◇アニムスフィア


 これはつい先ほどのカフェでの話。


「うん。もう平気よ。なんだってやってやるわ。

 ――イザヤと一緒にね」


 頼もしい言葉に頷いて、僕はアリシアに指示を告げた。


「じゃあ、アリシアには更科を止めるためにアニムスを使って欲しい」

「嫌よ」

「何でぇ⁉︎ たった今『なんだってやってやるわ』って発言を聞いたばっかりな気がするんだけど⁉︎」


 危うく椅子から転げ落ちかけた僕が目をひん剥くと、流石のアリシアもばつが悪そうに顔をそらした。


「確かに言ったけれど、アニムスを使うのだけは無理」

?」


 僕の言葉にアリシアは身体からだをビクリと震わせて、再び泣き出しそうな目で睨んでくる。


「ごめん、言い方が悪かった。もう人を巻き込みたくないから、だよね」


 僕が言い直すと、アリシアは苦悶を潰すようにぎゅっと目をつむって息を吐いた。

「ええ、そうよ。だから私はこのアニムスを人に向けて使わないと決めているの。学長マザーにも『もう使わない方がいい』って止められているし」

 わかりきっていた返答に、けれど僕は笑みを浮かべた。

「――――じゃあ、なら?」

 僕の言葉に、アリシアは怪訝に目を細めた。

「……どういうことかしら」

「簡単な話だよ。アリシア自身が言ってたことだ」


 ◇ ◇ ◇


 重力に引かれて落ちてゆく更科に向かって駆け出しながら、僕はアリシアが言っていたことを思い出していた。


 ――アニムスは突き詰めれば私たち死妖に新しく追加された身体機能だから……


 どこまで行ったとしても、それは人の行いの延長線上でしかない。

 自分にとっては規格外で奇想天外な天変地異でも、誰かにとっては脳内で思い描いたラクガキと何ら変わらない、想像の範疇はんちゅうにある。

 それはつまり、理不尽な力に思えるアニムスでも法則ルール仕組みシステムが存在しているということ。たとえ無敵のような能力だとしても、ある程度までしか無敵ではない。

 事実、僕はカフェに避難した時に更科の力が及ぶ範囲に制限があることを体感した。

 けれど更科フウリの法則ルール仕組みシステムを乗っ取るアニムスなんて、僕は持ち合わせていない。

 それでも彼女を打ち破るにはどうすればいいか。

 簡単だ。法則ルール仕組みシステム乗っ取るのではなく、それらのっとれば良い。

 更科のアニムスは『たった1℃違うだけで空気中分子の振る舞いが変わるために繊細な制御コントロールを求められる』空気操作エアロ・トレイルの類。

 そしてアリシアのアニムスは『周囲の物質を空間ごと凍りつかせる』もの(温度変化とでも言えばいいだろうか)であり、別の言い方をすれば『一定範囲内の空間の熱を奪う』もの。

 ここまで言えばわかるだろう。

 更科にとってアリシアのアニムスは行使するだけで致命的な一手となるのだ――!


