◇絶望の選択


「――――っ⁉︎」


 アリシアと互いの腕を掴み、咄嗟に更科から退すさり、距離を取る。

 更科の身体に異変が起きていた。

 身体に詰め込まれた機械部分が猛烈な唸りを上げ、更科の魔臓が急激な運動をした直後のようにドクドクと脈動し始める。

 見開かれた目は緑ではなく赤に染まっており、急速眼球運動を思わせるような小刻みに揺れている。それに連動するように手足も痙攣けいれんを起こしていて。

 明らかに彼女自身の行動ではなく、疑う余地もなく異常事態だった。


「いったいなにが……!」


 先ほどとは次元の違う異変に、アリシアの小さな呟きが聞こえた。


「……アニムスフィアのオーバーロード」

「オーバーロード?」

「文字通りの過剰稼働よ。原子炉のメルトダウン以上にあってはならないことなのに、これは意図的に引き起こされようとしてる」

「そのオーバーロードっていうのは止めないとどうなるんだ」


 僕の問いに、アリシアは唇を戦慄わななかせる。


「周囲一帯――軽くて数キロメートルが形象崩壊で消え去るでしょうね」

「形象崩壊⁉︎ たかが一器官になんでそんなことができるんだよ!」

「『たかが』じゃない未知の器官だからに決まってるでしょう!」


 言いながらアリシアが更科のそばに腰を下ろしたのに合わせて僕も更科のすぐそばに膝をつける。更科の魔臓アニマは光を帯び始めて、超新星爆発を起こす寸前の天体みたいだった。


「どうやったら止まる?」

「そんなの、アニムスフィアを破壊する以外ないわ。

 少なくとも、今この状況で私たちにできるのはそれだけよ」

「でもそれじゃあ――!」


 更科が完全に死ぬってことじゃないか。

 僕がそうとは口にできず言葉に詰まったその瞬間、オーバーロードの唸りとは完全に別物のガーという雑音混じりの起動音が聞こえた。



『アリシア様へ! 現在発動中のオーバーロードを止めたい場合、近くにいるお仲間を殺してください♪ 繰り返します! アリシア様へ! 現在発動中のオーバーロードを止めたい場合、近くにいるお仲間を殺してください♪ 繰り返します!――』



 オーバーロードの衝撃波が空間を揺すり、轟音に耳をろうしているはずなのに、その合成音声は皮肉なほどよく伝わった。

 無駄に明るく高い声音で繰り返されているため、無性に神経がさかでされる。今すぐスピーカーを叩き壊してやりたいところだけど、更科の身体に積まれた機械の中から流れてきているためにできない。

 アリシアの方を見てみれば、次の瞬間には大粒の涙を流しそうな、あるいは大声で笑い出しそうな、完全に情緒の壊れてしまった顔をしていた。


「わ、私――」


 僕は自分のナイフを取り出すと、言葉を探すアリシアに握らせた。アリシアは握らされたナイフをゆっくりと見下ろし、不思議そうな面持ちで僕を見上げる。

 僕はその表情に、それこそナイフで胸を突き刺されるほどの思いを受けながら告げる。


「アリシア、君が決めろ」

「え……」


 アリシアは何を言われたのかわからない子どものような反応をして、直後突きつけられた絶望せんたくに顔を歪ませた。


「なんで――どうしてよ! 私にっ、あなた達のどちらかを殺せって言うの⁉︎」

「そう言ってる! アリシアが選ぶんだ! 後悔しないように!」


 アリシアは滂沱ぼうだの涙を流しながら叫ぶ。


「後悔しない選択肢なんてないわよ‼︎」

「それでもだ‼︎」


 アリシアの両肩に手をかけ、僕も喉を枯らさんばかりに叫ぶ。


「ここで選ばなかったらもっと後悔する! 自責の念に苛まれるようになって自死を選んでしまうかもしれないし、ふさんで二度とあの家から出られなくなるかもしれない。

 僕はアリシアにそうなって欲しくないんだよ!」


 僕が自分で己の心臓にナイフを突き立てても良い。それ自体は全く構わない。

 けど、それではダメなのだ。

 僕が手前勝手に死ねば久世くぜアリシアという少女は心に完治不可能の傷を負って生きていくことになる。それだけは、絶対にしてはならない。


「だから選んでくれ、アリシア。僕は君の選択を受け入れる」


 アリシアはイヤイヤと子どものように弱々しく首を振る。


「無理よ……どちらかを選ぶころすなんて……私にはできない」

「――――アリシア」


 僕の声に、びくりと肩を揺らして顔を上げる。

 その目尻や目頭からは涙が滔々とうとうと流れていて、僕は一粒を人差し指でそっと拭った。


「大丈夫、アリシアはひとりじゃない。

 僕がいなくなっても更科がいる。逆もそうだ」


 ナイフを握ったアリシアの手を握る。

 一瞬、拒絶するように硬くこわったけれど、やがてゆっくりと逆手に持ち替えた。

 そして震える両手で持ったナイフを掲げていき、


「…………ごめんなさい」

「なんで謝るのさ」


 アリシアの気が変わらないように本当は目を閉じたかったけれど、最後までその姿を見ていたくてできなかった。

 僕の意図を汲み取って、アリシアも涙に潤んだ瞳を開けたまま、ふっと微笑む。

 そうして意を決したアリシアがナイフを振り下ろそうとしたその瞬間――


 ――天井をぶち破ってきた鉄塊の一つが、更科のアニムスフィアを打ち砕いた。



「――――――――――――――――――――――――――――――――は?」



 あらゆる時間が静止した。

 いや、きっと僕の精神こころが止まっていたのだろう。

 状況の理解を脳が拒み、次の瞬間へと進むのをためらった。

 それでも時が止まることはなくて、魔臓アニマの肉片や機械の金属片がところ構わず飛び散っていき、その内いくつかは僕たちの頬や首をかすめて血をにじませた。

 虚無の時間が流れ、膝立ち気味だったアリシアが脱力するようにペタンと腰を落とす。

 やがて、その手からナイフが零れ落ちてカランと音を立てた。

 そうしてデパートメント内に訪れた嘘みたいな静寂で、全て終わったのだと悟った。

 遠くから聞こえてくるサイレン音に耳を澄ませながら上を見上げれば、凍りついて冷気の満ちるデパートメントの、崩れて見える屋上の先できびすを返すブロンドの髪が見えた。

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