
統括事務総長を兼任しているアイラ学長の牙城を僕は一人で訪れていた。
そして今、詰めれば五人は並んで座れそうなソファに座り、ガラス張りの壁から都市を一望している。〈
「見てごらん。『アノー』の周囲にドローンが飛んでいるよ。近くで見れば精巧な機能美を持ったあれらもここからだとまるで
学長は最奥に構えている自分の席から、悪趣味にもあのデパートメント――正式名称を『アノー』というらしい――の現在状況を伝えてくる。
「今ニュースのチャンネルに繋げばあのドローンどもからヘタクソな空撮映像が流れてくるだろうね。そういえば君はもう〈
「……ラジオなら。アイドルがやってるらしいものを」
「良いチョイスじゃないか」
素っ気ない僕の答えにけれど学長は満足げにうなずくと自分の席から立ち上がり、飴茶色のテーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろした。ワンフロアがまるまる一つの部屋となっているために、それだけでも五メートル以上を移動している。
「それにしても彼女の偉業には目を見張るね。一時的な気圧の変化のみならず、その後の気象すら変えてみせるとは。一言でいいから直接褒めてあげたかった」
けれど、僕は何も言わなかった。あるいは、言えなかった。
デパートメントでの事件から約半日。
更科フウリのアニムスによって気象すら変化したというのに、僕の感情は少しも動いていなかった。
あまりの衝撃に心が麻痺してしまったのかと思ったけれど、全身に疲労感はあるし、お腹も空くし、頭脳に至っては恐ろしいほど
『死に直面した時が最も生を実感する』という言葉があるけれど、今の僕はそれに近しい状態だった。
「
「いたって元気だよ。『アノー』のなかで無事に回収されている。
だいぶ縮み上がっていたらしいけどね」
「アリシアは無事なんですか」
本命について尋ねれば、学長はおどけるように肩をすくめて、
「さて、どのように答えたものかな。身柄は確保されて病院に送られているから無事とも言えるし、あるいはそうでないとも――」
「質問を変えます。アリシアは健康ですか」
即座に問いを切り替えた僕に、学長は呆れも露わにため息をつく。
「
「良好な一つは?」
「無論、
学長の乾いた笑いはフロアに虚しく響き、反響もせず消えていく。
「ちょっとくらいは反応して欲しいなぁ、『そもそも死人じゃないですか〜』とかさ。
まるでワタシがスベったみたいだ」
「『みたい』じゃなくてスベってるんですよ」
それはもう盛大に。
けれど学長は少しも悪びれる様子なく、テーブル上に用意されているティーポットに手を伸ばす。
「まぁこんな与太話はさておき、紅茶でも飲みながら話すとしよう」
言いながら、慣れた手つきに
「先日のをさっそく仕入れてみたんだけど、味はどうかな?」
「……美味しいですよ」
簡潔に答えて、純白のティーカップを飴茶色のテーブルに戻す。
「そうか、ならそっちも味見してみてくれ」
学長の指さした先には鮮やかな赤色の生地がメッシュのように練り込まれたスコーンがあった。
「ずいぶん珍しい色のスコーンですね」
「うちのが作ってくれたんだ。特別製だよ」
「『うちの』とは?」
「あの黒髪ロングの秘書兼メイドさ。今日君たちに
「ああ」
すっかり記憶の彼方に飛んでいた出来事を思い出しながら、スコーンに口をつける。
冷めながらもサクサクとした食感で、かなりの腕前と察せられる。けれど……
「変な臭いしません? 味もあんまり甘くないし……
何が入ってるんですかこれ」
僕の問いに、学長は見た目の
「ああ、うさぎの生き血が入ってるんだ」
次の瞬間にはスコーンを盛大に口から吹き飛ばしていた。
「ぶっふぉっぇおっふはぁ‼︎」
「うわ汚いな。貴重な食べ物になんてことをするんだ」
「こっちのセリフだ! 貴重な食べ物になんてことするんですか!
肉じゃなくて生き血て! 食べられるものも食べられないでしょう!」
非難の声をあげれば、学長はどこからか取り出したちりとりでスコーンだったものを手早く片付けながら意地悪い笑みを浮かべる。
「おや、そういえば君は
そんなことを言いつつも、最初からわかりきって出したのだろう――それを裏付けるように小さく首を折りながら言葉を付け足す。
「まさか人様から出されたものを残したりはしないだろう?」
「そりゃ、食べられないわけじゃないですけど……」
「なら食べるといい。精力がつくし、今後誰かの食事に招かれた時の予行にもなる」
妙に納得できるようなことを言い、自分も一口かじったスコーンを飲み込んだところで、学長はすっと表情を消した。
「それで、このワタシに何が聞きたいのかな」
「アリシアを狙っているのは何者なんですか」
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