◇その奇跡の名は


 各階に存在する、円形フロアの一部から逆向きの半円状に突き出た休憩エリア。そこからなら中央の空間が見渡せるだろうと出てみれば、予想通り内部を一望することができた。

 薄暗くて空気が薄く、外からビュウビュウと虎落もがりふえの聞こえてくる様は、ここが標高数千メートルの高台に建てられた天望の神殿なのではないかという錯覚を覚えさせる。いま屋上に登れば、空には星が良く見えることだろう。

 そしてデパート内の空間をかろうじて映す、か細い光は第四イエローから第三オレンジに変わっていた。

 ……伊丹いたみさんの方はちゃんと仕事してくれたみたいだな。

 全く連絡がされない事態も考慮こうりょしていたけど、ひとまずこれである程度の時間が経てば応援が駆けつけてくれるだろう。

 けど、それまで無様に逃げ隠れているつもりは微塵みじんもない。

 むしろこの場合は応援の来た瞬間が制限時間タイムリミットとすら言える。

 久世くぜアリシアは更科さらしなフウリが誰かの手によって救われることをよしとしない。

 プライドが高く、優しい少女アリシアは己の手で犯した失敗を決して己以外の何者にも拭わせようとしない。

 そのプライドは傲慢ごうまんと、その優しさは偽善ぎぜんと言い換えられるだろう。

 それでも構わない。いや、そうじゃなきゃいけない。

 なぜなら、僕がそうなることを望んでいるのだから。


 向かい側――長大なエスカレーターの方を見てみれば、更科フウリは未だそこに陣取っていた。

 手持ちぶさたにしている様子もなく、かと言って門を守る騎士のような厳粛さを保っているわけでもない。ただそこに佇むように立っているだけ。

 いっそ置きオブジェクトと言われた方がマシなほどに不気味なその姿を一瞥いちべつすれば、フードに覆われた頭をこちらに向けてきて、向こうもこちらを見たのだとわかった。

 けど、それだけ。

 興味も敵意も真意も見せず、再び視線を正中に戻してしまう。


「……やっぱり、アリシアじゃなきゃ動かないか」


 想定していたことだ。人質がいるであろうあのエスカレーターの向こうへ行こうとするならいざ知らず、その目前で立ち尽くすどうでもいい奴第三者を相手にするわけもない。

 さっきの応酬は僕がアリシアを抱えていたからで、つまり狙っていたのは僕ではなくアリシアだ。更科の方も、初めからアリシアしか見ていない。


「なら、僕相手でも動かざるを得ないようにするしかないよな」


 僕がアリシアに話した作戦は、作戦とすら呼んでいいか怪しいレベルで単純明快なもの。

 ただ四階目掛めがけて走るだけ、だ。

 一つ息を大きく吸い、ありったけの酸素を肺に溜める。


「ふっ――――!」


 そして滑り出すように一歩踏み出し、僕は三階から四階へと続くエスカレーター向けて全力疾走を開始した。

 低気圧により内圧が強調され、ともすれば意識ごと引きちぎられるのではと思うほどに重い鉛を含んだような感覚が生じるけれど、そんなものは無視して前へ足を出していく。

 風を切り、野を駆ける獣のように疾駆する僕の向かう先を理解して、更科も対応してきた。と言っても彼女の場合は玉座に君臨する王が号令一つで万の兵を動かす如く、その場で腕を動かすだけでデパートメント内のあらゆる物体を僕に向けて飛ばしてくる。

 新品の靴箱、カフェの椅子、破壊された壁の一部、貴重な生鮮食品、その他諸々――


「そんな殺意のない物おもちゃを放られた程度で止まると思うなよ……!」


 己を鼓舞するために強い言葉を吐いてみるけれど、残念ながら僕が走りながら投擲物とうてきぶつを避けるのを得意としているわけではない。

 そちらの方が止まっているよりよほど当たりにくいというだけだ。

 静から動へ急激に移行するのが負荷的にも技術的にも大変なこともそうだし、向こうからすれば定点の目標に向かって物を投げるより、動く物体に向かって物を投げる方が偏差を考慮しなければならなくなるから当然難易度も上がる。

