◇”格好良い”と”かっこいい”


 慣れない着替えに時間をかけながらも、なんとかトイレの個室から教室へと戻れば、すでに着替えを終えているアリシアが暇そうに携帯端末をいじっていた。


「あれ、伊丹さんは?」

「着付けに手間取ってるみたい」


 どうやら手持ちぶさただったわけではなく、単純に連絡が来ていたらしい。


「イザヤの方が早かったのは意外だったわ。それにしても……」


 画面のついた携帯端末から視線を離し、アリシアが僕を見やる。

 そして、その表情がだんだんと曇っていく。

 正確に表現すれば、何か憐れなモノを見る目で、僕の全身を見回している。

 黙ってアリシアを見返せば、気まずそうにそっと顔をそらされた。


「どうしたのアリシア、何かあった?」

「な、何もないのだけれど?

 ちょっとそっちを見たら見返されたから反射的に目をそらしてしまっただけよ」

「あそう。ところで僕の格好をどう思う?」

「まあ悪くないんじゃないかしら。ええ、私は好きよ」

「似合ってるか似合ってないで言えば?」

「あんまり似合ってな――いえ、なんでもないわ」


 全部言ってますよお嬢さん。


「着ろって言ったのはアリシアなんだけどな……」

「だ、だって仕方ないじゃない、これが隊服なんだから! まさか制服姿で犯罪者を捕まえに行くつもり? 学生ヒーロー気取りじゃあるまいし! 普通に死ぬわよ!」

「誰もそこまで言ってないよ」


 アリシアをたしなめてから今一度、自分の格好を見下ろしてみる。

 左耳につけたインカム、両手にはめたフィンガーレスグローブ、靴底に特殊合金をあてがったタクティカルブーツ、祭祀服カソックを崩したような物々しい黒い服。

 アリシアが正直似合ってないと言ったこの格好こそが〈死妖狩り〉の装備だ。

 先ほど僕と伊丹さんにこれら一式を渡してきたアリシアいわく『あらゆる環境や状況における活動の可能性を考慮した細かい調整が可能な万能服で、最先端技術を惜しみなく投入したすごくすごいもの』らしい。語彙力が消えている。

 どれほどすごいかはわからないけれど、実際軽くて着心地はいいし、服の内側にも色々仕込めて便利だ。都市外への遠征の際に支給されるという対極限環境を想定した外套ローブなんて、ある種の光学迷彩機能すら搭載しているらしい。すごくすごい。

 それに隊服のデザイン自体がダサいわけではなく、僕と伊丹さんの隊服は支給されたばかりで肩幅や袖の調節が成されておらず、そのため服に着られてしまっており、結果ダサくなっている。対してアリシアの装備は完璧に調節が施されていた。何よりも動きやすさを重視して上は袖を短く、下は丈の短いスカートのようになっている。靴も極限まで肉抜きして機動力を確保したものになっており、隊服というより踊りダンサーの舞台衣装といったおもむきだ。

 アリシアは僕が服装をじっと見ていることには気づかず「そういえば」と話題を転じる。


「後方の観測員ワルキューレを担当するミツキはともかくとして、イザヤは得物の指定をしなくて良かったの?」

「平気で人間ぼくを前線に駆り出そうとしてることに異議申し立てしたいところだけど……

 まぁ、コレがあるからね」


 そう言って僕は懐から短刀ナイフを取り出す。

 鞘には細かな傷が無数についていて、持ち手はささくれ立っているせいで包帯を巻かなければならないような古く年季の入った代物。ともすれば陳腐ちんぷと一笑に付されるか、嫌悪をもよおされても仕方がないけれど、アリシアはそのどちらもしなかった。


