◇その奇跡の名は
各階に存在する、円形フロアの一部から逆向きの半円状に突き出た休憩エリア。そこからなら中央の空間が見渡せるだろうと出てみれば、予想通り内部を一望することができた。
薄暗くて空気が薄く、外からビュウビュウと
そしてデパート内の空間をかろうじて映す、か細い光は
……
全く連絡がされない事態も
けど、それまで無様に逃げ隠れているつもりは
むしろこの場合は応援の来た瞬間が
プライドが高く、優しい
そのプライドは
それでも構わない。いや、そうじゃなきゃいけない。
なぜなら、僕がそうなることを望んでいるのだから。
向かい側――長大なエスカレーターの方を見てみれば、更科フウリは未だそこに陣取っていた。
手持ちぶさたにしている様子もなく、かと言って門を守る騎士のような厳粛さを保っているわけでもない。ただそこに佇むように立っているだけ。
いっそ置き
けど、それだけ。
興味も敵意も真意も見せず、再び視線を正中に戻してしまう。
「……やっぱり、アリシアじゃなきゃ動かないか」
想定していたことだ。人質がいるであろうあのエスカレーターの向こうへ行こうとするならいざ知らず、その目前で立ち尽くす
さっきの応酬は僕がアリシアを抱えていたからで、つまり狙っていたのは僕ではなくアリシアだ。更科の方も、初めからアリシアしか見ていない。
「なら、僕相手でも動かざるを得ないようにするしかないよな」
僕がアリシアに話した作戦は、作戦とすら呼んでいいか怪しいレベルで単純明快なもの。
ただ
一つ息を大きく吸い、ありったけの酸素を肺に溜める。
「ふっ――――!」
そして滑り出すように一歩踏み出し、僕は三階から四階へと続くエスカレーター向けて全力疾走を開始した。
低気圧により内圧が強調され、ともすれば意識ごと引きちぎられるのではと思うほどに重い鉛を含んだような感覚が生じるけれど、そんなものは無視して前へ足を出していく。
風を切り、野を駆ける獣のように疾駆する僕の向かう先を理解して、更科も対応してきた。と言っても彼女の場合は玉座に君臨する王が号令一つで万の兵を動かす如く、その場で腕を動かすだけでデパートメント内のあらゆる物体を僕に向けて飛ばしてくる。
新品の靴箱、カフェの椅子、破壊された壁の一部、貴重な生鮮食品、その他諸々――
「そんな
己を鼓舞するために強い言葉を吐いてみるけれど、残念ながら僕が走りながら
そちらの方が止まっているよりよほど当たりにくいというだけだ。
静から動へ急激に移行するのが負荷的にも技術的にも大変なこともそうだし、向こうからすれば定点の目標に向かって物を投げるより、動く物体に向かって物を投げる方が偏差を考慮しなければならなくなるから当然難易度も上がる。
無論、
最も簡単で単純な対策は更科の
まるでデパート自体が
けれど、落下防止の手すりがついた縦幅三メートル程度の通路内にはほとんど入ってこない。入ってきたとしても一撃で致命をもたらすようなものはほぼ無いし、避けられる。
「……そうだよな。それくらいしか出来ないんだよな」
効果的かつ有用な方法は他にいくらでもある。
それでも、彼女が他の方法を取る様子はなかった。
最初におかしいと感じた違和感。アリシアの言っていた更科の異常とそこに至る可能性。それらを結びつけて言葉にせずとも立てていた仮説がどんどんと現実味を帯びていき、背筋が氷柱に置き換わっていくかのような寒気を覚える。
それはただ目前の脅威に立ち向かう身としては幸運この上ないことだけど、更科を救わんと願う者の仲間としては残酷極まりない事実だ。
けれど、それが真実かを確かめるためにも、今の僕にできるのは進むことだけだった。
四階へと繋がるエスカレーターに到達する直前、これまでのは
これまでは多くの物体を弾いて僕の身を守ってくれた手すりも大質量の運動エネルギーの前には無力で、
極めつけはエスカレーターがそれらによって破壊されてしまったことで――というか更科の目的は最初からそれ以外になかったらしい――あっという間にエスカレーターが渡航不可能になる。
「う、おぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁっ!」
それでも僕は止まらない。手すりが破られようと、エスカレーターが壊されようと、
足場は悪い、どころか針のむしろじみているけれど五秒で踏破する。
「見えたっ!」
そしてついに辿り着いた四階。これまでの階層と同じ円形構造、その始点たる一際大きな空間に、無気力に転がされている人質たちの姿があった。
死妖は
その
動き始めは空の紙袋が風にふわりと持ち上げられるように軽やかに、けれど
さながら隕石のように、人の身では見えていても不可避の速度と規模。
そして、僕たちはこの
「――――――――アリシアッッ‼︎」
僕と更科がやり合っている間にデパートメント一階の巨大な柱の陰に隠れていたアリシアが姿を現す。
瞳を青く光らせ、槍を掲げて血の
そうして告げる、判別名は――
「――――――――《
バギン!と
それは正しく空間自体が凍りついた音だった。
デパートメント内の空気は一瞬にして
当然ながら更科にも《
豪速球のボールが全力で振り抜かれたバットによって弾かれるように、デパートメントの最上階まで舞い上がってアリシアのアニムスの範囲から逃れたのだ。
けれど、アリシアは安全圏であるデパートメントの天井付近まで昇りきった更科を見つめると皮肉に微笑んでみせる。
「そんなに高く上がって無事に降りられるのかしら。
この場の空気はもう、あなたの扱えるものじゃないわよ」
その言葉通り、更科フウリは空中でバランスを崩して墜落した。
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