◇一触即発


 アリシアが一歩踏み出せば、ザラが教室に入ってきた時と同じように人の波が勝手に割れる。そうして僕の机の前までやってきてアリシアとザラが僕の机を挟む形で対峙する。

 周囲の人だかりはすでに一歩引いた場所から僕たちのことを見守っていた。


「べっつにぃ? 楽しくダベってただけだし、んねーサヨちん?」


 ザラがにこやかな笑顔を向けてくるけど、僕は苦笑いで返すほかない。


「へえ。参考までにどんな話をしてたのか教えてもらっても?」

「あんたが聞いても面白くないと思うけど」


 アリシアの問いにザラは視線をそらし、ポニーテールの毛先をいじりながら返す。


「私の興味本位ではなくサヨのためよ。サヨはまだ〈終局都市ターミナル〉に来て日が浅いから適当なことを吹き込まれても真偽の判別がつかないもの」

「はっ、人のことそんな風に言うんだ。

 望がうちの有名人のことを教えてあげてただけだっつーのに」

「……その有名人っていうのは誰のことかしら」


 アリシアの問いに、ザラはにんまりと笑みを浮かべる。


「あは、ようやく自分の悪名高さを認識したんだ。し、よ、う、ひ、め?」


 その瞬間、アリシアが僕の机の足を蹴った。

 ガンッと音が鳴り、僕はずれた机をとっさに直す。

 ザラは「こっわ〜」とまったく怖くなさそうな声音で皮肉に笑う。

「ねねね、サヨちん。こんな乱暴なのと組まないでアタシのとこに来なよ〜。

 こう見えてもアタシの部隊、対死妖戦闘科SVCの模擬戦でSランクトップなんだよね。

 だからアタシの部隊とこに来れば成績も上位確定なんだけどさー、どう?」


 悪い話じゃないっしょ、とザラは右手を差し出してくる。

 周囲からはマジかよ、とかうらやましー、という羨望せんぼうの声が漏れる。

 対死妖戦闘科SVCの成績がどのように評価されるのか全く未知数だけれど、ザラの発言から察するに部隊同士で戦い合い、その戦績が評価に反映されるような仕組みなんだろう。

 二年生時から部隊を作るのはハードルが高いけど、どこかの部隊に入れてもらうのはもっとハードルが高い(心理的に)。

 けれど、そこを学年トップの部隊の方から入らないかと言われている。

 なるほど。確かにぽっと出の転入生にとってはこの上ない誘いだ。

 でも、それは僕がただの転入生だったらの話で。


「悪いけど、自分の道は自分で選ぶことに決めてるんだ」


 だから僕はザラの手を取らなかった。


 なぜなら、右手は机の下でアリシアと繋がっていたから。


「……あっそ」


 ザラの瞳から感情の光が消える。

 代わりにあやしい光がその眼に宿り、僕に差し出した右手を振り上げ、


「――――じゃあ死ねば?」


 酷薄こくはくな言葉を吐いた。

 すると、信じられない現象が起きた。

 教室内の空気が張り詰め、教卓や机、椅子がすべて音も無く浮き上がったのだ。


「なっ⁉︎」


 無論むろん僕の席も例外ではなく、座っていた場所を奪われた僕は尻餅しりもちをつき――そうになったところでアリシアに抱き止められ、かばうようにして背後へ移動させられた。サラッとそういうイケメンムーブをしないでほしい。


「ザラそれは流石にやべえって!」「誰か先生呼んできて!」「ちょっと早く出てよ!」


 僕たちの周囲にいた人だかりは蜘蛛くもの子を散らすように逃げていき、教室内には瞳を妖しく光らせるザラ、僕をかばうように立ちはだかるアリシア、状況が飲み込めない僕の三人だけが残った。


「やめなさい! 学院内での勝手なアニムスの使用は校則違反よ!」

「こーそくぅ? あははっ! そんなんでめるわけないだろーが!」


 アリシアの静止にもザラは全く応じる様子はなく、むしろ望むところとばかりに吠えてみせる。


「アニムスを他者への脅迫に使用するだけでも都市治安法に抵触するわ。今すぐその手を下ろさないと私から正当防衛を受けても文句は言えなくなるけどいいのかしら」


 なおも冷静にさとすアリシアに、ザラはゆがんだ笑みを浮かべて右手を


「やってみればいーじゃん。みたいに全部氷漬けにしてさぁ!」


 指向性を与えられた机や椅子が凄まじい運動エネルギーを得て暴力の塊と化し、僕とアリシアに向かって飛ばされる――はずだった。


「!?」


 突然、机や椅子が浮力を失い、ガシャランガシャランと騒々しい音を立てて教室の床にぶちまけられた。

 いったい何が起きたのか僕たちが把握するより先に、ザラの背後から声がした。


「ご歓談中のところ大変申し訳ございません」


 いつの間にか、教室内にはもう一人の影があった。

 その人は清潔感のあるエプロンを付け、重厚なメイド服を着て、散乱する机や椅子のただ中に粛然と立っていた。ただそれだけのはずなのに、ザラは身動きを封じられたようにその場から動けないでいる。


 ――この人、学長お付きのメイドさんか。


 記憶の中から引っ張り出した人物像は正しかったようで、黒髪のメイドさんはうやうやしく礼をして要件を伝えてくる。


「アイラ様から出雲様と久世様を学長室にてお待ちしているとのむねを承って参りました」


 どうやら僕たちはお喋りしすぎたらしい。それにしてもわざわざ人を遣わしてまで呼びに来るとは、学長は律儀りちぎなのか面倒くさがりなのか。


「それとオーベル様、久世様」


 まだ要件があるようで、メイドさんはザラとアリシアに視線を向ける。


「あ?」

「なんでしょう」

「アイラ様から言伝ことづてがひとつ。こほん――『青春するのはいいが、大人の目の届かないところでやるように』――だそうです。わたくしからは以上でございます」


 そう言ってまた恭しく礼をすると、メイドさんは教室を出て行く。


「後始末は私がいたしますので、皆さま速やかに下校なさってください」


 と、野次馬を帰らせることまでしてくれた。

 再び取り残された僕たちのなかで、一番最初に動いたのはザラだった。


「その子の手を取ったこと、後悔させてやるから。――絶対に」


 大きく舌打ちをしてこちらを見やると、怨嗟えんさのこもった声音でそう告げて去っていった。

 生徒の声と足音も次第に遠ざかっていき、僕とアリシアはそこだけ嵐が通り過ぎたような教室の中で二人きりになる。


「なんだったんだ……」


 僕は目の前で起きたことへの理解が追いつかず、未だ腰が抜けたままだった。

 ふとアリシアのことが気になって視線をやれば、アリシアは苦虫を噛み潰したような面持ちで立ち尽くしていた。けれどゆるゆると頭を振って僕の方へ向き直った時にはいつもの凛とした表情に戻っていて、


「私たちもいきましょう。学長マザーが待ってるわ」

「え、いや……えぇ?」

「色々と聞きたいことがあるでしょうけど、後で話してあげるから」

「いやそんな急に切り替えられないって!

 今世界で一番置いてけぼりな自信があるよ僕!」


 目の前で超常現象が起きて落ち着いたままでいられる人間がいったいどこにいるというのか。いや、いない。

 それでもアリシアは知ったことかと言わんばかりに僕の腕を掴んでしまう。


「いいからさっさといくわよ、ほら」

「ちょっ、ちょっと待っ、あぁ〜!」


 僕はなされるがまま、アリシアにずるずると引っ張られていった。僕を掴んでいない方の手が震えていることについてはさわれず終いだった。

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