 無論、対策カウンターが無いわけじゃない。

 最も簡単で単純な対策は更科のおこなっているような数に任せてぶっ放してくる方法だ。

 まるでデパート自体が玩具おもちゃばこよろしくひっくり返されてしまったのかと思うほど無秩序に、無軌道に、無作為に、大量の物体が飛んでくる。

 けれど、落下防止の手すりがついた縦幅三メートル程度の通路内にはほとんど入ってこない。入ってきたとしても一撃で致命をもたらすようなものはほぼ無いし、避けられる。


「……そうだよな。んだよな」


 効果的かつ有用な方法は他にいくらでもある。

 それでも、彼女が他の方法を取る様子はなかった。

 最初におかしいと感じた違和感。アリシアの言っていた更科の異常とそこに至る可能性。それらを結びつけて言葉にせずとも立てていた仮説がどんどんと現実味を帯びていき、背筋が氷柱に置き換わっていくかのような寒気を覚える。

 それはただ目前の脅威に立ち向かう身としては幸運この上ないことだけど、更科を救わんと願う者の仲間としては残酷極まりない事実だ。

 けれど、それが真実かを確かめるためにも、今の僕にできるのは進むことだけだった。

 四階へと繋がるエスカレーターに到達する直前、これまでのは児戯あそびだったと言わんばかりに頑丈そうなクローゼットやらキングサイズのベッドやら引きちぎられたシャンデリアやらが猛烈な勢いで飛来する。

 これまでは多くの物体を弾いて僕の身を守ってくれた手すりも大質量の運動エネルギーの前には無力で、あめ細工ざいくのようにひしゃげてガラスをぶちまけていく。

 極めつけはエスカレーターがそれらによって破壊されてしまったことで――というか更科の目的は最初からそれ以外になかったらしい――あっという間にエスカレーターが渡航不可能になる。


「う、おぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 それでも僕は止まらない。手すりが破られようと、エスカレーターが壊されようと、破壊それらをもたらした物体に飛び乗って上を目指す。

 足場は悪い、どころか針のむしろじみているけれど五秒で踏破する。


「見えたっ!」


 そしてついに辿り着いた四階。これまでの階層と同じ円形構造、その始点たる一際大きな空間に、無気力に転がされている人質たちの姿があった。

 死妖は魔臓アニマを破壊されない限り死ぬことはなく、完全死亡すれば石灰になると言っていたから、あの人たちは気を失っているだけのはず。

 その空間ゴールめがけて僕が疾走を再開すると、ついに更科本人が玉座から立ち上がった。

 動き始めは空の紙袋が風にふわりと持ち上げられるように軽やかに、けれど紙袋さらしなはそのまま一気に空中へ浮き上がると膨大な風をはらみ、不可視のジェットでも搭載したかのような速度でこちらへ向かってくる。

 さながら隕石のように、人の身では見えていても不可避の速度と規模。

 そして、僕たちはこの瞬間ときを待っていた。



「――――――――アリシアッッ‼︎」



 僕と更科がやり合っている間にデパートメント一階の巨大な柱の陰に隠れていたアリシアが姿を現す。

 瞳を青く光らせ、槍を掲げて血の奇跡アニムスを起こそうとする様は遠い異国の魔術師が杖を振るうようで。さらにはアニムスに未熟な者の多くが行いがちな、想像イメージの補助または起点として判別名を口に出す行為も相まれば、それは魔法そのものだ。

 そうして告げる、判別名は――



「――――――――《雪の華アラバスタ》っ‼︎」



 バギン!と鋼鉄こうてつの砕けるような音がに発生した。

 それは正しく空間自体が凍りついた音だった。

 デパートメント内の空気は一瞬にして氷点下ゼロマイナスを通り越し、空気中の水分が昇華。それにより生じたダイヤモンドダストが第三オレンジの光を散乱させ、幻想的な光景を展開する。

 当然ながら更科にも《雪の華アラバスタ》の冷気の花弁が向かうが、更科は驚異的な反応を見せた。

 豪速球のボールが全力で振り抜かれたバットによって弾かれるように、デパートメントの最上階まで舞い上がってアリシアのアニムスの範囲から逃れたのだ。

 けれど、アリシアは安全圏であるデパートメントの天井付近まで昇りきった更科を見つめると皮肉に微笑んでみせる。

「そんなに高く上がって無事に降りられるのかしら。

 この場の空気はもう、わよ」


 その言葉通り、更科フウリは

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