「う――おぉぉぉぉぉぉぉぉらぁぁっ! 捕まえたぁ!」


 手すりの壊れた場所から身を投げ、空中で更科を確保するのに成功する。

 なお、ここから先は自力で戻ることはできないために――


「アリシアぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ‼︎」


 更科にしがみついた状態でローリングしながら落ちていき、みっともなくアリシアの助けを乞うはめになった。

 あっという間に一階の床落下死が目前になり、頭蓋ずがいが粉々になるのを覚悟してギュッと目をつむった瞬間、アリシアは寸前での滑り込みキャッチに成功してくれた。

 よく磨かれたデパートメントのフロアをアリシアに抱えられたまま十数メートルも凍った床を滑り、止まったところでスパァンと威勢よくおでこをはたかれた。


「このっ―――バカ! バカバカバカ! イザヤの大バカ!」

「シンプルに罵倒ばとうされてる……」


 状態としては膝枕に近いのだけど、されたことはまったくもって嬉しくない。


「なんで生身で飛び出すのよ! ただの人間のあなたが! 死ぬ気なの⁉︎」

「し、死んでないからセーフみたいなのは……ない?」


 スパァンと快音がもう一度鳴った。


「あるわけないでしょう! 作戦にないことを勝手にやらないで!」


 そう言われても、アリシアがアニムスを使った後のことは考えていなかったのだからしょうがない。それに――


「アリシアが何だってやるって言ってくれたのに、僕が身体張らないのはダメでしょ」


 スパァンとさらにはたかれた。


「ダメに決まってるでしょう! あなたは死んでも生き返れないのよ。

 あなたにまでいなくなられたら私、私――」


 すぅっ、と小さく息を呑む音が聞こえてそっと目を開けてみれば、涙を流すまいと震えているアリシアの瞳と視線がぶつかった。


「もう、こんなことはしないで」

「……ごめん」

「謝るんじゃなくてちかって。今ここで。嘘でもいいから」

「いいのか……じゃあ、誓う」

「言ったわね。嘘ついたら私がぶっ殺してあげるんだから」

「嘘でも良いって言ったよね⁉︎」


 どうしてこんな状況でもやりとりのテンションは変わらないんだろうと思いつつ、そんなやりとりのおかげで平常心を取り戻すことができたことに内心ホッとする。

 そしてデパートメント内を見つめ、その惨状にそっと苦笑いした。

 ここだけ氷河期が訪れたような、恐ろしいほどの冷気に全てが凍結している。

 アリシアが《雪の華アラバスタ》を行使した時、吸い込んだ空気は僕の肺腑を凍てつかせた――どころかあまりの冷たさに一瞬息が止まりさえした。

 こんなアニムスちからを持っていながら、自ら封印してアリシアは戦ってきたのだ。

 それがどれほどのことか自覚さえしていないのだろう――アリシアは泣きそうな顔で僕を見下ろしている。目が合いそうになり、気恥ずかしくなって思わずそらした視線が更科をとらえたところで、僕はやるべきことを思いだした。


「ってそうだ! 確かめたいことがあるんだよ!」


 慌てて起き上がり、意識を失っている更科を仰向けにさせる。フードがめくれて見えるようになった顔は存外にあどけなく、笑顔を見てみたいと思わせた。

 心配そうな表情をするアリシアを手で制し、取り出したナイフでローブごと更科の服の前面を切り裂いていく。そして、僕は自分の仮説が真実だったことを知った。

「………………嘘」

 服を開いてさらした彼女の胸部には柔らかな乳房などなかった。

 そこにあるのはシリコンか何かの人工皮膚で覆われた薄っぺらな胸部。その下に見えるのは

 胸部にある魔臓アニマや肺周りだけはそのままで、直下にある腹部の臓器は軒並み摘出されており、代わりに機械が詰め込まれて幾本ものチューブによって魔臓に連結されている。

 手足や頭部はそのままだけれど、肝心の中身はそのほとんどが機械に置き換わっていた。


「……アニムスフィア、なの?」


 間違いであることをうように呟かれたその単語に、僕が疑問の意味を込めて目をすがめると、アリシアは顔面蒼白になりながらも説明してくれる。


「なんらかの要因で魔臓アニマは傷つかずに持ち主が灰化した場合、長時間独立して残ることがあるのだけど……それを長期使用処理エンバーミングして、他媒体へ転用を可能にした魔臓や使用した媒体をアニムスフィアと言うの」

「なるほど、どうりでわけだ」


 僕が感じた違和感。その正体。

 一度会った人が変装などしていた場合は個々人の匂いの違いからすぐに気づけるけれど、彼女の場合は人間の皮脂成分や汗の匂いも、死妖特有の甘い死の匂いすらしなかった。


「でも、どうしてフーリの魔臓アニマがアニムスフィアになっているの?

 本来は灰化した死妖から取り出された魔臓にしかできない処理のはずなのに……」

「いや、これは魔臓アニマいじってるんじゃない。弄ってるのはだ。持ち主を灰化させずそのアニムスフィアっていうのにするためにこういう方法を取ったんだと思う」


 僕の言葉に耐えかねるように、あるいは何かにこらえるようにアリシアはギュッと目をつむった。その横顔はとてもじゃないけど見ていられなくて、そっと目を逸らす。


「とりあえず僕たちの任務は達成できたから、ひとまず本部に報告しよう」


 そう言いながら、はだけさせた服を元に戻そうとした瞬間、更科が目を見開いた。

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