「大事なものなのね」


 配慮はいりょのある言葉で表現してくれたアリシアに僕は小さく返す。


「姉さんがくれたんだよ」

「……へえ、どういう経緯でくれたのかしら」


 アリシアが目を丸くする。心なしか表情もやわらいで、話の続きをうながすように僕の目を覗きまでする。


「出雲家から旅立つ前日の夜に、姉さんがこっそり僕の元まで来てくれてさ。さやも持ち手も、中の刃も全部真っ黒で『縁起が悪いから』って僕に押しつけて(ゆずって)くれたんだよね」

「そ、それは……」

「もらった当時は叩き折ってやろうかと思ったけど、今となっては唯一の形見になってるわけだし、捨てなくて良かったよ」


 おちゃらけるようにそう言うと、アリシアは至極まじめに頷いた。


「真意を伝えずに餞別せんべつの品を渡したかったんでしょうね。気ままに動いているように見えて、あの人が意味のない行動を取ったことはないもの」

「旅立ったのは向こうの方だけど、まぁそうだろうね。姉さんいわく『おまじない』がされてるおかげで壁に打ちつけたところで傷ひとつ付かなかったし」


 この短刀を持っていたことによって得た命はいくつもある。

 でもまあ、と身内が褒められる気恥ずかしさを濁すように言う。


「もう何本か予備的に持っておいても良かったかもしれないね」


 この短刀が壊れることはまずないだろうけど、紛失したり手元から弾き飛ばされてしまった場合はなす術がなくなってしまう。

 純粋にそれだけの意味で発した言葉だったのに、アリシアは裏の意味を錯覚したのか、携帯端末を手の内で弄びながら、かわいく口をとがらせる。


「とりあえず今日はそれで我慢してよ。明日にでも調整と調達をお願いしてくるから」

「我慢も何も、言われなかったら気にしてなかったよ。ナイフについても、この格好も」


 僕の言葉に小さく息を吐き、アリシアはぽそりと呟く。


「その格好が良いっていうのは本当なのに」

「えぇ……? 物好きにも程があるでしょ。もしかして博愛主義者?」


 思わずそう返してしまうとアリシアは動揺に机をガタガタ揺らし、顔を真っ赤にしながら携帯端末を取り落とした。


「なっ、聞こえて……⁉︎ 

 いえ、もっとちゃんと整えたらっていうか、その状態でも良さはわかるっていうか――

 ああっもう! なんでこんなこと恥ずかしい説明しなきゃいけないのよ!」


 だんだんと地団駄を踏み、涙目でぐるると唸る。どうやらアリシアは精神的に余裕がなくなるとボディランゲージが多めになるらしい。それも他のものに当たり気味で。


「いい? 今の発言は忘れること。嘘でもいいから忘れると言いなさい!

 そうでないと今度こそ野宿させるんだからっ!」

「いや絶対忘れない。意地でも忘れない。今この瞬間に他のことを全て忘れたとしてもアリシアにかっこいいって言われたことだけは忘れない」

「なんでよっ⁉︎ っていうか誰もかっこいいなんて言ってないんですけど! って言ったのよ! 勝手に人の発言を捻じ曲げるのやめてもらっていいかしら!」

「意味一緒じゃん!」「違うから!」


 などとやっていると、横合いから声が飛んできた。


「あのー、おふたりの痴話喧嘩ちわげんかを見させてもらえるのは眼福なんですけどぉ。

 緊急のお電話が来ているみたいですよぉ」

「どこが痴話喧嘩よ! ……なんですって?」


 いつの間にか隊服に着替えて教室に戻っていた伊丹さんが、アリシアの携帯端末をこちらに差し出していた。向けられた画面に表示されるのは緊急通信エマージェンシーと、かけてきたその相手。

 たった三文字のそれを見て、アリシアは携帯端末を奪い取るようにして応答する。


「こちら久世アリシア」

『ああ、よかった繋がった。

 久世くん、青春中のところ悪いが、指定の場所に今すぐ向かってほしい』

「なんのことを言っているのかわかりかねるけれど……緊急の任務?」

『そうだ。お相手さんがのようでね』


 学長の意味深な言葉に、アリシアは眉根を怪訝けげんに寄せた。


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